また、現役の国会議員からは、候補者になること自体にさまざまな壁があることや、議員を続けながら妊娠、出産や育児をすることの難しさを指摘する声があがりました。
どうすれば女性議員を増やせるかという問いに対しては「女性を増やすことに注力するのではなく、育てることを目的とした制度を作るべきだ」とか「女性が力を引き出せるような教育が行われるべきだ」といった意見が出されました。
長野県出身で、今は沖縄県で暮らしています。 当時、21歳。 投票日は就職のため上京する日で、現金より貴重だったというお米をリュックサックにたくさん詰めて投票所に行ったといいます。 もろさわさんは「小学校にあがったときに満州事変があり、戦争以外知らないで育ちました。民主主義と言われてもすぐにはついていけませんでしたが、参政権という与えられた機会を自分なりに使おうと思っていました」と振り返ります。
もろさわさんはその後、婦人参政権運動や女性の地位向上に取り組んだ市川房枝と出会い、女性史研究家となって書籍の執筆などを行ってきました。 これまで一度も投票を棄権したことはないということです。 もろさわさんは「先輩たちが苦労して要求し、戦後、ようやく女性の参政権を獲得できました。男性に勝てる政治ではなくて女性たちが参加することで庶民の富をあすの幸せ、庶民の幸せのために使う政治につなげることができたらと思っています。世の中、まだまだ差別はありますが、この1票だけはみんな平等です。自分たちの日常も未来も決める貴重なものを持っているのに棄権するのは自己否定だと思っています」と話していました。
当時の投票率をみると、男性が78.52%だったのに対し、女性は10ポイント以上低い66.97%でしたが、その後、女性の投票率は徐々に上昇し、女性として初めて衆議院議長を務めた土井たか子氏が初当選した昭和44年の総選挙では、女性の投票率が初めて男性を上回りました。
世界各国の議員たちでつくるIPU=列国議会同盟によりますと、各国の議会では、女性議員が占める割合が全体で25%を超え、過去最高となる中、日本の衆議院の女性の比率は193か国のうち、166位となっています。
20歳の会社員の女性は「以前より男女が平等になってきていますが、そうではない時代があったことは悲しい。私たちもちゃんと声を上げてこの状況を守っていかないと変わっていってしまうものだと思います」と話しました。 就職活動のため大阪から東京を訪れた21歳の大学生は、参政権を求めて女性たちが声を上げた経緯について「かっこいいと思います。男女平等は進んでいるものの男女での賃金の格差や家事や育児は女性という現状がまだまだあると思います。そうしたおかしいことを変えていくために自分にも何かできることがないか考えたい」と語っていました。 ことし2月に18歳になり、選挙権を得たばかりの大学生の女性は「国や時代によって女性が投票できないことがあると高校で学びました。私たちは年齢が来れば選挙権をもらえるのですが、苦労して権利を勝ち取ってくれた人の気持ちを考えると投票に行くしかないと思っています」としたうえで、「今はSNSで政治家に直接意見を言うことができ、それに答えてくれることもあります。インターネットでいろんな意見に触れたり発信したりすることもできるので、自分にできることに取り組んでいきたい」と話していました。
75年前に投票した女性は
女性参政権の経緯
若い人たちの声は