長崎に
原爆が
投下されてから
9日で
72年となりました。
平和祈念式典で
長崎市の
田上市長は、
ことし国連で採択された核兵器禁止条約の
意義を
強調し「
核兵器が
必要だと
言い
続けるかぎり
脅威は
無くならない」として、
条約に反対する国々に核兵器によって
国を
守ろうとする
政策を
見直すよう
求めました。
長崎市の
平和公園で
行われた
式典には、
被爆者や
遺族などおよそ
5400人のほか
58の国と
地域の
代表らが
参列しました。はじめにこの
1年間に
亡くなった
人や
新たに
死亡が
確認された
人、
合わせて
3551人の
名前が
書き
加えられた
17万5743人の
原爆死没者名簿が
納められました。
そして原爆が投下された午前11時2分に合わせて鐘が鳴らされ、全員で黙とうをささげました。
長崎市の田上富久市長は平和宣言で、ことし国連で採択された核兵器禁止条約について「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった」と述べ、その意義を強調しました。
そして「核兵器をめぐる国際情勢は緊張感を増し、遠くない未来に核兵器が使われるのではないかという強い不安が広がっている」としたうえで、核保有国のほか日本など「核の傘」の下にある国々に対し「安全保障上、核兵器が必要だと言い続けるかぎり核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください」と訴えました。
これに対し、安倍総理大臣は核兵器禁止条約については触れず「『核兵器の無い世界』を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方に働きかけを行うことを通じて国際社会を主導していく決意だ」と述べました。
また被爆者を代表して「平和への誓い」を読み上げた深堀好敏さん(88)は「核は人間と共存できない。平和憲法を国是として復興した日本がアジアを含む世界から集めた尊敬と信頼を失ってはならない。唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはならない」と述べました。
式典のあと、爆心地から1.5キロで被爆し弟と妹など肉親5人を亡くしたという長崎市の88歳の女性は「被爆したときは、夢なのか現実なのかわからず家族の骨も拾えませんでした。核兵器禁止条約は日本がいちばん参加しないといけない国なのに、参加すらしなかったというのはショックでした。被爆者のことをわかっていないと思います」と話していました。
また長崎を初めて訪れた大阪府の31歳の女性は「一度は見ておかないといけないと思って参列しました。戦後生まれの人が増えているので、私たちが継承していかないといけないと思いました。この日に長崎に来られてよかったです」と話していました。
核兵器禁止条約が採択されて初めての原爆の日となった長崎では、犠牲者を追悼するとともに「長崎を最後の被爆地に」という被爆者たちの願いを、改めて世界に発信する一日が続いています。