春日野部屋の
栃ノ
心はジョージア
出身の35
歳。
18歳の時の平成18年春場所で初土俵を踏み、恵まれた体格を生かした力強い四つ相撲で4年後には小結まで昇進しました。
その後、平成25年名古屋場所の取組で右ひざのじん帯などを断裂する大けがを負って番付を幕下まで下げましたが、幕下と十両で4場所連続優勝を果たし平成26年の九州場所で幕内に返り咲きました。
そして、平成30年の初場所でジョージア出身力士として初めての優勝を果たし、この年の夏場所後に大関に昇進しました。
しかし、たび重なるけがの影響もあって4年前に2回目の大関陥落となり、その後は幕内に踏みとどまっていましたが、ことしの初場所で左肩を脱臼し、続く春場所では十両に番付を下げました。
東の十両5枚目で臨んだ今場所もここまで初日から5連敗となり、報道陣の取材に対しては「相撲が取れていない。申し訳ないと思っている」などと心境を明かしていました。
そして栃ノ心は19日、日本相撲協会に引退届を提出し、受理されて現役を引退しました。
今後 日本相撲協会には残らず「次の人生もう1回頑張りたい」
栃ノ
心は
東京 両国の
国技館で
会見し、18
日夜、
師匠の
春日野親方と
話し合って
引退を
決断したことを
明かしました。
そのうえで「ことしの初場所、肩のけがをしてから自分の相撲が取れなくなった。何度もけがを乗り越えたので今回も乗り越えられるという気持ちだったが、相撲を取るのが怖くなって皆さんに申し訳ないと思った」と話しました。
17年の土俵人生の中で最も思い出に残った一番には、初優勝を決めた平成30年の初場所14日目の松鳳山との取組をあげ「うれしかった。ファンの人もすごく増えた。いいときも悪いときもあったが日本に来て相撲ができて感謝している。ジョージアの皆さんにも感謝しかない」と涙ながらに話していました。
また、たび重なるけがに苦しんだことについては「けががあったからこそ頑張れた。『あと10年相撲を取らないといけない』と親方に言われて、そのことばが力になった。体をここまで使えて幸せだ」と話していました。
今後は日本相撲協会には残らないということで「何がやりたいのかまだ決まってはいないが、次の人生、もう1回頑張りたい」と話していました。
師匠の春日野親方「私が育てた中では いちばん強かった」
会見に同席した栃ノ心の師匠で元関脇 栃乃和歌の春日野親方は「私が育てた中ではいちばん強かった。大関、ましてや優勝は私の夢でもあったが、実現するとは思わなかったし、大関に上がった時は強かった。その後、幕下まで落ちたのは気の毒だったと思う反面、お医者さんとも話しながら、もう一場所もう一場所と、本人はきつかったと思うが、頑張ったと思う」とねぎらいました。
インドネシアの火山で大規模噴火 国内で目立った潮位変化なし
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N2
資源: NHK
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“核兵器 変わらないか増える”回答が半数近くに NHK世論調査
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