ことしの「
春の
叙勲」の
受章者が
発表され、
各界で
功労のあったあわせて3990
人が
受章することになりました。
今年「春季敘勳」的受勳者已經公布,來自各界有功勞的共3990人將獲得表彰。
ことしの「春の叙勲」を受章するのは、
▽「桐花大綬章」が2人、
▽「旭日大綬章」が12人です。
今年獲得「春季敘勳」的人員中,分別有:▽「桐花大綬章」2人,▽「旭日大綬章」12人。
また、
▽「旭日重光章」と「瑞宝重光章」があわせて40人、
▽「旭日中綬章」と「瑞宝中綬章」があわせて345人、
▽「旭日小綬章」と「瑞宝小綬章」があわせて855人など、全体で3990人となっています。
此外,旭日重光章與瑞寶重光章合計有40人,旭日中綬章與瑞寶中綬章合計有345人,旭日小綬章與瑞寶小綬章合計有855人等,總計為3990人。
このうち、
▽民間からの受章者は1888人で全体の47%、
▽女性の受章者は436人で全体の11%となっています。
在這之中,來自民間的受勳者有1888人,佔總體的47%;女性受勳者有436人,佔總體的11%。
「桐花大綬章」は、元衆議院議長の大島理森さん元総理大臣の菅直人さんの2人が受章します。
「桐花大綬章」將由前眾議院議長大島理森先生與前首相菅直人先生兩人獲頒。
「旭日大綬章」は、元経済再生担当大臣の甘利明さん、前の奈良県知事の荒井正吾さん、元沖縄・北方担当大臣の江崎鉄磨さん、元法務副大臣の奥野信亮さん、元法務大臣の金田勝年さん、元オリンピック・パラリンピック担当大臣の桜田義孝さん、元最高裁判所判事の長嶺安政さん、元住友商事社長の中村邦晴さん、元国家公安委員長の松本純さん、元環境副大臣の横光克彦さん、本名、武藤勝彦さん、元最高裁判所判事の山口厚さん、前の京都府知事の山田啓二さんが受章します。
「旭日大綬章」將由前經濟再生擔當大臣甘利明先生、前奈良縣知事荒井正吾先生、前沖繩・北方擔當大臣江崎鐵磨先生、前法務副大臣奧野信亮先生、前法務大臣金田勝年先生、前奧運・帕運擔當大臣櫻田義孝先生、前最高法院法官長嶺安政先生、前住友商事社長中村邦晴先生、前國家公安委員長松本純先生、前環境副大臣橫光克彥先生、本名武藤勝彥先生、前最高法院法官山口厚先生、前京都府知事山田啟二先生獲頒。
「旭日重光章」は大手製薬会社「エーザイ」のCEOの内藤晴夫さんら、「瑞宝重光章」は元東京工業大学学長の三島良直さんらが受章します。
「旭日重光章」由大型製藥公司「衛材」的CEO內藤晴夫等人獲得,「瑞寶重光章」則由前東京工業大學校長三島良直等人獲得。
「旭日中綬章」は、小説家の皆川博子さんらが「旭日小綬章」は、映画「E。
「旭日中綬章」由小說家皆川博子等人獲得,「旭日小綬章」則由電影「E
T。
」や「タイタニック」
などの
字幕翻訳を
手がけた
戸田奈津子さんらが
それぞれ受章します。
包括負責《鐵達尼號》等字幕翻譯的戶田奈津子女士等人將分別獲得表彰。
このほか、外国人叙勲ではあわせて45の国と地域の107人が受章することになりました。
此外,在外國人授勳方面,來自45個國家和地區的107人將獲得勳章。
叙勲の親授式や伝達式などは来月9日から行われます。
叙勲的親授儀式及頒授儀式等將於下個月9日開始舉行。
元衆議院議長 大島理森さん
「桐花大綬章」を受章する大島理森さんは78歳。
前眾議院議長大島理森先生獲頒「桐花大綬章」,大島理森先生現年78歲。
青森県議会議員などを経て1983年の衆議院選挙で初当選して12回当選し、農林水産大臣や自民党の幹事長、国会対策委員長などを歴任しました。
經歷過青森縣議會議員等職務後,於1983年的眾議院選舉首次當選,並連續當選12次,曾擔任農林水產大臣、自民黨幹事長、國會對策委員長等職位。
2015年には衆議院議長に就任して歴代最長の6年以上務め、上皇さまの天皇退位に際し、一代限りの退位を可能とする特例法の制定に取り組みました。
2015年擔任眾議院議長,並連續服務超過6年,創下歷代最長紀錄。在上皇陛下退位時,他致力於制定僅限一代天皇退位的特例法。
大島さんは「心からの感謝とともに、身に余る栄誉を感じている。
大島先生表示:「我懷著由衷的感謝之情,同時也感受到這份榮譽對我而言是過於殊榮。」
政治の
道、まさに、
生かされ
続けた
道だった。
支えていただいた
全ての
方に対する栄誉でも
あると
思っている」と
話しました。
そして「海部内閣時代の官房副長官の職責、痛烈なるねじれ国会から始まる野党時代、やはり6年半近く議長職をあずかったことが政治生活の節目であった。
然後,「在海部內閣時期擔任官房副長官的職責,從激烈對立的扭曲國會開始的在野時代,果然擔任了將近六年半的議長職,這成為我政治生涯的重要轉捩點。」
上皇さまのご
退位にあたり、
立法府として1つの
方向性をまとめたことは、
非常に
大きな出来事だった」と
振り返りました。
在回顧時表示:「針對上皇陛下退位,作為立法機關能夠統一一個方向,這是一件非常重大的事件。」
また、少数与党の政治状況に関し、しっかり議論し、合意形成に努める必要性に触れつつ「トランプ大統領の政策が、こんにちまでの秩序や制度に大きな問題提起をしている。
此外,關於少數執政黨的政治狀況,他也提到必須進行充分討論並努力達成共識,同時指出「川普總統的政策對至今為止的秩序與制度提出了重大質疑」。
物価対策、
そのほかの
いろいろな
具体的課題も
とても重要だ。
これからどう動くべきか、
それぞれの
政党が
国民に
提示してもらいたい」と
述べました。
接下來應該如何行動,希望各政黨能向國民提出具體方針。
元総理大臣 菅直人さん
「桐花大綬章」を受章する菅直人さんは78歳。
1980年の衆議院選挙で初当選し、14回当選しました。
他於1980年的眾議院選舉中首次當選,並連續當選了14次。
1996
年には
自民・
社会・さきがけの
連立政権で
厚生大臣になり、
薬害エイズ
問題の
原因究明に
取り組みました。
1996年,自由民主黨、社會黨及先驅新黨組成聯合政權時,他擔任厚生大臣,致力於調查藥害愛滋問題的原因。
民主党政権時の2010
年に
総理大臣に
就任し、
東日本大震災と
東京電力福島第一原発の
事故の
対応にあたる
などしました。
於民主黨執政時期的2010年就任首相,並負責應對東日本大地震及東京電力福島第一核電廠事故等事宜。
菅さんは、日本に民主主義が根付いているからこそ、世襲でも官僚出身でもない自分が、長く国政に携われたとしつつ「私個人に対するよりも、戦後80年間、市民政治を実現しようと努力してきたすべてのみなさんの栄誉だと感じている」と述べました。
菅先生表示,正因為民主主義已在日本深植人心,自己這樣既非世襲也非官僚出身的人,才能長期參與國政。他同時表示:「我認為這份榮譽,比起屬於我個人,更屬於戰後80年來,所有為實現市民政治而努力的每一位人士。」
また、福島第一原発の事故について「本当に危うく、日本の関東地方に人が住めなくなる、ぎりぎりの危機だったと今でも感じている。
此外,關於福島第一核電廠的事故,「我至今仍然覺得,那真的是一個極為危險、幾乎讓日本關東地區無法居住的臨界危機。」
私の
性格も
あるが、
やっぱり現場に
行って
実態を
見て
判断すると。
雖然這也和我的個性有關,但果然還是要親自到現場看看實際情況再做判斷。
批判が
あることは
理解していたが、
事実を
きちんと表に
出し、
公開できたことはよかったと
思う」と
振り返りました。
我知道會有批評,但我認為能夠如實公開事實並將其公之於眾是件好事。」他回顧道。
そして、民主党政権は戦後政治の大きな変化だったとした上で「政権交代というものがあることが、民主主義の活性化につながると思う。
然後,他補充說,民主黨政權是戰後政治的一大變化,「我認為政權更替的存在,有助於活化民主主義。」
政権交代の
ある日本の
政治を、
次の
時代の
人には、ぜひ
生み出してもらいたい」と
述べました。
他表示:「我希望下一代的人們,能夠創造出有政權輪替的日本政治。」
元自民党幹事長 甘利明さん
「旭日大綬章」を受章する甘利明さんは75歳。
前自民黨幹事長甘利明先生榮獲「旭日大綬章」,甘利明先生現年75歲。
1983年の衆議院選挙で初当選し、13回当選しました。
他於1983年的眾議院選舉中首次當選,並連續當選了13次。
経済再生担当大臣として、TPP=
環太平洋パートナーシップ
協定の
交渉のとりまとめに
尽力した
ほか、
自民党の
幹事長や
政務調査会長などを
歴任しました。
作為經濟再生擔當大臣,他致力於協調TPP(跨太平洋夥伴關係協定)的談判,並曾歷任自民黨幹事長及政務調查會長等職務。
甘利さんは「初当選から42年間、活動してきて、集大成の評価なので嬉しい」と話しました。
甘利先生說:「自從首次當選以來,已經活動了42年,這是我努力的總結評價,所以感到很高興。」
そしてワシントンで
臨んだ
厳しいTPP
交渉に
触れ「『
このままではダメだ』ということで、
交渉の
席を
蹴った
場面があった。
然後提到在華盛頓進行的嚴峻TPP談判時說:「曾有過因為覺得『這樣下去不行』而退出談判桌的情況。」
当時の
安倍総理大臣に
スピーカーフォンで
報告すると『
あなたの
判断に
間違いはないから
心配ない』と
言われたことが、
一番、
印象に
残っている」と、
振り返りました。
當時我用擴音器向安倍首相報告時,他對我說:「你的判斷沒有錯,不用擔心。」這句話讓我印象最為深刻。
その上でアメリカの関税措置をめぐる交渉について、自身の経験も踏まえ「トランプ大統領は、論理的に説得されることを最も嫌う人だ。
在此基礎上,針對美國關稅措施的談判,結合自身經驗表示:「川普總統是最討厭被邏輯說服的人。」
思いを
共有しながら、『こうした
方がアメリカにとって
よくなる。
手伝いは
日本がする』という
基本姿勢が
大事だ」と
述べました。
「協助應該由日本來做」這一基本立場很重要,他如此表示。
また、今後の政治について「政治家は未来の夢を提示し、それを実現するための工程表を作ることが仕事だ。
此外,關於未來的政治,他表示:「政治家的工作就是提出未來的夢想,並制定實現這些夢想的路線圖。」
現状に
手足をとられすぎず、
現役の
政治家には
頑張ってもらいたい」と
述べました。
元住友商事社長 中村邦晴さん
「旭日大綬章」を受章する中村邦晴さんは大阪府出身の74歳。
前住住友商事社長中村邦晴先生榮獲「旭日大綬章」,中村邦晴先生是大阪府出身,現年74歲。
1974年に大手商社の住友商事に入社し、専務や副社長を経て、2012年に社長に就任。
於1974年進入大型商社住友商事工作,歷任常務、副社長,並於2012年就任社長。
2018年から去年まで会長を務めるなど、長年にわたり会社の経営に携わりました。
自2018年起至去年擔任會長,長年參與公司的經營管理。
また、大手商社などでつくる日本貿易会の会長や経団連の副会長など経済団体の要職も多く務め、諸外国との関係の強化などに尽力しました。
此外,他也曾擔任由大型綜合商社等組成的日本貿易會會長,以及經團連副會長等多個經濟團體的重要職務,致力於加強與其他國家的關係。
今回の受章について、中村さんは「大変、身に余る光栄だが、これから頑張りなさいというメッセージとも受け止めている。
關於這次的獲獎,中村先生表示:「雖然這是莫大的榮耀,但我也將其視為一種『今後要更加努力』的訊息。」
大阪・
関西万博でも
あるように『いのち
輝く未来』を
作り、
それを
次の
世代につなげることがわれわれの
やるべき
仕事であり
これからもいっそう
精進していきたい」と
述べました。
正如大阪・關西世博會所展現的,我們的工作就是創造「生命閃耀的未來」,並將其傳承給下一代,今後我也會更加努力精進。
また、経済界の立場から自由貿易体制の推進に関わってきたことに触れ「効率よくモノを動かし、生産する自由貿易体制は各国の経済発展や豊かさ、幸せにつながっていく。
此外,從經濟界的立場參與推動自由貿易體制時也提到:「能夠高效率流通商品與生產的自由貿易體制,將會帶來各國的經濟發展、富裕與幸福。」
いつの
時代も
変わらない
重要なものだ」と
述べました。
他表示:「無論任何時代,這都是不變且重要的事物。」
そのうえでアメリカと中国の間で関税をめぐる応酬が続いている現状について「やはり互いを理解することが非常に重要であり、どんなときもあらゆるレベルで対話を続けないといけない。
在此基礎上,針對目前美國與中國之間圍繞關稅持續展開的攻防,他表示:「果然彼此理解非常重要,無論何時都必須在各種層級持續對話。」
それによって
解決の
糸口を
見つけてほしい」と
述べました。
元環境副大臣 横光克彦さん
「旭日大綬章」を受章する横光克彦さんは81歳。
前環境副大臣 橫光克彥先生榮獲「旭日大綬章」,橫光克彥先生現年81歲。
俳優として活躍して、1993年の衆議院選挙で初当選し、7回当選しました。
作為演員活躍,並於1993年的眾議院選舉中首次當選,之後共當選了7次。
社会党や
社民党を
経て
民主党に
移り、2011
年に
発足した
野田内閣では
環境副大臣を
務め、
東京電力福島第一原発の
事故後の
対応などで
力を
尽くしました。
經歷過社會黨和社民黨,之後轉入民主黨,在2011年成立的野田內閣中擔任環境副大臣,並在東京電力福島第一核電廠事故後的應對等方面盡心盡力。
横光さんは「国のため、地元のために働くことができ、非常に充実した日々だった。
橫光先生表示:「能夠為國家、為家鄉工作,每一天都過得非常充實。」
政治のことが
ほとんどわからないと
言ってもいいような
一俳優だった
私を、こんにちまで
支えてくれた
全ての
人たちに『
ありがとう』と
言いたい」と
述べました。
我想對一直支持著一個幾乎可以說對政治一無所知的演員的所有人說一聲「謝謝」。
そして、環境副大臣として原発事故後の対応にあたったことに触れ「あの過酷な福島の事故の復興支援のために、さまざまなことに向き合った。
然後,作為環境副大臣,我參與了核電廠事故後的應對工作,他提到:「為了支援福島那場嚴峻事故的重建,我面對了各種各樣的挑戰。」
政治家として、
重い責任の
ある日々だった。
さまざまな
県に
行って
要請をしたり、
説明をしたりしたことを
覚えている」と
振り返りました。
その上で、少数与党の政治状況に関し「数の力で物事を進めていくといった強引な手法は取れなくなり、そういう意味では、国民の声が届きやすくなった。
在這樣的情況下,關於少數執政黨的政治狀況,「已經無法再以人數優勢強行推動政策,從這個意義上來說,國民的聲音變得更容易被傳達。」
国民のために
あるのが
政治であり、
国会は、
国民の
幸せのために
しっかり対応していかなければならない」と
述べました。
政治是為了國民而存在,國會必須為了國民的幸福作出確實的應對。
小説家 皆川博子さん
旭日中綬章を受章する小説家の皆川博子さんは東京出身の95歳。
小說家皆川博子女士榮獲旭日中綬章,來自東京的皆川博子女士現年95歲。
主婦をしながら小説を大量に読む日々を送っていましたが、40歳のころから物語を本格的に書き始め、1972年、42歳のときに児童文学の「海と十字架」でデビューしました。
我一邊做家庭主婦,一邊過著大量閱讀小說的日子,但從40歲開始正式創作故事,1972年、42歲時以兒童文學作品《海與十字架》出道。
1986年、吉原の遊郭で育った娘が主人公の小説「恋紅」で直木賞を受賞しました。
1986年,以在吉原遊廓長大的少女為主角的小說《戀紅》榮獲直木獎。
その後もミステリーから幻想小説、時代小説まで幅広いジャンルで創作を続け、吉川英治文学賞など多くの文学賞を受賞し、2015年には文化功労者にも選ばれています。
之後他持續在推理、奇幻小說、時代小說等多元領域創作,獲得包括吉川英治文學獎在內的多項文學獎,並於2015年被選為文化功勞者。
90歳をすぎた今も老人ホームで執筆を続け、12世紀のバルト海を舞台とした「風配図 WIND ROSE」が去年の紫式部文学賞に選ばれ、続編の連載にも取り組むなど精力的に活動しています。
即使現在已經超過90歲,仍在養老院持續執筆,去年以以12世紀波羅的海為舞台的《風配圖 WIND ROSE》榮獲紫式部文學獎,並積極投入續集的連載等各項活動。
皆川さんは「50年ほど書いてきたので認めていただけたのは大変ありがたいですし、励みになります。
皆川先生說:「我寫了大約50年,能夠獲得認可真的非常感謝,也成為我的鼓勵。」
今は
雑事をしないですむ
環境にいて、
書くことだけが
自分の
生きることだなという
心境です。
現在我處於一個不需要處理瑣事的環境,只專注於寫作,這讓我覺得寫作就是我的人生。
書けるのはあと2、3
年だと
思いますが、
外国の
歴史など書きたい
材料は
いっぱいあります」と
話していました。
我想我還能寫個兩三年,不過我還有很多想寫的題材,比如外國的歷史等等。
字幕翻訳家 戸田奈津子さん
旭日小綬章を受章する映画の字幕翻訳家の戸田奈津子さんは東京出身の88歳。
電影字幕翻譯家戶田奈津子女士榮獲旭日小綬章,戶田奈津子女士是東京出身,現年88歲。
子どものころから外国映画に魅了され、津田塾大学を卒業後、およそ20年の下積みを経て字幕翻訳家となり、その後半世紀近くにわたり第一人者として、活躍してきました。
從小就被外國電影吸引,畢業於津田塾大學後,經過約二十年的基層歷練成為字幕翻譯家,之後近半個世紀以業界第一人的身分活躍至今。
1980年公開の「地獄の黙示録」をはじめ、「スター・ウォーズ」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などこれまで1500本以上の外国映画の字幕翻訳を手がけました。
自1980年上映的《現代啟示錄》起,曾負責包括《星際大戰》和《回到未來》等在內,超過1500部外國電影的字幕翻譯。
来月、公開されるトム・クルーズ主演の「ミッション:インポッシブル」シリーズの最新作も手がけているということです。
據說他也參與了將於下個月上映的湯姆·克魯斯主演的《不可能的任務》系列最新作品的製作。
通訳としても長く活躍し、ハリウッドスターや海外の映画監督などとの華やかな交流でも知られています。
作為口譯員也有長期的活躍,並以與好萊塢明星及海外電影導演等的華麗交流而聞名。
戸田さんは「週に1本のペースで映画の字幕翻訳をして、年間で50本、それが何十年と続きました。
戶田先生以每週一部的速度進行電影字幕翻譯,一年大約翻譯50部,這樣的工作持續了好幾十年。
半世紀にわたり
仕事を
楽しんで
自分が
好きでやってきたので、
なぜこういうご
褒美をいただけるのか
よく分からないです」と
語りました。
「因為我半個世紀以來一直很享受工作,也是在做自己喜歡的事,所以我不太明白為什麼能夠得到這樣的獎賞。」
翻訳の魅力については「字幕は字が少なくないと読めないので短くする知恵を絞らなくてはいけないが、ぴったりハマるとおもしろい。
關於翻譯的魅力,「字幕如果字太多就讀不完,所以必須絞盡腦汁讓內容簡短,但當恰到好處時就會很有趣。」
翻訳を通して、いろんなキャラクターの
人生を
一緒に
歩む、いろんな
人になって
お芝居をする、
頭の
中では、
俳優になっているんです」と
語っていました。
透過翻譯,我能夠與各種角色一同走過人生,扮演不同的人物,在腦海中,就像成為了一名演員一樣。
IOC会長など3人が外国人叙勲で「旭日大綬章」を受章
ことしの「春の叙勲」でスポーツ界からは東京オリンピック・パラリンピックを開催したIOC=国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長とIPC=国際パラリンピック委員会のアンドリュー・パーソンズ会長、ラグビーワールドカップを日本で開催した「ワールドラグビー」のビル・ボーモント元会長の3人が外国人叙勲で「旭日大綬章」を受章することになりました。
包括IOC會長在內的三人,在今年的「春季敘勳」中,因為外國人敘勳而獲得了「旭日大綬章」。在體育界,因舉辦東京奧運會和帕運會,國際奧林匹克委員會(IOC)主席湯瑪斯·巴赫、國際帕拉林匹克委員會(IPC)主席安德魯·帕森斯,以及曾在日本舉辦橄欖球世界盃的「世界橄欖球」前會長比爾·博蒙特三人,將因外國人敘勳而獲頒「旭日大綬章」。
IOCのバッハ会長とIPCのパーソンズ会長は2021年の東京オリンピック・パラリンピックを開催し、ラクビーの国際統括団体「ワールドラグビー」のボーモント元会長は2019年にラグビーワールドカップを日本で開催し、それぞれスポーツの普及や発展に寄与したとして受章が決まりました。
IOC的巴赫會長與IPC的帕森斯會長舉辦了2021年的東京奧運會暨帕運會,橄欖球國際管理組織「世界橄欖球」的前會長博蒙特則於2019年在日本舉辦了橄欖球世界盃,因為他們分別對於體育的普及與發展做出了貢獻,因此決定授予他們獎章。
このほか、東京オリンピック調整委員会の委員長を務めたIOC名誉委員のジョン・コーツ氏が「旭日重光章」を、また、プロ野球、阪神で2年連続の三冠王に輝いたランディ・バース氏が日本とアメリカの友好親善や相互理解の促進に寄与したとして「旭日小綬章」を受章することになりました。
此外,曾擔任東京奧運調整委員會委員長的國際奧委會名譽委員約翰·科茨先生,將被授予「旭日重光章」;另外,曾在職業棒球阪神隊連續兩年榮獲三冠王的蘭迪·巴斯先生,因促進日本與美國的友好親善及相互理解,將被授予「旭日小綬章」。
IPCのパーソンズ会長はNHKの取材に対し「日本は私にとって特別な親しみを抱く国なので、大変な名誉であり、身に余る光栄です。
IPC帕森斯主席在接受NHK採訪時表示:「日本對我來說是一個特別親切的國家,能夠獲此殊榮,實在是莫大的榮耀與光榮。」
極めて困難な
状況下に
置かれながら、
日本は
壮大で
変革的なパラリンピックの
大会を
成功に
導きました。
在極其艱難的情況下,日本成功舉辦了一場宏偉且具有變革性的帕拉林匹克運動會。
この大会は
世界中に
希望を
与え、
日本のすばらしい
人々によって
温かく
迎えられました。
這場大會為全世界帶來了希望,並且受到了日本優秀人民的熱情歡迎。
この旭日大綬章は
個人に
贈られるものではありますが、
私は
東京パラリンピックに
関わったすべての
関係者の
献身的な
努力をたたえるものだと
感じています」と
コメントしています。
這枚旭日大綬章雖然是頒給個人的,但我認為這是對所有參與東京帕拉林匹克相關人士無私奉獻的讚揚。