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晋語

「晋語」の「晋」は山西省の略称であるが、方言区画としての「晋語区」は行政区画としての山西省=「晋」と同一ではない。「晋語区」の中心地域が、山西省即ち「晋」にあるゆえに、「晋語区」と命名された。 晋語の起源には2つの説があります。1つの見解は、晋語の起源は秦晋

Palabras Relacionadas

晋

〔「すすむ」は「晋」の訓〕 古代中国の「晋」を同音の「秦」と区別する呼び方。 → はたしん

晋

(1)中国, 周代の諸侯国の一((?-前376))。 汾水(フンスイ)流域(山西省)を中心に紀元前七世紀頃から強盛になり, 南方の楚(ソ)と対立したが, 春秋時代末期に国土は韓・魏(ギ)・趙(チヨウ)に三分され滅んだ。 (2)三国の魏の権臣司馬炎が建てた王朝(265-419)。 都は洛陽(ラクヨウ)。 280年呉を滅ぼし中国を統一したが, 八王の乱により衰え, 316年匈奴(キヨウド)の劉曜に滅ぼされた(西晋)。 翌年, 一族の司馬睿(シバエイ)は建業に拠(ヨ)り晋を再興したが, 419年将軍の劉裕に滅ぼされた(東晋)。 (3)五代の一。

後晋

中国, 五代の一。 後唐(コウトウ)の重臣, 石敬瑭(セキケイトウ)が契丹(キツタン)の援助で後唐を滅ぼして建てた中原の王朝(936-946)。 二代で契丹に滅ぼされた。 ごしん。 石晋。

晋山

〔「晋」は進む, 「山」は寺の意〕 僧侶が初めて正式に一寺の住職となること。 「~式」

晋書

中国, 二十四史の一。 晋代の歴史を記した紀伝体の書。 一三〇巻。 太宗の勅命で, 唐の房玄齢(ボウゲンレイ)らの編。 644年頃成立。 本紀一〇巻, 志二〇巻, 列伝七〇巻, 載記(五胡十六国時代史)三〇巻。

西晋

⇒ 晋(2)

東晋

⇒ 晋

原晋

大会中止の可能性も有る」と言及した事については、「今回は沿道観戦に来ないように自粛し、テレビでの応援に協力して貰いたい」「学生達を沢山預かる立場として、いつ我々も感染するか分からない。政治家の皆様は『気の緩み』と国民に責任を押し付けてる気がするので、誰もが安心出来る医療の整備体制を作って頂きたい」等と述べている。

謝晋

乳泉村の子(清涼寺的鐘声)(1991年) 犬と女と刑老人(老人和狗)(1993年) (大上海屋檐下)(1994年) (女児谷)(1996年) 阿片戦争(鴉片戦争)(1997年) 栄光のフォワードNo.9 女子サッカーに捧げる(女足九号)(2001年) [脚注の使い方] ^ “中国映画の巨匠・謝晋監督の死去受け、新宿で追悼上映”

晋鄙

鄙率いる魏軍が邯鄲の援軍として進発した。 しかし、秦の強勢を恐れる安釐王は晋鄙に鄴城(現在の河北省邯鄲市臨漳県)に待機する様に命じ、晋鄙は命令通り軍の動きを止めた。少しして、信陵君が晋鄙の元を訪れ安釐王と晋鄙が持つ割符の片割れを見せ、軍の指揮権を渡す事を要求した。怪しんで指揮権の譲渡を渋った晋鄙

毛晋

同郷の銭謙益に学び、明末に何度か科挙試験を受けたが失敗したため、そのまま官職にはつかずに隠居した。毛晋は古い書物に他よりも高い値段をつけて買い求めた。汲古閣・目耕楼に書物を収蔵し、自ら校勘して出版した。 銭謙益も蔵書家として知られたが、その絳雲楼が1650年に火災で焼失したため、清初には毛晋が最大の蔵書家となった。

晋州

1116年(政和6年)、北宋により晋州は平陽府に昇格した。 ^ 『魏書』地形志二上 ^ 『隋書』巻三十 志第二十五 地理中 冀州「臨汾郡後魏置唐州,改曰晉州。後周置總管府,開皇初府廢。統縣七,戸七萬一千八百七十四。」s:zh:隋書/卷30#冀州 ^ 『旧唐書』地理志二 ^ 『宋史』地理志二

李晋

晋の死は急性消化不良と公表された。しかし、帰国中止の第一報で、すでに陰謀説が報道された。さらに、死去直後にも現地(京城)では「報道する自由を持たない」内容の流言蜚語が飛び交っていると報じられた。 方子妃が晋を産んだことにより、李王朝の純血に日本人の血が入ることを拒む毒殺なのではないかとささやかれた。我が子の死

晋 (姓)

晋(晉、しん)は、漢姓の一つ。朝鮮半島では比較的多い姓であるが、中国や台湾では希少である。 晋(しん)は、中華圏の姓。『百家姓』の458番目。 珍しい姓である。2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位100姓に入っておらず、台湾の2018年の統計では「晉

晋康郡

郡は広州に属し、郡治は元渓県に置かれた。 南朝宋のとき、晋康郡は端渓・晋化・都城・楽城・賓江・悦城・元渓・夫阮・僑寧・安遂・永始・武定・文招・熙寧の14県を管轄した。 南朝斉のとき、晋康郡は威城・都城・夫阮・元渓・安遂・晋化・永始・端渓・賓江・熙寧・楽城・武定・悦城・文招・義立の15県を管轄した。

晋 (春秋)

の当主だった智瑶は魏氏・韓氏を引き連れて、趙氏を滅ぼそうとした。趙氏の当主の趙無恤は、魏氏の魏駒と韓氏の韓虎に「智氏は強欲なので私が滅ぼされた後は貴方達の番だ」と寝返りを促し、これに成功する。紀元前453年、三家に攻められた智氏は滅亡し、晋の領土を趙・魏・韓の三者が分け合い、それぞれ独立した(晋陽

新宮晋

実父は古裂(骨董としての高い価値が認められる古い布)の収集家として名高く、石井柏亭や上村松園といった日本画の大家が、創作活動の参考にすべく古裂を生家へ借りに来るほどであった。4人兄弟の末っ子である晋も絵を描くことが幼少期から好きで、絵の習作を実父がこのような大家に見せたところ、実父から古裂

晋寧路

十三年復置。石楼、下。永和、下。蒲県、下」 ^ 『元史』巻58志10地理志1,「沁州、下。唐初為沁州、又改陽城郡、又仍為沁州。宋置威勝軍。金仍為沁州。元因之。領三県:銅鞮、下。州治所。至元十年、省録事司・武郷県入焉。沁源、下。至元十年、省綿上県入焉。武郷、下。至元三年、省入銅鞮、後復立」 ^ 『元史』巻58志10地理志1

大野晋

え。例「仏にあひ奉りてノリを聞くべし」(うつほ物語)、(5)里程。例「道のノリ5里なり」(日葡辞典)。道の「歩み」という意味、(6)伸(の)り(刀の反りのこと)。建築・土木で、垂直を基準にした傾斜の度合。また、その傾斜した面。]という意味がある。タミル語のner-iの意味(1)〜(6)は、日本語no