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စကားဝှက်

စကားလုံးအသေးစိတ်

拾遺

[しゅうい]
(1)(歌・作品など)漏れ落ちているものを拾い補うこと。
「宇治~」
(2)君主をたすけて, その過失を補うこと。
(3)侍従の唐名。

ဆက်စပ်စကားလုံးများ

古語拾遺

大同2年(807年)2月13日に書かれたとされている。大同元年(806年)とする写本もある。だが、跋(あとがき)に「方今、聖運初めて啓け…宝暦惟新に」とある。このことから、平城天皇即位による改元の806年(延暦25年・大同元年)5月18日以降であることがわかり、「大同元年」説は誤りということが分かる。

源注拾遺

本居宣長による『源氏物語玉の小櫛』などと比べると、従来の旧注の内容をそのまま受け継いでいる部分も多いものの、この中にはそれまでの主流であった儒教的な教戒説をはっきりと退ける『源氏物語』享受史上画期的な論説もあり、これは本居宣長の「もののあはれ」論につながっていくものである。さまざまな資料を駆使して事

吉野拾遺

強奪を図った話(上巻9話)、楠木正儀への復讐を果たそうとした熊王の話(下巻16話)、兼好が作者を来訪した話(下巻21話)がある。『大日本史』・『南山巡狩録』・『池の藻屑』・『本朝語園』などにも影響を与えた。 跋文と本文によると、かつて南朝の廷臣であり、後醍醐天皇の崩御に際して出家・遁世した松翁(しょ

拾遺和歌集

流布本によれば、歌数は1351首、部立は春・夏・秋・冬・賀・別・物名・雑(上・下)・神楽歌・恋(5巻)・雑春・雑秋・雑賀・雑恋・哀傷の計20巻から成る。雑春・雑秋・雑恋・哀傷といった特異な部立ては、『拾遺抄』の雑の部立てを細分化したためである。

拾

数の名。 九より一つ多い数。 五の倍数。 両手の指の数。 と。 とお。 <i>~に八九(ハツク)</i> ⇒ 十中八九 <i>~の一二(イチニ)</i> 可能性などがわずかなこと。

新拾遺和歌集

0日、四季奏覧。10月、為明の死去により頓阿が継いで、12月に成る。部立は、春上下、夏、秋上下、冬、賀、離別、羇旅、哀傷、恋一二三四五、神祇、釈教、雑上中下。雑下に『拾遺和歌集』の組織をまねて雑体歌をのせた。恋および雑の部の歌作者に僧が多いのは頓阿の撰したためかという。歌風は平明である。 表示 編集

宇治拾遺物語

『宇治拾遺物語』(うじしゅういものがたり)は、鎌倉時代前期(建暦2年(1212年)~承久3年(1221年))成立と推定される日本の説話物語集である。編著者は未詳。 題名は、佚書『宇治大納言物語』(宇治大納言源隆国が編纂したとされる説話集、現存しない)から漏れた話題を拾い集めたもの、という意味である。

今昔百鬼拾遺

火間虫入道(ひまむしにゅうどう) 殺生石(せっしょうせき) 風狸(ふうり) 茂林寺釜(もりんじのかま) 羅城門鬼(らじょうもんのおに) 夜啼石(よなきのいし) 芭蕉精(ばしょうのせい) 硯の魂(すずりのたましい) 屏風闚(びょうぶのぞき) 毛羽毛現(けうけげん) 目目蓮(もくもくれん) 狂骨(きょうこつ) 目競(めくらべ)

後拾遺和歌集

的な旧守派の和歌から新奇的な和歌まで幅広い。和泉式部の激情がほとばしる恋歌から、赤染衛門の細やかな思い遣りの贈答歌、能因・良暹ら僧侶歌人の旅情豊かな歌、曾禰好忠の大胆で型破りの歌まで、その作者・作風ともに多種多様である。また詠歌背景を詳しく説明する長文の詞書が多く、散文的特色が指摘されている[要出典]。

続拾遺和歌集

『続拾遺和歌集』(しょくしゅういわかしゅう)は、「二十一代集」中、12番目の勅撰和歌集。20巻。建治2年(1276年)亀山上皇の命によって編纂が開始され、弘安元年(1278年)に奏覧された。ただし、下命は文永11年(1274年)だった可能性もある。選者は二条為氏。和歌所は源兼氏だったが、その死に伴い、慶融が担当した。

新後拾遺和歌集

『新後拾遺和歌集』(しんごしゅういわかしゅう)は、勅撰和歌集。20巻。二十一代集の20番目。二条家 (御子左流)撰の最後の集である。 室町幕府第3代将軍足利義満の執奏により、後円融院の永和元年(1375年)6月29日、二条為遠が下命を受けた。永徳元年(1381年)5月に為遠が死ぬと、二条為重が後

続後拾遺和歌集

中下)・哀傷・釈教・神祇から成り、物名歌を独立した部立としており、『拾遺和歌集』に倣ったとされる。作者は560人弱。後醍醐天皇にとっては、自らの意志で最初に撰ばせた最初の勅撰和歌集である。後醍醐天皇は本歌集に非常に満足したが(『増鏡』)、京極派を奉ずる花園上皇の評は手厳しく、二条派歌人の三条実任も「偏頗」だと批判している。

収拾

(1)混乱している物事をとりまとめて, 秩序のある状態にすること。 「~がつかない」「事態を~する」 (2)ひろいおさめること。

拾う

(1)落ちているもの, 散らばっているものを, 手で取り上げる。 ⇔ 捨てる 「池に落ちたボールを~・う」「落ち葉を~・う」 (2)他人の落とした物を, 自分の物とする。 「大金を~・ったと言い張る」「遺(オチモノ)~・はず/日本書紀(仁徳訓)」 (3)多くの中から必要なものを取り上げる。 「活字を~・う」「名簿から関係者を~・う」 (4)(比喩的に)貴重なものを思いがけず手に入れる。 ⇔ 捨てる 「命を~・う」「幸運を~・う」「最終回に勝ちを~・った」 (5)(道を選んで)歩く。 「算を乱した中を~・つて通つた/婦系図(鏡花)」 (6)流しのタクシーなどをとめて乗る。 「表通りへ出てタクシーを~・う」 ‖可能‖ ひろえる ︱慣用︱ 火中の栗を~・小爪(コヅメ)を~・骨を~

拾得

(1)ひろうこと。 (2)落とし物をひろうこと。 「財布を~する」

拾得

中国, 唐代の伝説的な僧。 天台山国清寺の豊干(ブカン)に師事したという。 脱俗の風格をもって知られ, 寒山・拾得と並称された。 → 寒山

今昔百鬼拾遺 (小説シリーズ)

上に博奕が好きすぎて些とも金が貯まらず、短絡して店構えのいい片倉家へ刀剣屋と知らずに出刃庖丁を手に忍び込み、商売ものを要求して庖丁より長い日本刀を出されたことで錯乱し自暴自棄になって暴れる。店主に投げ飛ばされて庖丁を取り落とすが、逃げようとした母親を庇った静子をその場で拾った刀で殺害してしまい、7年の実刑判決を受けた。

拾ヶ堰

フォンが整備されたのは平成のことである。 拾ヶ堰頭首工(奈良井川) 拾ヶ堰 サイフォン入口 松本市側(2005年5月15日撮影) 拾ヶ堰 サイフォン出口 安曇野市側(2005年5月15日撮影) 勘左衛門堰 拾ヶ堰通水口 手前:勘左衛門堰 奥:拾ヶ堰(2008年8月撮影) 拾ヶ堰 放流口 安曇野市穂高自動車学校付近(2008年8月撮影)

捃拾教

法華の中に八千の声聞は記別を受くることを得て、大果実を成ずるが如き、秋収め冬蔵して更に所作なきが如し」 — 『涅槃経』巻9 如来性品 また天台の『法華玄義釈籤』巻二に 「法華に権を開するは已に大陣を破るが如く、余機彼に至るは残党難からざるが如し。故に法華を大収となし、涅槃を捃拾と為す。 — 天台の法華玄義釈籤巻二