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行中書省

グユクの死後、帝位をオゴデイ家から奪ったトルイ家のモンケは、地方出先行政機関の行尚書省を改革し、中国担当の燕京行尚書省、中央アジア担当のビシュバリク等処行尚書省、アム川以西のイラン方面担当のアム河等処行尚書の3行尚書省が設置された。 1259年のモンケの急死後、アリクブケとクビライの間でカアンの後継者を巡る争い(モンゴル帝国帝

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中書省

中書省(ちゅうしょしょう)は、中国で三国時代の魏から明代初期まで存在した中央官庁の名称。主に詔勅の立案・起草を司った。 官庁名としての起源は、三国時代の魏にまで遡る。但し、「中書」の官名は、さらに前漢の武帝の時期の「中書謁者」にまで遡る。この場合の中書謁者は、宦官に尚書が管掌する事をつかさどらせたもので

嶺北等処行中書省

乗隙叛去。二十七年、立和林等処都元帥府。大徳十一年、立和林等処行中書省、以淇陽王月赤察児為右丞相、太傅答剌罕為左丞相、罷和林宣慰司都元帥府、置和林総管府。至大二年、改行中書省為行尚書省。四年、罷尚書省、復為行中書省。皇慶元年、改嶺北等処行中書省、改和林路総管府為和寧路総管府。至元二十年、令西京宣慰司

湖広等処行中書省

元朝の行政区分 行中書省 湖広省 『元史』(中華書局) 『中国歴史地図集』(中国地図出版社 1997年) 周振鶴『中国行政区画通史 元代巻』(復旦大学出版社 2009年) ^ 『元史』巻65「平章政事廉文正王神道碑」 ^ 『元史』巻6 世祖紀6 三年辛卯、湖広行書省言、広西四十二郡並已内附、議復行中書省於潭州

江西等処行中書省

翌年には福建行省に一旦編入された。1280年(至元17年)には福建行省が分割され、江西行省・福建行省・泉州行省とされたが、1282年(至元19年)に冗官整理のために江西・福建の両行省の統合が行われた。1285年(至元22年)から1291年(至元28年)まで福建行省は江西行省に移管されるなどの改編が行われている。

甘粛等処行中書省

甘粛等処行中書省(かんしゅくとうしょ-こうちゅうしょしょう、以下甘粛行省と略称する)は元が設置した行中書省。 現在の甘粛省及び寧夏回族自治区の大部分、青海省北東部、陝西省及び内モンゴル自治区北西部の一部を管轄していた。 甘粛行省の前身は1261年(中統2年)に設置された中興行省である。1273年(

雲南等処行中書省

威楚開南路 武定路 鶴慶路 雲遠路 麗江路 東川路 茫部路 孟傑路 普安路 徹里軍民総管府 曲靖宣慰司 曲靖路 澂江路 普定路 仁徳府 羅羅斯宣慰司 建昌路 徳昌路 会川路 柏興府 臨安広西江宣慰司 臨安路 広西路 元江路 大理金歯宣慰司 大理路 蒙憐路 蒙莱路 蒙光路 柔遠路 茫施路 鎮康路 鎮西路 平緬路

征東等処行中書省

征東等処行中書省(せいとうとうしょ-こうちゅうしょしょう、征東行省ともいう)は、元王朝が高麗を従属させた後に、政治と軍事を統括するために設置した機関で、行中書省の一つ。日本攻略の前線機構とされたことから日本行省または征日本行省とも称される。1次2次の征東行省では次官の行省左丞相に高麗王が就き税賦も

陝西等処行中書省

陝西等処行中書省(せんせいとうしょ-こうちゅうしょしょう、以下陝西行省と略称する)は、元が設置した行中書省。 現在の陝西省全域、甘粛省及び四川省の一部を管轄していた。 行省直轄 奉元路 延安路 興元路 鳳翔府 邠州 涇州 開成州 荘浪州 鞏昌都総帥府 鞏昌府 平涼府 臨洮府 慶陽府 秦州 隴州 寧州

遼陽等処行中書省

遼陽等処行中書省(りょうようとうしょ-こうちゅうしょしょう)は、元が設置した行中書省。遼陽行省と略称される。 現在の遼寧省・吉林省・黒竜江省及び黒竜江流域、ウスリー河以東の日本海沿岸地域、更には朝鮮半島北部に設置されていた東寧府・双城総管府及び耽羅軍民総管府を管轄していた。

江浙等処行中書省

江浙等処行中書省(こうせつとうしょ-こうちゅうしょしょう、以下江浙行省と略称する)は元が設置した1級行政区画の行中書省。 1299年(大徳3年)以降、江浙行省は現在の長江以南の浙江省及び福建省全域、江蘇省の大部分、安徽省及び江西省の一部を管轄していた。 江浙行

四川等処行中書省

四川等処行中書省(しせんとうしょ-こうちゅうしょしょう、以下四川行省と略称する)は元が設置した行中書省。 現在の四川省全域、甘粛省及び陝西省南西部を管轄していた。 四川行省の前身は1260年(中統元年)に設置された陝西四川等路宣慰司である。 1262年(中統3年)に陝西四川行省に昇格、1281年(至元18年)

寧夏等処行中書省

寧夏等処行中書省(ねいかとうしょ-こうちゅうしょしょう、以下寧夏行省と略称する)は元が設置した行中書省。 現在の寧夏回族自治区を管轄していた。 1227年、元朝が西夏を滅亡させると、まもなく元朝は西夏の故地に寧夏行省を設置、西夏の中興府を寧夏路と改めた。1287年(至元24年)、寧夏行省は甘粛行省に編入され、寧夏路は寧夏府路と改称された。

尚書省

尚書省(しょうしょしょう)は、中国で後漢から元代まで存在した省。唐の三省六部体制の元で中書省・門下省の取り決めた事を六部に伝える役割を果たした。 前漢には尚書は少府(皇帝の私的財産を扱う部署)に属し、上奏を取り扱う役職であった。皇帝に対し何らかの上奏を行いたいと思う者は正副二つの上表書を尚書

秘書省

秘書省(ひしょしょう)は、中国の古代官制の一つ。蓬山・麟台とも称する。 晋朝により設置された秘書寺を前身とする。後に秘書省と改められ、監や丞などの官人を置いた。唐代になると秘書省は太史・著作の二極を管轄し、一時期は蓬山・麟台と改称された。明代以降は翰林院に統合された。主要業務は経籍の管理など宮中における図書一般の管理である。

河南江北等処行中書省

河南江北等処行中書省(かなんこうほくとうしょ-こうちゅうしょしょう、以下河南行省と略称する)は元が設置した行中書省。 現在の河南省全域、江蘇省及び安徽省、湖北省北部、山東省南西部を管轄していた。 河南行省は1268年(至元5年)、元軍による襄陽が行われた際の軍事的要請により初めて設置された

燕京等処行尚書省

モンケ時期における漢地統治の大きな変化は、従来の統治機関(=燕京等処行尚書省)に加えて、モンケの弟のクビライが「漠南漢地軍国庶事」を任せられたことにあった。クビライは雲南・大理遠征を成功させた後、肝心の南宋遠征を進めず漢地経営に専念したため、外征の継続を望む皇帝モンケと対立す

中書

(1)中国の漢代の官名。 宮廷の文書・詔勅などをつかさどる。 (2)中務(ナカツカサ)省の唐名。

書中

書物や手紙の文章に述べられている事柄。 また, 手紙。 「~の趣承知いたしました」

中務省

⇒ なかつかさしょう(中務省)