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စကားဝှက်

စကားလုံးအသေးစိတ်

襖

[あお]
〔「襖」の字音「あう」の転〕
(1)武官の朝服。 「闕腋(ケツテキ)の袍(ホウ)」に同じ。
(2)「狩衣(カリギヌ)」に同じ。 狩襖(カリアオ)。
「萩の~, 紫苑の織物の指貫(サシヌキ)着て/更級」
(3)袷(アワセ)または綿入れの衣。 襖子(アオシ)。
「紺の洗ひざらしの~着/宇治拾遺 11」
〔原始衣服と大陸から伝わったものが混在・融合したもの〕

襖

[おう]
⇒ あお(襖)

襖

[ふすま]
和室用の建具の一。 格子組みにした木の枠に布・紙などを張り重ね, 木枠を周囲に取り付けたもの。 部屋の仕切りに用いる。 中世以降用いられた名称。 襖障子。
→ 障子

ဆက်စပ်စကားလုံးများ

白襖

(1)襲(カサネ)の色目の名。 表裏とも薄い縹(ハナダ)色。 (2)薄い青色。 みず色。

素襖

式の着方もあり、これを打掛素袍(うちかけすおう)または単に掛素袍(かけすおう)といった。 材質は室町時代までは麻織物が主流だった。特に越後縮(えちご ちぢみ)を染めて作った素襖は風通しがよく、初夏のころに重宝された。中が透けるようだったのでこれを透素襖(すきすおう、すかしすおう)ともいった。江戸時

綿襖甲

天平宝字3年(759年)に第13次遣唐使が綿襖甲を持ち帰り、それを参考にして「唐国新様」として天平宝字6年(762年)正月に、東海道、西海道、南海道、各節度使の使料として各20250領を生産する事を大宰府に命じた。更に同年2月には1000領を作って鎮国衛府に貯蔵する事を命じている。

紅襖軍

都統提兵取若頭爾』。林懼、訴於制置司。涉密召林戲下問之、福伏兵於途以伺、林覚不追。於是李馬児説林帰大元、福狼狽走楚州。冬、加全招信軍節度。林猶遺涉書詆全、明己非叛。涉以咎全、全請為朝廷取之、乃提師駐海州以迫林。涉間道遣黥胥王翊・閻瓊労林、林泣涕道其故。翊帰、全使人殺諸塗。全攻林急、林走、全遂入青州」

四畳半襖の下張

たとえば、男が女の疲れを気遣って射精を我慢したまま行為を終えた後に、女が「あなたもちやんとやらなくちやいやよ、私ばかり何ば何でも気まりがわるいわ、と軟に鈴口を指の先にて撫でる工合」を見て、「この女思ふに老人の旦那にでもよくよく仕込まれた床上手と覚えたり」と男が思うあたりには、作者の観察の鋭さ、人間描写の

四畳半襖の下張事件

わいせつ文書販売の罪が問われた刑事事件。わいせつの概念が問題となった。 月刊誌『面白半分』の編集長をしていた作家野坂昭如は、永井荷風の作とされる戯作『四畳半襖の下張』を同誌1972年7月号に掲載した。これについて、刑法175条のわいせつ文書

千住博

襖28面と床の間2ヶ所にわたる障壁画を完成する。完成までに10年の月日を費やした。1979年に『モナリザ』がルーブル美術館から貸し出されて日本で公開された際、『モナリザ』と引き換えにルーブルに渡った狩野永徳の国宝『花鳥図』はどこからどう見ても完璧に近く、千住は自分が依頼された大書院の襖絵

加茂町 (京都府)

多数の史跡・文化財を有する。日本最初の流通貨幣「和同開珎」が造られた地でもある。 「文化が薫る暮らしよい町」を町の標語に掲げていた。特産品は、壁紙、襖紙、茶、椎茸。 河川 木津川 山 北山(標高476.5m) 承平年間(931年 - 938年)の辞書、『和名類聚抄』に相楽郡七郷の一つ「賀茂郷」として

CR花の慶次

と発展した演出が異なる場合、大当たりが確定。 七霧背景時のみの演出。予告はステップアップになっている(岩兵衛登場→左→左右→リーチロゴ→発展演出)がいきなり発展演出を予告することもある。この時の襖(金>赤>白)で期待度が変化。予告矛盾、おふうや風流リーチ予知は大当たり。 長寿桜ステージ、聚楽第ステージのみで発生する。

東玲治

ど室内に争った跡があり、仙波自身は検死に直接立ち会えなかったものの、立ち会いの警察官が検死担当の若い医師に向かって「心臓発作でしょ」と強弁する声が襖越しに聞こえてきたという。司法解剖、行政解剖は行われなかった。 10月25日、産経新聞が死去を報道。 11月10日、愛媛新聞が40字足らずの死亡記事掲載。

越前和紙

越前奉書と越前鳥の子紙が国の重要無形文化財に指定。 麻紙(雲肌麻紙)、局紙(画用紙、版画用紙、賞状用紙、証券、紙幣等)、奉書紙、鳥の子紙、襖紙、小間紙、檀紙、画仙紙など豊富な紙種を製造する大規模な和紙産地である。特に画用紙として雲肌麻紙や白麻紙、MO水彩画用紙、神郷紙、版画用紙に越前奉書、MO版画用紙は国内外で高い評価を得ている。

三河萬歳

系の演目を取り入れて太夫1人に対し才蔵が複数という形を取っているが、西尾の森下万歳は太夫と才蔵の2人1組である。 一般的には、太夫は風折烏帽子に素襖(素袍)、才蔵は侍烏帽子か大黒頭巾に裁着袴(たっつけばかま)という衣装である。太夫は手に扇子か舞扇を持つ。 江戸時代に三河出身の徳川家によって優遇され