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三老王

大解慕漱は密かに須臾(番朝鮮)と約束をして檀君の地を襲い、故都白岳山に據り、称して天王郎となる。四境の内は皆命令を聴くようになる。ここに於いて諸将を封じ、須臾侯箕丕を陞て番朝鮮王となす。往きて上下雲障を守らしむ。蓋し北夫餘の興りはこれより始まる。而して高句麗は乃ち解慕漱の生郷なり。故、亦高句麗と称す。

Связанные слова

王閎 (郡三老)

王 閎(おう こう、生没年不詳)は、漢の朝鮮半島における植民地楽浪郡の漢人豪族。楽浪郡の郷官の郡三老。王景の父。 前漢の帝位を王莽が簒奪して建国された新は、匈奴の征討に失敗して国力を疲弊させてしまう。各地で反乱が相次ぐなか、王莽が殺されて新は滅亡する。混乱に乗じた楽浪郡の王調は、23年に楽浪太守の劉

ゴーム老王

の誉れ」と讃えたルーン石碑が世界遺産「イェリング墳墓群」の一部として今も遺されている。 現代の欧州王室であるデンマーク王家、ノルウェー王家、スペイン王家、イギリス王家は彼の子孫である(後述)。 イェリング王権(ゴーム家)の

コオル老王

そして胡弓《こきゅう》ひきを三人ほどおめしで。 どれの胡弓ひきもよい胡弓もちでよ、 中で一番なは王さまの胡弓よ、  ツウイ・ツウイズル・デイ、ツウイズル・デイ。…… それそれ胡弓ひきがひきだしたよ、おききな。 だれにくらびょうか、めったにまたなかろ、 コオル王さまとその胡弓ひきよね。 (北原白秋訳『まざあ・ぐうす』より引用)

三中老

三中老(さんちゅうろう)は、豊臣政権末期に制定されたとされる役職。小年寄あるいは小宿老とも呼ばれる。 政事に参与し、五大老と五奉行との意見が合わないときの仲裁役であった。生駒親正(讃岐高松17万石)、堀尾吉晴(遠江浜松12万石)、中村一氏(駿河府中14万石)の3人が任命された、とされる。

三味長老

に出されていることから「沙弥(しゃみ)」と「三味線(しゃみせん)」の掛詞と、『徒然草』第百三十四段にある三昧僧の話にある「不堪の芸を持ちて堪能の座に列り」などの文から発想された石燕の創作であると見られる。 浮世絵師・月岡芳年は錦絵『百器夜行』(1865年)に石燕の三味長老を参考にしたと見られる絵を描いている。

三斤王

三斤王(さんきんおう、465年? - 479年)は百済の第23代の王(在位:477年 - 479年)であり、先代の文周王の長子。諱・諡は伝わらない。『三国史記』百済本紀・三斤王紀の分注には壬乞王、『三国遺事』王暦には三乞王、『日本書紀』雄略天皇紀には文斤王とも記される。477年9月に先王が暗殺され、三斤王がわずか13歳で即位した。

三島王

『万葉集』に、天平2年(731年)頃、三島王がのちに松浦佐用姫の歌に追和して詠んだ歌として 音に聞き 目にはいまだ見ず 佐用姫が 領巾(ひれ)振りきとふ 君松浦山(まつらやま) (噂には聞いたが 目にはまだ見たことがない 佐用姫が 領巾(ひれ)を振ったという 君を待つというまつら山は) が収録されている。

王三錫

南蛮人の出身。才能はなかったが、医術をもって忠粛王に取り入り、忠粛王の寵愛を受けた。『高麗史』巻一二四に伝記がある。 王三錫,本南蠻人,性狙詐輕躁,無才術。嘗隨商舶至燕,糊口於人。忠肅在元,三錫因幸臣求見,王悅之,遂從王東還。以醫術媚王,得近幸,寵眷無比,稱爲師傅。妬賢嫉能,賣官鬻獄,至於庭辱臺官,王不悟。三錫

老

※一※ (名) (1)年をとること。 また, 年寄り。 「生(シヨウ)・~・病・死の移り来(キタ)ること/徒然 155」 (2)律令制で, 六一歳から六五歳まで(のち六〇歳から六四歳まで)の者の称。 ※二※ (代) 一人称。 老人が自分のことを卑下していう語。 「稚(ワカ)き女子(オンナゴ)の矢武におはするぞ, ~が物見たる中のあはれなりし/読本・雨月(浅茅が宿)」 ※三※ (接尾) 自分より年とった人の名に付けて敬称として用いる。 「吉田~」 〔※三※ は, 古くは必ずしも老人に対してだけ用いるものではなく, もとは主に僧侶に対して用いられた〕

老老介護

老老介護(ろうろうかいご)、あるいは老老看護(ろうろうかんご)とは、家庭の事情などにより65歳以上の高齢者が、高齢者の介護をせざるをえない状況のことである。 主に60代を超えた高齢の夫婦や親子・兄弟間において、配偶者が相手の介護を・子供が親 (義理の両親の例を含む) の介護を・兄弟姉妹が相手を介護

王観 (三国)

て中央に召されて裁判を担当するようになった。 曹芳(斉王)の時代になると、曹爽たちが実権を握り専横を尽くしたが、王観は法を厳格に執行し、何度か彼らの横暴を掣肘した。また、曹爽たちも王観の存在をはばかったという。司馬懿が曹爽をクーデターで誅殺すると、曹爽の弟が率いていた中領軍代行を任された。以後、曹髦

王弼 (三国)

ていた。ある夜、門外から何者かが近寄ってきて自らを鄭玄と名乗り、「君は年も若いのに、どうして軽々しく文章をいじくり回し、無闇に私を非難するのか」と、忿然として王弼を責めた。その人物は言い終わると立ち去ったが、王弼の心には畏れと嫌悪が生じ、ほどなく癩病にかかって死亡した、とされている。 ^ 佐野誠子、竹田晃、黒田真美子(編)『捜神記

初老

(1)老境に入りかけの人。 老化を自覚するようになる年頃。 (2)四〇歳の異称。

古老

としより。 老人。 特に, 昔のことをよく知っている老人。 「村の~に話を聞く」

老儒

年老いた学識豊かな儒者。

老匠

すぐれた高齢の職人や芸術家。

老雄

年をとり, 経験を積んだ英雄。

老父

年をとった父親。

老練

経験を多く積み, 物事によく慣れていて巧みである・こと(さま)。 老巧。 「反対尋問にも動揺しない~な弁護士」「~な職人」