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太史

[たいし]
古く中国で, 天文・暦法・記録などをつかさどった官。 太史公。

Связанные слова

太史令

太史令(たいしれい)は、中国歴代に設置された役職の一つである太史寮の長官。秦代以来、置かれるようになった。 太史は三代以来の官名であり、政務を総括する三公(前漢では丞相、太尉、御史大夫)の下にあって行政を分掌する九卿の一つである太常(宗廟、礼儀を司る)の属官であり、天文・暦法や祭祀と国家の文書の起草や典籍・歴史を司った。秩禄六百石。

太史享

父の太史慈と同じく、孫権に仕えた。官位は『三国志』の本伝によると越騎校尉、その注に引く『呉書』によると尚書を経て呉郡太守に昇ったとされる。 羅貫中の小説『三国志演義』では、第53回で名前のみ登場。版によっては名が「太史 亨(たいし こう)」とされる。父の太史慈の死後、その死を悼む孫権の屋敷で養育されたという。

太史慈

いる。 若くして学問を好んだ。身の丈は七尺七寸(約177cm)で武勇に優れ、美鬚美髯で、弓を扱えば百発百中の名手であった。後に孫策と共に山賊討伐を行った時、遠くに見える砦の上から罵声を浴びせかけてきた一人の山賊が、手に木を掴んでいるのを見ると、掴んでいた木と共に手を射貫いたという逸話もある。

太史叔明

呉の太史慈の末裔とされる。若くして『荘子』や『老子』に通じ、『孝経』や『礼記』をも修めた。『老子』・『荘子』・『周易』の理解は最も精密で、当時に冠絶していた。講義をおこなうたびに、聴講する者は500人を越えた。官は国子助教をつとめた。邵陵王蕭綸は叔明の学問を好み、大同3年(537年)に蕭綸が江州

新史太閤記

えずに心服する。その軍略の才は秀吉も舌を巻くほどのものであるが、常に温厚な人柄の内に比類なき機鋒を包み、我を主張することがない。欲望や野心が欠落しているかのように薄く、必要であればいくらでも我欲を削いで家臣や周囲の人間に平然と施してしまう。自我を捨て得る誠実さこそ第一級の策士の条件と常に意識し、信

太朗想史郎

东晓 (2011年4月、吉林出版集团有限责任公司) [脚注の使い方] ^ [1]紀伊国屋書店 ^ 「【著者に聞きたい】太朗想史郎さん 『トギオ』」産経新聞 2010年2月 7日 太朗想史郎の頓服薬 - 本人ブログ 太朗想史郎 (tarousousirou) - X(旧Twitter) 表示 編集

太平洋戰爭史

観はこうして歪められた』小学館文庫、平成14年(2002年) ISBN 4094028862 保阪正康『日本解体-「真相箱」に見るアメリカGHQの洗脳工作』扶桑社文庫、平成16年(2004年) 中屋健弌『太平洋戰爭史』高山書院、昭和21年(1946年)- 聯合軍總司令部民間情報教育局資料提供 プロパガンダ

史学史

史学史(しがくし)とは、歴史学の研究史である。具体的には、歴史事実研究に関する歴史意識と学説の歴史、また、歴史観の変遷に関する歴史のことである。 史学史は、狭義には近代に成立した歴史学の学説史のことを指すが、近代歴史学以前にも歴史記述を対象とし、歴史事実や歴史意識、歴史観などを記述する学問的営みが

史

〔「ふみひと」の転。 「ふひと」とも〕 (1)大和政権に文書・記録をつかさどって奉仕した官人集団の称。 多くは渡来人の子孫。 (2)古代の姓(カバネ)の一。 {(1)}の職名が姓となったもの。 (3)文書・記録をつかさどる下級役人。 〔「国史・史部・録史」とも書く〕 (4)律令制における諸司の四等官。 〔「主典・令史・主帳」とも書く〕

史

〔「書人」の意〕 大和朝廷で文筆や記録を職とした官職名。 のち姓となる。 ほとんどが渡来系氏族。

史

(1)歴史。 (2)歴史を記す人。 記録をつかさどる役人。 史官。 (3)律令制で神祇官・太政官の主典(サカン)。 大史と少史とがあり, 記録をつかさどった。 (4)漢籍の分類法である四部(経・史・子・集)の一。 歴史・地理・政治に関する書物など。 <i>~に三長(サンチヨウ)あり</i> 〔唐書(劉知幾伝)〕 歴史を記す人間には, 才能・学問・見識の三つの長所が必要である。

太太

太太 タイタイ (女性) - 中国語で「夫人」「奥様」に相当する表現。特に、裕福な夫に依存し、働いていない妻を指す。 神楽の一種である太神楽を指す表現のひとつ。→犀川神社太々神楽 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧に

坂本太郎 (歴史学者)

聖徳太子奉賛会での研究題目は「大化改新の史的研究」であったが、当時の新聞に、研究題目を「耐火耐震の史的研究」と誤記された。電話取材をした新聞記者の聞き間違いによっておこった誤報であったが、このような誤解が生じた原因として、坂本が研究員に採用された当時が関東大震災があって間も

林健太郎 (歴史学者)

林 健太郎(はやし けんたろう、1913年〈大正2年〉1月2日 - 2004年〈平成16年〉8月10日)は、昭和期に活動した日本の歴史学者、政治家、評論家。保守派として知られた。専門は西洋史学(近代ドイツ史)。東大教授・文学部長。第20代東大総長、自由国民会議所属参議院議員(1期)を務めた。

日本史学史

な歴史認識を示したのは慈円の『愚管抄』である。慈円は末法思想と「道理」をテーマとして国初以来の歴史を説き起こすと、武家が大きな政治権力を握ったことを「道理」観念で合理的に理解しようとしており、同書をもって初めて歴史認識が明確に示されたとする見解もある。中世には仏教的な

史進

うに庭で棒の稽古をしていたが、後ろから「なかなかの腕だが、これでは真の達人には手も足も出まい。」という声がする。見ると5日ほど前から父を訪ねて屋敷に逗留している男である。自分の腕を馬鹿にされた史進は激怒し、渋る男に立合いを申し入れるが、男はとてつもなく強くあっというまに倒されてしまう。聞くと男は禁

北史

中国, 二十四史の一。 北朝(北魏(ホクギ)・北斉・北周・隋)の歴史を記す。 一〇〇巻。 唐の李延寿撰。 659年完成。 本紀一二巻, 列伝八八巻。 → 南史

語史

一つの語の起源や, 語形・意味・用法などの変遷。 また, それを記述したもの。

南史

中国, 二十四史の一。 南朝(宋・斉・梁・陳)の史書。 八〇巻。 唐の李延寿撰。 高宗の治世(649-683)に完成。 本紀一〇巻・列伝七〇巻。 → 北史