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奉賛

[ほうさん]
神社・仏閣などの仕事をつつしんで手伝うこと。

Связанные слова

賛

(1)漢文の文体の一。 人や物をほめたたえる際の文体。 多く四字一句とし韻を踏む。 (2)東洋画で, その絵に関した詩歌・文章を画面の中に記すこと。 また, その詩歌・文章。 画賛。 (3)仏・菩薩の功徳をほめたたえた言葉。 梵讃(ボンサン)・和讃の類。 (4)非難。 批評。 「出口の茶屋に腰掛けながら, 朝帰りの客に~付くるに/浮世草子・諸艶大鑑 1」

賛歌

(1)ほめたたえる気持ちを表した歌。 「雪山~」 (2)神や聖人をたたえる歌。 カトリック教会の典礼で用いられる歌の中で, 特に聖書の章句によらずラテン語で創作された歌をさす。

賛仰

〔論語(子罕)「仰之弥高, 鑽之弥堅」〕 聖人の道を探求し徳を仰ぎ慕うこと。 学問・研究に精進すること。 さんごう。 「~の嶺に攀(ヨ)ぢて/太平記 17」

協賛

(1)趣旨に賛成し, その実行を助けること。 (2)旧憲法下において, 帝国議会が, 予算・法律などの成立に同意すること。

論賛

(1)人の業績を論じたたえること。 「抽斎は艮斎のワシントンの~を読んで/渋江抽斎(鴎外)」 (2)中国の史伝の終わりに, 著者が加えた論評。

自賛

(1)自分の描(カ)いた絵に自分で賛を加えること。 (2)自分の行為などを自分でほめること。 → 自画自賛

画賛

絵の余白などに書き添えられた文章・詩句。 讃。

賛同

他人の説に同意すること。 賛成。 「大方の~を得た」「趣旨に~する」

賛否

賛成と不賛成。 「~両論」「~を問う」

賛助

直接手を下すのではなく, 脇にいて力を添え, 助けること。 「~会員」

賛成

(1)提案や意見に同意すること。 ⇔ 反対 「君の意見に~する」「修正案に~の人」 (2)助力してなしとげさせること。 「御同志に反対して, 御味方党を~する様になつたのですかね/雪中梅(鉄腸)」

賛美

ほめたたえること。 「偉業を~する」

賛嘆

非常に感心してほめること。 「見事な演技に~の声をあげる」

礼賛

(1)ほめたたえること。 ほめ尊ぶこと。 「先人の業績を~する」「~者」 (2)〔仏〕 仏を拝み, その功徳をほめたたえること。

賛賞

ほめたたえること。 賞賛。 「ストラウスの音楽の不調和無形式を~した/あめりか物語(荷風)」

賛意

賛成の気持ち。 「~を表する」

礼賛

⇒ らいさん(礼賛)

賛寧

中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。 筍譜 欧陽脩は「呉僧の賛寧は、国初に僧録となり、頗る詩書を読み、博覧強記であった。また自ら撰述を能くし、而も辞弁に縦橫にして、人の能く屈するもの莫し」と評した。 『皇朝類苑』巻59では「僧の賛寧は、文学有り、洞古博物にして、著書数百巻あり。王元之(王禹偁)

留賛

留 賛(りゅう さん、183年 - 255年)は、中国後漢末期から三国時代の呉にかけての武将。字は正明。揚州会稽郡長山県の人。子は留略・留平。『三国志』呉書孫峻伝に注引く韋昭の呉書に伝記がある。 若い頃に郡の役人となり、黄巾賊の首領の呉桓を自ら討ち取ったが、負傷して足が不自由になった。激しい気性の