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Словник

Деталі слова

ウラナラ氏

納清阿):ドゥンガの族孫。父不詳。二等護衛を務めた。 ナミンガ (namingga, 納明阿):ドゥンガの族孫。父不詳。護軍校を務めた。 エルデンゲ (eldengge, 額爾登莪):ドゥンガの族曾孫。父不詳。六品のボーイ・ダ (包衣大=管領) を務めた。 - - - - - ナム (namu, 納穆):ボーイ・ニャルマ。 子・ナンダイ

Пов'язані слова

ブジャンタイ (ウラナラ氏)

現任七品司匠又東阿族侄額爾濟圖原任佐領晉常原任二等護衞族孫納清阿亦原任二等護衞納明阿現任護軍校族曾孫額爾登莪現任六品包衣大博科子孫今隸本旗滿洲旗分"  ^ 中国語版には「六子茂墨尔根、八子噶都渾……均封世職」とあるが、「佐領」だけでは世襲職かどうかまでは不明。また、この場合の「世職」が爵位としての「

ブガン (ウラナラ氏)

時に二等軽車都尉に昇叙され、後、南明の流賊を撃破、福王・朱常洵を討滅、河南、江南などを平定、と立続けに戦功を揚げて一等軽車都尉に昇叙、モンゴルのテンギス滕吉思)を追逐し、トール河(現モンゴル国中央部) 地方で敵兵を二度撃砕して家財や家畜を接収、又、トゥシエト・ハーン (土謝図汗)

マンタイ (ウラナラ氏)

布佔泰者,縛以見太祖,曰:「我獲俘,將殺之。俘大呼勿殺,原自贖。因縛以來見。」跽太祖前,太祖問誰何,對曰:「烏喇貝勒滿泰弟布佔泰也,生死惟貝勒命。」叩首不已。太祖曰:「汝輩合九部兵為暴於無辜,天實厭之。昨陣斬布寨,彼時獲汝,汝死決矣!今見汝,何忍殺?語有之曰: '生人勝殺人,與人勝取人。'」遂解其縛,與以猞猁猻裘,撫育之。" 

ブヤン (ウラナラ氏)

之從征錦州陣亡優贈爲三等輕車都尉其子瑚錫布襲職任佐領卒其親弟瑪爾泰襲職定鼎燕京時入山海關撃敗流賊馬步兵二十萬衆叙功授爲二等輕車都尉三遇恩詔加至三等男緣事削去本身所得之職其親弟瑪爾岱承襲三等輕車都尉因病告退其子瑪郎藹襲職任佐領卒其孫福蘭泰襲職任佐領卒其子福明額襲職現任佐領……"  ^ a b c d

洪匡 (ウラナラ氏)

次子:ブタハ(布他哈)。公主に連れられムクデン (盛京) に移り、その後裔は「訥」姓に改めた。 ^ a b c d e 满族宗谱研究. 遼寧民族出版社. pp. 133-137  ^ 乌拉国简史. 中共永吉県委史志弁公室. pp. 142-143  ^ 拼音「洪匡:hóngkuāng」「宏括:hóngkuò」

氏家氏

氏家氏(うじいえし)は、日本の氏族のひとつ。 歴史上著名な氏家氏には、氏家直元(卜全)を輩出した藤原北家宇都宮氏流の氏家氏がいる。 宇都宮朝綱の子の公頼が下野国の芳賀郡氏家郷に土着して本貫とし氏家姓を名乗ったのが始まりといわれる。しかし、紀氏を出自とする氏家公幹(長元元年(1028年)生 -

氏

※一※ (名) (1)家々の系統を表す名称。 名字。 姓。 (ア)民法旧規定において, 家の名称。 (イ)現行法上, 名とともに個人の呼称となるもの。 原則として, 夫婦と未婚の子は同じ氏を称する。 (2)家柄。 (3)事実上あるいは系譜上, 同祖から出たものとされる家の集団。 古代において支配階級の構成単位をなしていたもの。 族長的地位に立つ家の家長が氏の上(カミ)となり, 氏の共有財産(大化の改新以前の部民(ベノタミ)の田荘(タドコロ), 律令制下の氏の賤(セン))を管理し, 氏神を奉祀(ホウシ)して氏人(ウジビト)を統率した。 氏には姓(カバネ)があり, 社会における氏の政治的地位はこれによって秩序づけられた。 律令制の解体とともに氏の名は次第に消え, 源・平・藤・橘など少数のもののみが残った。 ※二※ (接尾) 名字・姓名につけて, 敬意を表す。 「山田~」 〔現在では「し(氏)」という〕 <i>~無くして玉の輿(コシ)</i> ⇒ 女氏なくして玉の輿に乗る <i>~より育ち</i> 人は家柄や身分よりも, 育てられ方が大切である。

氏

※一※ (名) 「うじ(氏)」に同じ。 ※二※ (代) 三人称。 男子に対して, 敬意をこめて用いる。 彼。 「~は斯界の先達であります」 ※三※ (接尾) (1)人の姓名に付けて尊敬の意を表す。 主として男子に用いる。 「山田太郎~」 (2)氏族の名に付けて, その氏族の出身であることを表す。 「藤原~」 (3)助数詞。 尊敬の意をこめて人数を表すのに用いる。 「人(ニン)」の尊敬語。 「御出席の三~」

城氏 (平氏)

一方これと呼応する形で、旧本拠地の越後国においては、長茂の甥(資永の遺児)である城資盛とその叔母(資永・長茂の妹)坂額御前が挙兵した。『吾妻鏡』に「城郭(鳥坂城)を越後の国鳥坂に構う」と記録されるが、最終的には佐々木盛綱率いる幕府軍によって鎮圧される(その際、坂額は女性でありながら百発百中の腕前を披露したという)。資盛は脱出して

湯浅氏 (源氏)

清和源氏の足利義兼の子桃井義胤が桃井氏の祖となり、義胤四世桃井尚義の孫の桃井義盛の弟、河内守桃井貞職が母方の湯浅姓を名乗ったという(『湯浅家系図』)。山子田御堀に中世の館跡があり、本家はこの一角に居を構え、今でも御掘の家といわれる。 代々名主で榛名山中腹のに仕え、吾妻山の吾妻神社を奉祀、祭祀も司る。一族からは、1868年(明治元年)、

姓氏

⇒ せいし(姓氏)

同氏

その人。 前に述べた人。

尚氏

琉球の王家。 一五世紀初頭, 第一尚氏尚巴志が本島を統一。 一六世紀初頭, 第二尚氏尚真が琉球諸島を統一。 のち, 中国皇帝の冊封(サクホウ)を受け, 1609年には島津氏に服属, 日清両属のまま明治に至った。

氏族

〔clan〕 祖先を同じくするという認識のもとに構成される血縁集団。 しばしば外婚の単位となっている。 一般には, 父系もしくは母系の単系血縁集団である。 日本においては, 氏族は外婚規制の単位とならず, 父系的傾向をもった集団であった。

氏名

名字。 姓。

某氏

ある人。 名前がわからない場合や意図的に名前を隠す場合に用いる。 「~の推薦による」

氏名

苗字と名前。 氏(ウジ)と名。 姓名。 「~を書く」「~を名乗る」

慈氏

〔仏〕 〔梵 Maitreya「弥勒(ミロク)」の意訳〕 弥勒の異名。 慈氏菩薩。 慈氏尊。

藤氏

〔「とうじ」とも〕 藤原氏。