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Деталі слова

中堂

[ちゅうどう]
(1)中央に位置する堂。 天台宗で, 本堂のこと。
(2)特に, 比叡山延暦寺の根本中堂のこと。
「おほくは~にのぼらせたまはむとなり/大鏡(三条)」
(3)昔, 中国で宰相が政治を執った所。 また, 宰相のこと。

Пов'язані слова

中山堂

官・安藤利吉(台湾総督)の降伏調印式が台北公会堂で行われ、同年中華民国政府により台北市中山堂と改称され、1949年の中華民国政府の台湾への移転後は中山楼が完成する1966年まで国民大会の議事堂として用いられた。 市民集会の場所として建設された台北公会堂は、1936年当時、その規模と設備は東京、大阪、

田中塊堂

院高等女学校(現帝塚山学院中学校・高等学校)にて教職に就いた。1966年(昭和41年)より帝塚山学院大学教授。 古写経の調査・研究分野でも知られ、「古写経綜鑒」(1942年)、「日本古写経現存目録」(1973年)を刊行しているほか、1961年(昭和41年)「書道より見たる日本写経史の研究」で龍谷大学文学博士となった。

中西悟堂

根県能義郡(現・安来市)の長楽寺の住職となり、1922年(大正11年)には松江市の普門院の住職となる。同年、第一詩集『東京市』を出版。その後詩集『花順礼』、『武蔵野』を出版する。 1926年(昭和元年)、千歳烏山(現在の東京都世田谷区烏山)に移り住み、詩壇と決別し本格的作家をめざし田園生活に入る。質

田中王堂

1924年(大正13年)4月5日 : 次女が死去。 1929年(昭和04年) : 早稲田大学の文学部教授となる。 1932年(昭和07年)5月9日 : 全身衰弱のため死去。朝日講堂で無宗教の哲学葬がおこなわれる。 実父・田中七郎 - 富岡村の名主を務めた素封家だったが、侠心が多かったため産を傾け、王堂が生まれた頃は貧しかった

中村素堂

1923年、書道団体である貞香会を創立・主宰。 1924年、東京市立商業学校に出講、鉄道省大臣官文書課に任官。 1933年、説文研究会を創立。 1939年、全国青年学校教科書に素堂手本執筆。 1940年、日本芸術院展覧会審査員、泰東書道院、三楽書道会審査員。

根本中堂

根本中堂(こんぽんちゅうどう)は、天台宗の比叡山延暦寺の総本堂である「延暦寺根本中堂」のことを意味すると解説する事典・辞典が多い。 しかし、天台宗の寺院の中には、本堂に当たる堂舎を「根本中堂」と呼んでいる寺院がある。 立石寺(山形県山形市) 寛永寺(東京都台東区) 清水寺(兵庫県加東市) ^ 根本中堂とは

中部講堂

2005年にテレビ朝日系列で放送されているタモリ倶楽部でストーブの販売宣伝に使われたことがある。その際、タモリは購入しなかった。 長崎大学における特別講演などの式典や新歓祭などの学内のイベント時に使用される。 かつては入学式や卒業式時にも使用されていたが、学生の増加に伴い収容しきれなくなったため、現在入学式・卒業式は長崎ブリックホールで行われている。

中村確堂

を強調し、大正4年(1915年)11月改めて確堂の功績が認められ従五位に叙された。 著書 「評本文章軌範」(頼山陽他 亀谷竹二 1878年) 「文章正鵠」(敬文堂 1879年) 「尚友小史 第1輯」(混々舎 1892年) 「高等小学文範」(岡千仭共著 金港堂 1884年) 「初等小学文範 全3巻」(進藤政斎共著

堂堂

(1)いかめしく立派なさま。 「威風~」「~たる偉容」「~の行進」 (2)恐れず立派に行うさま。 「正々~」「~と意見を発表する」 (3)こそこそせず公然と行うさま。 「白昼~と銀行に押し入る」 <i>~の陣(ジン)</i> 〔孫子(軍争)〕 陣容が整い意気盛んな軍陣。

中崎公会堂

落成記念では夏目漱石の講演が行われた。漱石はこの建物について「成程あれ程の建物を造れば其中で講演をする人を何処からか呼ばなければ所謂宝の持腐れになる許でありませう」と評したという。公会堂では、その後も菊池寛や佐藤春夫の講演が開催された。夏目漱石の講演については、内田百閒が随筆『百鬼園随筆

中正紀念堂

52167 中正紀念堂(ちゅうせいきねんどう、繁体字中国語: 中正紀念堂、英語: Chiang Kai-shek Memorial Hall)は、中華民国の台北市中正区に位置する施設。初代総統である蔣介石の顕彰施設である。台湾の3大観光名所の1つであり、中国の伝統的な宮殿陵墓式が採用されている。なお中正

堂

※一※ (名) (1)神仏をまつる建物。 (2)多くの人の集まる建物。 (3)客に接したり, 礼楽を行なったりする所。 正殿。 ※二※ (接尾) 屋号・雅号, または建物の名などにつけて用いる。 「静嘉~」「哲学~」 <i>~に入(イ)・る</i> 〔「堂に升(ノボ)り室に入らず」から〕 学問や技術が奥深いところまで進んでいる。 転じて, 物事に習熟している。 身についている。 「~・った挨拶」 <i>~に升(ノボ)り室(シツ)に入らず</i> 〔「論語(先進)」。 孔子が子路の学問について, 建物には登ったがその奥にある部屋にはまだ入っていないと評したことから〕 学問や技芸は上達したが, いまだ奥義を究めていないことのたとえ。

中正紀念堂駅

中正紀念堂駅(ちゅうせいきねんどうえき)は中華民国(台湾)台北市中正区にある、台北捷運の駅、副駅名は「南門」。 台北捷運 淡水信義線(当駅が淡水線と信義線の境界) - 駅番号は「R08」 松山新店線(当駅が新店線と小南門線の境界) - 駅番号は「G10」 萬大中和線 - 駅番号は「LG01」(事業中)

中尊寺金色堂

しら)」と称し、ヒバ材の八角柱の周囲にかまぼこ状の形をした杉材を貼り付けて円柱に仕立てている。これは、柱の表面を漆工芸で装飾するためであると共に、干割れを避けるための措置である。巻柱には蒔絵と螺鈿で宝相華文(ほうそうげもん)と仏像が表されている。仏堂内部に壁画ではなく漆工芸で仏像を表現しているのは

堂崎天主堂

堂崎天主堂(どうざきてんしゅどう)は、長崎県五島市の福江島にあるキリスト教(カトリック教会)の聖堂である。江戸時代からのキリスト教禁教令廃止以降、五島列島で最初に建てられた聖堂で、1974年(昭和49年)に堂崎教会(どうざききょうかい)の名称で長崎県指定有形文化財に指定され、現在は堂崎天主堂キリシタン資料館として活用されている。

延暦寺根本中堂

山徒24人が根本中堂に立て籠もって火をつけ集団自決する事件が起きた。嘉吉3年(1443年)頃までには復興する。 嘉吉3年(1443年)には南朝復興を目指す後南朝や日野家などが京都の御所から三種の神器の一部を奪う禁闕の変が起こると、一味が根本中堂に立て篭もり、朝廷から追討令がでた事により幕軍や山徒により討たれる事件も発生した。

会堂

(1)集会のための建物。 (2)キリスト教の教会堂。

満堂

堂いっぱいに満ちていること。 また, 堂にいる人全部。 満場。

令堂

(1)他人の家を敬っていう語。 (2)他人の母を敬っていう語。 御母堂。