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Деталі слова

吉弥侯部真麻呂

延暦14年(795年)5月)は、奈良時代の俘囚。位階は外従五位下。 称徳朝の神護景雲元年(767年)10月、伊治城の築城終了の行賞にあたっての天皇の勅により、狄徒を馴服させた功により、外従五位下から外正五位下に叙せられている。ただし、この真麻呂が、以下の記述の真麻呂と同一人物であるのかは不明である。かりに同一人物だ

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丈部真麻呂

入集。なお、『万葉集』巻20には遠江国の丈部氏の氏人として、ほかに真麻呂と同じ山名郡の丈部川相、佐野郡の丈部黒当の記載がある。 時々の花は咲けども何すれぞ母とふ花の咲き出来ずけむ(万葉集20-4323) ^ 筑紫に赴く途中に詠んだ歌。袋井中学校(静岡県袋井市川井)に歌碑がある。 中西進訳『万葉集 全訳注原文付』講談社、1978年。

榎吉麻弥

榎吉 麻弥(えのよし まや、8月4日 - )は、日本の女性声優。愛知県出身。ヴィムス所属。 日本ナレーション演技研究所出身。 太字はメインキャラクター。 2014年 最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。(テニス部部員A) 2015年 暁のヨナ(観客) 青春×機関銃(メイド) 2016年 はんだくん(鈴ノ木広恵)

吉美侯部

築城の首長としてかかる計画を立て築造を成し今このような美功となったので、特に従五位上を賜り、また外従五位下吉弥侯部眞麻呂は先を争って殉国し遂に狄徒を馴服帰順せしめたので特に外正五位下に進階させる。このほか、諸軍の軍毅以上の者、諸国の軍士、蝦夷の俘囚等で築城に協力的に取り組んだ叙位者は、鎮守将軍が宜しく評定して奏聞すること。」

麻呂

〔「まろ(麻呂)」の転。 中世後期以降の語〕 ※一※ (接尾) (1)人名, 特に稚児に用いる。 「牛若~」「蝉~」 (2)刀, 楽器, その他の器物の名に用いる。 「膝切~」「抜~」 (3)船の名に用いる。 「咸臨~」 (4)種々の物や人名などに付けて, 親愛の意を表す。 「翁~」「もず~」 ※二※ (代) 一人称。 中世後期, 天皇またはこれに準ずる人が用いた。 「~が千人の后のましませども/御伽草子・熊野」

麻呂

※一※ (代) 一人称。 わたし。 身分の上下や男女を問わず使用した。 「~が父(チ)/古事記(中)」 ※二※ (接尾) (1)人名に付いて, 主として男子の名をつくる。 「柿本人~」「和気清~」 (2)人の呼称や動物の名などに付いて, 親愛の意を表す。 「うま~」「さる~」

阿部仲麻呂

日本宣教学会常任理事。上智大学大学院神学研究科(神学)、日本カトリック神学院(哲学・神学)、桜美林大学などの兼任講師を務める。 国際日本文化研究センター客員研究員(仏教学)。公共哲学京都フォーラム・コメンテーター(公共哲学)。サレジオ会士である。 1968年、東京都出身。1982年、カトリックの洗礼

川部酒麻呂

さかまろ、生没年不詳)は、奈良時代の人物。姓はなし。官位は外従五位下・松浦郡員外主帳。 肥前国松浦郡の人。天平勝宝4年(752年)遣唐使第4船の舵取として唐に渡る。天平勝宝6年(754年)帰国の途中、海上で強い順風が吹いていた所、突如船尾から出火して艫に燃え広がる火災が発生。この際、酒麻呂は舵を回して船首を風上に向け、すぐ傍に火が燃え広

卜部平麻呂

臣氏族とし、卜部嶋足あるいは卜部宮守の子とする系図もある。 幼い頃から亀卜(亀甲を焼くことで現れる亀裂の形(卜兆)により吉凶を占うこと)を習得した。神祇官の卜部となり、亀卜により義疑を決するにあたって能力を発揮したという。卜術に優れていたことから、承和5年(838年)の遣唐使に加わり入唐する。翌年

丈部稲麻呂

丈部 稲麻呂(はせつかべ の いなまろ、生没年不詳)は、奈良時代の防人。 駿河国の人物。天平勝宝7年(755年)2月、防人として筑紫に派遣された際、筑紫に向かう道中で父母を思い詠んだ歌が『万葉集』に1首入集。 父母が 頭かき撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる [脚注の使い方] ^ デジタル版

丈部竜麻呂

の 命(みこと)恐(かしこ)み おしてる 難波(なには)の国に あらたまの 年経(ふ)るまでに 白たへの 衣(ころも)も干さず 朝夕(あさよひ)に ありつる君は いかさまに 思ひいませか うつせみの 惜(を)しきこの世を 露霜の 置きて去(い)にけむ 時にあらずして 訳:「天雲の

矢田部黒麻呂

斎食(さいじき、服喪の間の食事は午後は抜く)を16年続け、終始かかさなかった。そこで宝亀3年(772年)11月、天皇はその雑徭を免じて孝行を顕彰した、とある。。これは賦役令17の「孝子順孫条」によるものである。 礼記の定める斎食

書麻呂

子ともども討ち取られて、妃や側室は自殺した。 このような事件の首謀者の一員であったにもかかわらず、白雉5年2月(654年)に遣唐押使を高向史玄理、大使河辺臣麻呂、副使薬師恵日を中心とする遣唐使一行の中に、「判官」として大乙上(「或本」では小山下)の「書直麻呂」の名前がある。翌斉明天皇元年8月(65

夢麻呂

ウド鈴木の名付け親。 2008年に行った「夢麻呂トークライブVol.1しゃべりまくるぜ90分〜夢麻呂父ちゃんの子育て日記〜」では、ステージで90分どころか2時間以上も一人で喋り続けた。 2002年2月22日にYANKEE STADIUM 20XXに出演していたダンサーの渋谷洋子と入籍。

真麻

〔「さ」は接頭語〕 アサの別名。 麻(オ)。 「麻衣に青衿着けひた~を裳(モ)には織り着て/万葉 1807」

真麻

(1)カラムシの別名。 また, カラムシの茎の繊維で作った麻糸。 ﹝季﹞夏。 (2)〔「間男(マオ)」と同音であることから〕 密通。 また, まおとこ。

大春日真野麻呂

暦では11月2日が冬至となる事象が発生。閏10月末に諸家での議論の結果、暦をずらして朔旦冬至とすべきとの結論が出た。この結論を受けて真野麻呂と陰陽博士・笠名高らに対して、暦をずらすことによる影響(二十四節気の錯誤など)の有無について下問がなされた。これに対して真野麻呂らは暦術

倭文部可良麻呂

常陸国の人物。天平勝宝7年(755年)2月、防人として筑紫に派遣された際詠んだ長歌が『万葉集』に1首入集。 足柄の み坂たまはり 顧みず 我は越え行く 荒し男も 立しや憚る 不破の関 越えて我は行く 馬の蹄 筑紫の崎に 留居て 我は斎はむ 諸は 幸くと申す 帰り来まてに [脚注の使い方] ^ a b 『万葉集』20巻-4372

和邇部大田麻呂

貞観7年(865年)10月26日卒去。享年68。最終官位は雅楽権大允外従五位下。 『日本三代実録』による。 天長年間初頭:雅楽百済笛師 天長年間:唐笛師 時期不詳:雅楽少属。雅楽大属 斉衡3年(856年) 日付不詳:雅楽権少允 時期不詳:正六位上。雅楽少允 貞観3年(861年) 正月21日:外従五位下

丈部路祖父麻呂

無事届いた。なお、流罪・死罪は太政官で審議して、書類を天皇に回覧することになってもいた。 天皇は、以下のように詔した。 「人の五常(=仁義礼智信)を稟(う)くるに仁義斯(こ)れ重く、士の百行(はくかう)有るに孝敬(かうけい)を先とす。今、祖父麻呂ら、身を没(しづ)めて奴(やっこ)と為り、父が犯せる罪