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Словник

Деталі слова

尋常

[じんじょう]
※一※ (名・形動)
〔「尋」は八尺, 「常」はその二倍の意で, わずかな長さ・広さを表す〕
(1)特に変わった点のない・こと(さま)。 あたりまえ。 並み。 普通。
「~の手段ではうまくいくまい」
(2)特に悪い点がなく, 普通な・こと(さま)。
「~な顔立ち」
(3)振る舞いなどが見事なこと。 見苦しくないこと。 また, そのさま。 殊勝。
「いざ~に勝負しろ」「~に白状しろ」
(4)人柄が素直で品のよい・こと(さま)。
「まことに~なる女房, 装束もやさしき体なる/沙石 7」
(5)かなり立派なこと。 かなりな程度のこと。 また, そのさま。
「よき馬に~の鞍置きて/今昔29」
※二※ (名)
「尋常小学校」の略。
「~三年」

Пов'язані слова

尋常科

尋常科(じんじょうか)とは、学校教育法施行以前の日本の旧制学校における課程の名称。より高い上位の課程である「高等科」と対で用いられる。 旧制小学校の「尋常科」は義務教育期間である尋常小学校の課程をいい、修業年限は就学義務年齢の6歳から6年間であった。1941年の国民学校令により「初等科」と改称された。

尋常性痤瘡

1) 粟粒性壊死性ざ瘡(L70.2) 痘瘡性ざ瘡(L70.2) 熱帯性ざ瘡(L70.3) 小児ざ瘡(L70.4) 新生児ざ瘡(L70.4) 若年性女子表皮剥離性ざ瘡(L70.5) ステロイドざ瘡(L70.8) 膿痂疹性ざ瘡(L70.8) ざ瘡(L70.9) ざ瘡様発疹(L70.9) 顔面ざ瘡(L70

尋常小学校

尋常小学校(じんじょうしょうがっこう、旧字体: 尋󠄁常小學校󠄁、英語: ordinary elementary school)とは、明治維新から第二次世界大戦勃発前までの時代に存在した初等教育機関の名称。 1886年(明治19年)4月10日 - 文部大臣森有礼により小学校令(第1次)が公布される。

尋常性白斑

な皮膚疾患である。先天性の遺伝子疾患であるアルビノと異なり、後天性疾患である。別名はしろなまず(白癜)。 米国の歌手、マイケル・ジャクソンの外観はこの病気によるもので、そのことが公にされたのは司法解剖後であった。 原因は不明な

尋常小学唱歌

(金剛石・水は器) 八岐の大蛇 舞へや歌へや 鯉のぼり 運動会の歌 加藤清正 海 納涼 忍耐 鳥と花 菅公 三才女 日光山 冬景色 入営を送る 水師営の会見 斎藤実盛 朝の歌 大塔宮 卒業生を送る歌 明治天皇御製 児島高徳 朧月夜 我は海の子 故郷 (ウィキソースによる歌詞) 出征兵士 蓮池 燈台 秋 開校記念日

尋

〔「尋」は両手を広げた長さ〕 長さの単位。 古く中国では六尺五寸, 日本では六尺または五尺をあらわした。 〔日本では「尋」の字を「ひろ」に当てて用いた〕

尋

〔広(ヒロ)の意〕 両手を左右に広げたときの, 一方の指先から他方の指先までの距離。 長さの単位として用い, 縄・釣り糸・水深をはかるのに用いる。 江戸時代には一尋は五尺(約1.5メートル)または六尺(約1.8メートル)であったが, 明治以降は六尺とする。

尋常高等小学校

尋常高等小学校(じんじょうこうとうしょうがっこう)とは、日本において国民学校令(1941年/昭和16年)が施行される前の学校のうち、尋常小学校の課程と高等小学校の課程を一つの学校に併置した小学校のことである。国民学校令の施行とともに、国民学校の初等科・高等科に改組された。

審尋

(1)詳しく訊問すること。 審問。 (2)裁判所が訴訟当事者や訴訟関係人に, 陳述の機会を与えること。

尋問

(1)質問を発して, 強制的に返答させること。 「捕虜を~する」 (2)〔法〕 裁判所・当事者が, 証人・鑑定人などに対して問いただすこと。

千尋

〔「尋」は, 両手を左右に広げた長さ。 中世には「ちいろ」〕 非常な深さ・長さにいう語。 「~の海底」

尋所

「尋承(ジンジヨウ)」に同じ。 「是(=私)も八嶋へ参るが, いまだ案内を知らぬに, ~せよ/平家 11」

千尋

〔「尋」「仞」ともに長さの単位〕 山などがきわめて高いこと。 谷や海などがきわめて深いこと。 ちひろ。 「~の谷」

尋む

跡を求めて行く。 尋ねる。 「夜ぐたちに寝覚めて居れば川瀬~・め/万葉 4146」

万尋

〔一尋(ヒトヒロ)の一万倍の意〕 非常に高いこと。 また, 非常に深いこと。 「~の峰」「~の谷」

尋禅

尋禅(じんぜん、天慶6年(943年) - 永祚2年2月17日(990年3月16日))は、平安時代中期の天台宗の僧。藤原師輔の十男。母は醍醐天皇皇女雅子内親王。 天徳2年(958年)8月に延暦寺の僧で父・師輔と深い繋がりがあり、後に比叡山を再興した中興の祖とされる良源の弟子となる。それはのちのちには良源の後継者となる予定のものであった。

覚尋

覚尋(かくじん、長和元年(1012年) - 永保元年10月1日(1081年11月4日))は、平安時代中期の延暦寺の僧。父は左馬頭藤原忠経(権大納言藤原道頼の子)。 第32代天台座主の明快の入室弟子としてその門下に学ぶ。承保2年(1075年)から始まった法勝寺の造営に当たってはその導師を務め、承暦元年

王尋

ちに宛へ向かうべきであると進言した。しかし王邑・王尋は聞き入れず、昆陽を包囲した。王邑・王尋は、昆陽城を守備していた漢軍の王鳳らの降伏を赦さず、荘尤の諫言を無視して包囲を強めた。そのため、窮鼠の王鳳らは必死で抵抗する。 昆陽攻略にてこずっている間に、宛は劉縯により陥落した。さらに6月、昆陽城内から脱

成尋

年(1041年)大雲寺別当に就任。延暦寺総持院阿闍梨となり、藤原頼通の護持僧となった。1072年(延久4年)北宋へ渡り、天台山や五台山など智者大師の聖跡・諸寺を巡礼。神宗に謁見し、祈雨法を修して善慧大師の号を賜った。また、円仁や奝然の旅行記と恵心僧都源信の『往生要集』を宋にもたらし、一方で経典など6