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Словник

Деталі слова

巍乎

[ぎこ]
(山などが)高く大きいさま。
「~たる楼閣を起す/春(藤村)」

Пов'язані слова

巍巍

(1)高く大きいさま。 「~たる岩峰」「~と雲を凌ぐ高楼/花間鶯(鉄腸)」 (2)おごそかで威厳のあるさま。 「神徳~たり/栄花(鳥の舞)」

牢乎

しっかりとしてゆるがないさま。 「~として動かず/自然と人生(蘆花)」

儼乎

おごそかなさま。 いかめしいさま。 「~たる師としての態度/蒲団(花袋)」

確乎

しっかりしていて, 容易に動かされないさま。 「~たる信念」「~とした決意」

澹乎

静かでゆるやかなさま。 澹然。 「彼は~として之を憂ひず/ヱマルソン(透谷)」

知乎

「論語・爲政」:子曰:「由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知、是知也。」 「論語・子罕」:吾有知乎哉?無知也。有鄙夫問於我、空空如也。我叩其兩端而竭焉。 現代語訳:(孔先生のお言葉、北の宋の子罕)、「吾に知恵あるかしらん。知恵なき也。ますらおのこでも聞かれるものな

万乎

1724年10月1日(享保9年8月15日))は江戸時代前期から中期の俳人。伊賀上野の豪商。屋号は大坂屋。通称は次郎大夫。剃髪して証厭坊(房)といった。 伊賀上野において、俸禄米で金を融通する「お倉屋」を営む裕福な商人であった。松尾芭蕉の旧主家筋に当たる藤堂新七郎家に対し、金銀の貸し付けを行っていたと見られる証書が残されている。

巍然

高くそびえ立つさま。 抜きんでて偉大なさま。 「五重~と聳えしさま/五重塔(露伴)」

魏巍

2008年8月24日、病気のため北京にて88歳で死去。 『両年』、1951年 『黎明風景』、1955年 『不断集』、1963年  『魏巍詩選』、1985年 『紅葉集』、2007年 『長空怒風』、1952年 『地球的紅飄帯』、1988年 『火鳳凰』、1997年 『東方』、1978年 『懐人集』、1980年 『志愿軍叔叔和朝鮮小姑娘』、1952年

乎非王

また、応神天皇の曾孫、忍坂大中姫命の甥、継体天皇の祖父に当たり、同父兄弟には阿居乃王(あけのみこ)や都紀女加(つきめか)が推定されている。牟義都(むげつ)国造伊自牟良君の女 ・久留比売命(くるひめのみこと)を妻とし、汙斯王(うしのおおきみ、彦主人王)を生んだ。

中山巍

半年間休学したことで留年することになる。 1922年(大正11年)、東京美術学校研究科を修了、同年フランスのパリに留学。在欧中に里見勝蔵の紹介でモーリス・ド・ヴラマンクに師事。在欧中は里見勝蔵を始め前田寛治、宮坂勝、小島善太郎、佐伯祐三、中野和高、高畠達四郎、福沢一郎、林竜作らと交遊した。

旗田巍

旗田 巍(はただ たかし、1908年11月7日 - 1994年6月30日)は、日本の東洋史学者、旧・東京都立大学名誉教授。 1908年、慶尚南道馬山生まれ。1931年東京帝国大学東洋史学科卒業。卒業後満鉄調査部に所属し華北農村慣行調査に参加した。 戦後は旧・東京都立大学助教授、教授を務め、1972年

谷本巍

を卒業。在学中の1951年、日本農民組合に入る。1958年全日本農民組合連合会(全日農)を結成し、米価、酪農などの各運動を指導。全日農青年部書記長、中央常任委員などを経て、1969年書記長に就任。米価審議会委員も務めた。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区に日本社会党から立候補して当選し、2期務めた。

中村巍

^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』456頁。 ^ a b 『新興日本名士録』なねの部 p.30 ^ 『代議士詳覧』p.376-377 ^ 『新代議士名鑑』p.329 ^ 『官報』第1773号、大正7年7月1日 ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。

孫宅巍

南京事件の地理範囲を南京市(いわゆる南京行政区、近隣6県を含まない)として研究している。 南京における中国側兵力について1985年に「評唐生智在保衛戦中的功過」で南京防衛軍を10万人としていたが、1988年に「南京保衛戦史」で15万人に上方修正した。また従来、日本兵による虐殺被害者数を30万人としてきたが、2000年に「江海学刊」で算

弖爾乎波

〔博士家(ハカセケ)のヲコト点の四隅の点を左下から右回りに続けて読むと「てにをは」となることからの名称〕 (1)漢文を訓読するとき, 補読しなければならない, 助詞・助動詞・活用語尾・接辞などの古称。 てには。 (2)助詞・助動詞の用法。 言葉づかい。 (3)助詞のこと。 (4)話の前後関係。 話のつじつま。 <i>~が合わない</i> (1)助詞・助動詞の用法が適切を欠く。 てにはが合わない。 (2)話のつじつまが合わない。

加藤郁乎

角川書店, 1996 江戸俳諧にしひがし 飯島耕一共著 みすず書房, 2002 市井風流 俳林隨筆 岩波書店, 2004。山本健吉文学賞評論部門受賞 坐職の読むや みすず書房, 2006 俳の山なみ 粋で洒脱な風流人帖 角川学芸出版, 2009 俳人荷風 岩波現代文庫, 2012 エトセトラ 薔薇十字社

乎多氐命

人、外□八位□大伴部足猪らに「大伴白河連」を、黒川郡の人の外少初位上大伴部真守および行方郡の人の外少初位上大伴部兄人には「大伴行方連」を与えたとある。 なお、『続日本紀』神護景雲3年11月己丑条には、「先祖が紀伊国名草郡片岡里から征夷軍に従って陸奥国小田郡嶋田村に移住した」という大伴部押人についての記述がある。

犬塚盛巍

『官報』第4045号「彙報-官吏薨去」1896年12月21日。 ^ 『太政官日誌』明治7年 第166号 。 ^ 国立文書館『検事犬塚盛巍判事ニ転任并検事野崎啓造増俸ノ件』 ^ 『官報』第92号「叙任」1883年10月16日。 ^ 『官報』第92号「官庁彙報」1883年10月16日。 ^ 『官報』第315号「官庁彙報」1885年7月17日。