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Словник

Деталі слова

支婁迦讖

没年不詳)は、中国後漢の霊帝と献帝の時代に、西域より渡来した訳経僧である。月氏の出身。支楼迦讖、支讖とも称される。 中国に来朝したのは、桓帝代の末期(167年頃)であり、安世高の来朝よりは少し遅れる。都の洛陽に来て、初めて大乗経典を漢訳した。その活動は約20年間に及び、14部の大乗経を漢訳した。

Пов'язані слова

讖

未来の禍福吉凶を説くこと。 予言。 また, それを記したもの。 未来記。

婁

二十八宿の一。 西方の星宿。 婁宿。 たたらぼし。

讖語

未来の吉凶・禍福を説く言葉。 予言。

讖緯

讖緯(しんい)とは、古代中国で行われた予言のことであり、讖緯の説、讖緯思想、図讖などと呼ばれている。 元来は、讖と緯とは別のものである。讖とは、未来を予言することを意味しており、予言書のことを「讖記」などと呼んでいる。それに対して、緯とは、儒教の経典に対応する「緯書

曇無讖

ある時、曇無讖は蒙遜に「鬼ありて国内に入る、必ず災疫多からん」と予言、言上した。しかし王はこれを信じなかったため、王に術をかけて透視せしめるや、王は驚き怖れた。曇無讖は「宜しく潔誠斎戒し、神咒もて之を駆るべし」と対処することを決意し、早々に咒を読誦して3日経ち、曇無讖は「鬼は北に去った」と告げた。しば

婁宿

婁宿(ろうしゅく・たたらぼし)は二十八宿の一つで、西方白虎七宿の第2宿。距星はおひつじ座β星。 主体となる星官(星座)としての婁は、おひつじ座β、γ、αの3つの星によって構成される。 婁宿には6つの星官がある。 開店は吉だが、南行は凶といわれる。 ^ 香港太空館 - 中國星區、星官及星名英譯表 ^

挹婁

に住んでいて、いつも穴居している。大きい家は深さがはしご九段ほどある。多いほどよいとされる。)」とある。穴居とはこの場合、地下に穴を掘って住む地下式の住居のことである。『北魏書』巻一〇〇・勿吉伝に「國に大水有り、ひろさ三里餘。速末水と名づく。その地、下濕なり。城を築き、穴居す。屋の形、塚に似たり。口

解婁

解 婁(かい ろう、ヘ ル、朝: 해루、紀元前55年 - 紀元後34年)は、百済の家臣。百済の開国功臣10名中の一人で、大姓八族中の一つである解氏出身の家臣として『三国史記』「百済本紀」の中で初めて登場する人物である。 もとは夫余人。百済5部の北部に属していた。温祚王41年(23年)春正月、右輔の

婁叡

奪をほしいままにして高澄の叱責を受けた。後に九門県公に封じられた。北斉が建国されると、領軍将軍の位を受け、安定侯の別封を受けた。瀛州刺史となったが、醜行は改まらなかった。天保7年(556年)4月、魯陽蛮を討って撃破した。皇建元年(560年)、東安王に封じられ、豊州刺史に任じられた。大寧元年(561年

婁昭

婁 昭(ろう しょう、生没年不詳)は、中国の北魏末から東魏にかけての軍人・政治家。字は菩薩。本貫は代郡平城県。 鮮卑の婁内干の子として生まれた。高歓の妻の婁昭君(武明婁皇后)の同母弟にあたる。若い頃から高歓と親しく、重用された。 普泰元年(531年)6月、高歓が信都で起兵するのに従い、中軍大都督とな

婁燁

婁 燁(ロウ・イエ、1965年3月15日 - )は、中国の映画監督、脚本家である。 1965年3月15日、上海に生まれる。1989年、北京電影学院を卒業する。1994年、『デッド・エンド 最後の恋人』でデビュー。2000年、『ふたりの人魚』を監督する。2003年、チャン・ツィイーと仲村トオルを主演

迦羅

四~六世紀に, 朝鮮半島南部にあった多くの小国。 特に, 金官加羅(金海)や大加羅(高霊)を指す。 また, それら小国群の総称。 次第に新羅(シラギ)・百済(クダラ)に併合され, 562年滅亡。 韓。 伽耶(カヤ)。

莫迦

〔梵 moha(愚の意)の転か。 もと僧侶の隠語。 「馬鹿」は当て字〕 ※一※ (名・形動) (1)知能の働きがにぶい・こと(さま)。 そのような人をもいう。 ⇔ 利口 「~な奴(ヤツ)」 (2)道理・常識からはずれていること。 常軌を逸していること。 また, そのさま。 「そんな~な話はない」「~を言うな」 (3)程度が並はずれているさま。 度はずれているさま。 → 馬鹿に (4)役に立たないさま。 機能を果たさないさま。 「スイッチが~になる」 (5)特定の物事に熱中するあまり, 社会常識などに欠けること。 「学者~」「専門~」「親~」 (6)名詞・形容動詞・形容詞の上に付いて, 接頭語的に用い, 度はずれているさまの意を表す。 「~ていねい」「~正直」「~騒ぎ」「~笑い」「~でかい」 ※二※ (感) 相手をののしったり, 制止したりするとき発する言葉。 「~, やめろ」 <i>~と鋏(ハサミ)は使いよう</i> 切れない鋏でも, 使い方によっては切れるように, 愚かな者でも, 仕事の与え方によっては役に立つ。 <i>~にする</i> 相手を自分よりも劣ったものとみなす。 軽視して油断する。 <i>~に付ける薬はない</i> ばかを治す方法はない。 <i>~にならない</i> 軽くみることはできない。 いいかげんに扱うことはできない。 「交通費も~ない」 <i>~にな・る</i> (1)本来の機能が失われる。 感覚がなくなる。 「ねじが~・る」「鼻が~・る」 (2)ばかを装ってその場を耐えたり切り抜けたりする。 (3)理性的な態度をやめる。 無邪気になる。 「~・って遊ぶ」 <i>~の一つ覚え</i> 愚か者が一つのことだけを覚え, どんな場面にも得意になって持ち出す。 何度も同じ事を言う人をあざける言葉。 <i>~も休み休み言え</i> つまらないことを言うのはいいかげんにやめろ。 <i>~を言え</i> 「ばかなことを言うな」の意で, 相手の言ったことを強く否定し非難するときにいう語。 <i>~を見る</i> つまらない目にあう。 不利益をこうむる。

釈迦

姓名はサンスクリット語の発音に基づいた表記ではガウタマ・シッダールタ(梵: गौतम सिद्धार्थ Gautama Siddhārtha)、パーリ語の発音に基づいてゴータマ・シッダッタ(巴: Gotama Siddhattha)とも表記される。漢訳では瞿曇悉達多(くどんしっだった)である。

己婁王

己婁王(きるおう、生年未詳 - 128年)は、百済の第3代の王(在位:77年 - 128年)であり、先代の多婁王の嫡男。33年に太子となり、77年9月に先王の死去により即位した。諱・諡は伝わっていない。子に蓋婁王。 初期は新羅への侵攻を行ったが、後には新羅との和親策に転じた。両国にとっての北辺にある

蓋婁王

蓋婁王(がいるおう、生年未詳 - 166年)は百済の第4代の王(在位:128年 - 166年)であり、先代の己婁王の嫡男。128年11月に先王の死去により王位についた。諱・諡は伝わっていない。子に肖古王。 132年2月、北漢山城(現在のソウル特別市鍾路区)を築いた。

婁煩県

婁煩県(ろうはん-けん)は中華人民共和国山西省太原市に位置する県。 889年(龍紀元年)、唐代により楼煩監に憲州が置かれ、楼煩県が設置された。1369年(洪武2年)、明代により廃止された。 1971年、静楽県より婁煩県が分割設置され現在に至る。 鎮:婁煩鎮、静游鎮、杜交曲鎮 郷:馬家荘郷、蓋家荘郷、米峪鎮郷、天池店郷

婁底市

- 漣源県の一部が婁底市に編入。(2市3県) 1987年6月10日 - 漣源県が市制施行し、漣源市となる。(3市2県) 1999年1月20日 - 婁底地区が地級市の婁底市に昇格。 1999年1月20日 - 婁底地区が地級市の婁底市に昇格。(1区2市2県) 婁底市が区制施行し、婁星区となる。 2017年1月24日

豆莫婁

豆莫婁(呉音:づまくる、漢音:とうばくろう、拼音:Dòumòlóu)は、6世紀から8世紀にかけて中国東北部の嫩江流域に存在した民族。北夫余の末裔であるが、モンゴル系の言語を話す。大莫盧・達末婁とも表記される。 北夫余が高句麗によって滅ぼされると、その生き残りは那河もしくは他漏河を渡ってそこに住み、豆莫婁となった。