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蘆名義広

蘆名 義広(あしな よしひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、武将。蘆名氏第20代当主。 天正3年(1575年)、佐竹義重の次男として生まれる。天正7年(1579年)、白河義親の養子となる。生母は伊達晴宗の娘・宝寿院。伊達晴宗は蘆名盛高の外孫であるため、義広は蘆名盛高の外玄孫に当たる。

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蘆名氏

相模蘆名氏と会津蘆名氏の二つの系統が存在する。通し字は前者は「為」、後者は「盛」。 三浦義明の弟為清が所持している蘆名の地にちなんで蘆名姓を名乗ったことに始まる。その息子為景の子為久は相模国大住郡石田郷(現神奈川県伊勢原市石田)を領していたが、木曾義仲を討ち取り、褒章と

蘆名盛政

蘆名 盛政(あしな もりまさ)は、室町時代前・中期の武将。蘆名氏の第9代当主。第8代当主蘆名詮盛の子。 父詮盛の後を受けて当主となる。当主就任後はその地位を磐石なものとするため、寺社勢力に所領を寄進してその関係強化に務めた。 応永23年(1416年)からの上杉禅秀の乱では上杉氏憲(禅秀)に与して足

蘆名盛氏

蘆名 盛氏(あしな もりうじ)は、戦国時代の陸奥国の武将・戦国大名。蘆名氏第16代当主。 大永元年(1521年)、第15代当主・蘆名盛舜の子として生まれる。 天文6年(1537年)には伊達稙宗の娘を正室に迎え、天文10年(1541年)に父・盛舜から家督を譲られた。

蘆名盛隆

永禄8年(1565年)に父・盛義が蘆名盛氏に敗れて降伏した際、人質として会津の盛氏の許に送られた。ところが、天正2年(1574年)に蘆名氏17代当主・蘆名盛興が継嗣を残さずに早世すると、盛興未亡人の彦姫と結婚したうえで、盛氏の養子となって18代当主となる。天正8年(1580年)の盛氏の死去により実権を掌握した。

蘆名盛興

た頃は、盛興は16歳でありそこまで酒乱癖があったかは疑問が呈されており、一方で死因を酒毒とした場合、盛興の病気はかなり長期に渡っていたとも推測される。また、盛興の妻は伊達輝宗へ手紙を送っていたことがあるが、盛興が酒毒を長年患っていた場合、彼女は盛興の代理として輝宗と手紙のやりとりをしていたと考えられる。

蘆名詮盛

蘆名 詮盛(あしな あきもり/のりもり)は、室町時代前・中期の武将。蘆名氏の第8代当主。 興国7年/貞和2年(1346年)、第7代当主・蘆名直盛の子として誕生。 生年から判断して、元服時には足利義詮が将軍であったと思われ、「詮」の字も義詮から偏諱の授与を受けたものと考えられる。次男の満盛(みつもり)

蘆名直盛

は直盛が勢力を拡充させて佐原氏の領地を脅かしていたことの証左とされる。蘆名氏の南北朝期の動静は不明な点が多いが、会津地方に土着したのはこの直盛の代とされる。 元中元年/至徳元年(1384年)に黒川城(後の若松城)の前身となる東黒川館を築いたと伝わる。 七宮涬三『三浦・会津 蘆名一族』(新人物往来社)

蘆名盛員

蘆名 盛員(あしな もりかず)は、鎌倉時代末期の武将。蘆名氏の第6代当主。第5代当主・蘆名盛宗(次郎左衛門尉)の子。 通称は蘆名判官。父・盛宗の後を受けて当主となる。1333年、幕府軍の一員として上洛し、後醍醐天皇を追討しようとしたが、敗れた。1335年7月、北条時行が中先代の乱を起こして挙兵する

蘆名盛信

満直を奥州の諸豪族が襲撃し、自害に追い込むという事件が発生しており、盛信もこれに追随した。領主としては漆樹の栽培を奨励しており、(1449年)には金山漆ろうそくが作られ始めた他会津塗や絵蝋燭など後の会津地方を代表する特産品のきっかけを作った。 宝徳3年(1451年)に没し、跡を子の盛詮が継いだ。 ^

広義

一つの言葉のもつ意味の範囲に幅があるとき, 広い方の意味。 ⇔ 狭義 「~に解釈する」

蘆

〔「あし」が「悪し」に通ずるのを忌んで言い換えた語〕 植物アシのこと。 ﹝季﹞秋。 <i>~の=髄(ズイ)(=管(クダ))から天井(テンジヨウ)を覗(ノゾ)く</i> 葦の茎の管を通して天井を見ても全体が見えないように, 狭い見識に基づいて物事を判断することのたとえ。

蘆

イネ科の多年草。 温帯および暖帯に広く分布し, 水辺に自生する。 地下の長い根茎から高さ2メートル以上に達する稈(カン)(茎)を出し, 群生する。 葉は二列に互生し, ササの葉に似る。 秋, ススキに似た大きな穂を出す。 稈は簾(スダレ)やよしずにする。 「あし」が「悪し」に通ずるのを忌んで, 「よし」ともいう。 ハマオギ。 ﹝季﹞秋。 <i>~をふくむ雁(カリ)</i> 海を越える時, 海上で休むのに用いるため, 葦の葉を口にくわえていくという雁。 → 雁風呂

名義

(1)名前。 特に, 名目上・形式上, 当事者とされている者の名。 「母~の財産」「~を借りる」 (2)法律上の行為の主体, または権利義務の主体として表示されている名称。 (3)名前と, その名に伴うもの。 名分。 「~がたたぬ」 (4)表向きの理由。 名目。

蘆名亀王丸

死去。この後、20代当主の座を巡り、伊達政宗の弟・小次郎と佐竹義重の次男・義広の間で争いが起き、蘆名氏は混迷する。 [脚注の使い方] ^ 『会津旧事雑考』。ただし、佐竹義重は11月2日(旧暦)の時点で亀若丸(亀王丸)の死を把握しており、会津と常陸の距離を考えると、同日よりも以前の死去とみられている(

蘆名千鶴丸

ものである。松寿院自身は江戸の芝増上寺に葬られたが、その遺言によって報身寺に分骨が葬られた。 天寧寺には、千鶴丸供養のために鋳造された青銅製の大仏(阿弥陀如来、佐藤佐治兵衛鋳造、仙北市指定文化財)が参道奥の左側にある。大仏は、蘆名家断絶の原因をつくった沓脱石を土台石にしている。 天寧寺 (仙北市)

蘆谷蘆村

^ a b c d e 山崎 1988, p. 1435 ^ コトバンク(蘆谷蘆村)2017年5月24日閲覧 『百合子姫』(お伽芝居)、中華堂、1909年7月 『発明画談』(片山春帆画)勧業書院、1910年12月 『和歌俳句小品文少年作法』以文堂1911年3月 『両極探検画談』勧業書院、1911年5月

紀広名

支給がないままに舂米を運ぶ状況となっている。従って、以前の通り舂米を運ぶ人ごとに食料を支給すべき。 下総国の井上・浮嶋・河曲の3駅、および武蔵国の乗潴・豊嶋の2駅は東海道・東山道の両方に繋がる駅で、公使の送迎が頻繁に行われるため、本来は小路の駅であるが中路の東海道・東山道の駅に準じて駅馬10頭を設置すべき。

蘆花

⇒ 徳富蘆花

蘆薈

〔近世に, 属名の(ラテン) aloe をロエとよんでこの漢字を当てたもの〕 アロエのこと。