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韜略

[とうりゃく]
(1)兵法の書である「六韜(リクトウ)」と「三略(サンリヤク)」の略。
(2)兵法。 兵略。

Пов'язані слова

六韜三略

六韜三略(りくとうさんりゃく)は、古代の兵法書。ともに太公望呂尚が書いたとされることから、通常併称される。詳細は以下の記事を参照。 六韜 三略 『六韜三略』 - コトバンク 表示 編集 表示 編集 表示 編集

韜晦

〔「韜」はつつみかくす, 「晦」はくらます意〕 自分の才能・地位・身分・行為などをつつみかくすこと。 人の目をくらますこと。 「互に深く~して, 彼豪族らに油断をなさしめ/慨世士伝(逍遥)」

六韜

中国の兵法書。 六巻。 文韜・武韜・竜韜・虎韜・豹韜・犬韜の六章より成る。 太公望呂尚(リヨシヨウ)の著とされるが, 魏晋(ギシン)時代に成立したとみられる。 「三略」と併称される。

王韜

1847年、上海に旅してロンドン伝道会の宣教師ウォルター・ヘンリー・メドハースト(麦都思)の開いた墨海書館を訪れた。そこで彼は活字印刷機に触れて大いに興味を抱いた。墨海書館ではミルン(美魏茶)、ミュアーヘッド(慕維廉)、エドキンズ(艾約瑟)ら宣教師の知遇を得、翌年に墨海書館のスタッフとして招かれた。王韜と宣教師アレクサンダー・ワイリー

黄韜

黄 韜(こう とう、? - 348年)は、五胡十六国時代の人物。豫章郡の出身。 永和4年(348年)12月、孝神皇帝を自称した。臨川出身の李高を相に任じると、数千の衆を集め、自らは犢車に乗り皁袍を着用したという。 その後、臨川を始めとした郡県を荒らし回った。臨川郡太守庾條が鎮圧に赴くと、黄韜は敗北を喫した。これにより乱は平定された。

石韜

いては自らの判断で決める事を許され、報告する必要も無かった。だが、石韜もまた酒色にふけって狩猟を好み、石宣もまた酒を飲んで遊び回っていたので、褒賞や刑罰はみな中謁者令申扁に任せきりとなった。これにより申扁の権力は内外を傾ける程となり、二千石の身分が一門から多数輩出され、九卿以下はみな彼の後塵を拝したという。

霍韜

霍 韜(かく とう、成化23年(1487年) - 嘉靖19年(1540年))は、明の政治家。字は渭先。号は兀崖・渭厓。広州府南海県の人。 正徳9年(1514年)の会試で1位(会元)を取るが家に退いて読書に励んだ。嘉靖帝の即位後に官に召されるが、大礼の議が起きると、嘉靖帝を支持する上奏を行ったことで、

陳員韜

1430年(宣徳5年)、進士に及第した。新城知県に任じられた。1442年(正統7年)、山西道監察御史となった。四川巡按をつとめ、貪婪な官吏を降格し、廉潔な官吏を推奨し、死刑囚40人あまりの冤罪を雪いだ。1448年(正統13年)、官軍が鄧茂七の乱の鎮圧に出動すると、員韜は福建に赴いて民衆の安

黄子韜

後はファン・ズータオもしくはZTAO (ズータオ)名義で活動している。山東省青島市出身、血液型はAB型、家族構成は父と母。中国の個人事務所は黄子韜工作室、韓国の所属事務所SMエンタテインメント(以下SM)との訴訟紛争は未解決。中国のレコードレーベルは北京天浩盛世エンターテインメントで、父が大株主。

鄒韜奮

鄒 韜奮(すう とうふん)は、中華民国の教育者・ジャーナリスト。名は恩潤だが筆名の韜奮で知られる。抗日主張を展開した言論人として知られ、中国国民党(国民政府)の安内攘外政策を厳しく批判した。国民政府の弾圧を受け一時拘禁された「七君子」の一人としても著名である。他の筆名には、因公・落霞・心水・秋月・木

略

(1)はぶくこと。 省略。 「以下~」 (2)おおよそ。 あらまし。 「~年譜」 (3)知恵。 はかりごと。 「政府の~は中々行届いている/福翁自伝(諭吉)」

略

〔漢文訓読に用いられた語〕 だいたい。 あらかた。 「事件は~解決した」「~読み終わった」

韜光養晦

は、多くの人に聞き慣れないものだった。辞書の中には「韜光」の本来の意味は名声や才覚を覆い隠すこと、「養晦」の本来の意味は隠居すること、二つを併せた「韜晦」も記されているが、一般には、爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術を形容するために用いられてきた。 まず、1989年前後の鄧小平の外交路線につい

王韜 (民国)

王 韜(おう とう、中国語: 王韜; 拼音: Wáng Tāo; ウェード式: Wang T'ao、1880年(清光緒6年) - ?)は、中華民国の政治家。字は子猷。山東省登州府福山県の人。清末の改革派思想家として著名な王韜とは同姓同名の別人である。 清朝では湖広総督衙門文案(文書係のこと)や駐日

智略

知恵をはたらかせた, はかりごと。 「武勇・~にすぐれた名将」

劫略

〔「こうりゃく」とも〕 おびやかして奪いとること。 きょうりゃく。 「暫く関東を~して天下の大軍を起こし/太平記 10」

劫略

⇒ ごうりゃく(劫掠)

調略

策略をめぐらして敵をまかしたり内通させたりすること。 はかりごと。

略章

略式の勲章・記章。