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Từ điển

Chi tiết từ

休祥

[きゅうしょう]
〔「休」はめでたい意〕
めでたいしるし。 よい前兆。 吉兆。

Từ liên quan

祥

〔「性(サガ)」と同源〕 しるし。 きざし。 「大雨狭穂より発(フ)り来て面(カオ)を濡らすとみつるは, 是何の~ならむ/日本書紀(垂仁訓)」

祥

きざし。 しるし。 特に, めでたいしるし。 「キキンノ~/ヘボン」

大休宗休

大休宗休(だいきゅうそうきゅう、応仁2年(1468年) - 天文18年8月24日(1549年9月15日))は、戦国時代の臨済宗の僧。出自については不詳である。諱は宗休。道号は大休。諡号は円満本光国師。 幼いとき京都の東福寺永明庵で出家して学び、のち龍安寺の特芳禅傑に師事して参禅し、その印可を受けた

瑞祥

めでたいしるし。 吉兆。 祥瑞。 「~が現れる」

清祥

手紙文で, 相手が幸福に暮らしていることを祝う意で用いる語。 「御~の由」

発祥

(1)〔詩経(商頌, 長発)〕 天子となるめでたいしるしがあらわれること。 (2)物事が起こりあらわれること。

祥瑞

中国, 明末・清初に作られた染め付け磁器。 素地は精白で, 丸紋のつなぎ, あるいは散らしの中に, 花鳥風月・人物・幾何学模様などを描いたものが多い。 諸説あるが日本の茶人の注文により, 中国の景徳鎮で焼かれたものと思われる。 底に「五良大甫呉祥瑞造」の銘があり, 古来染め付け磁器の最上とされる。 祥瑞手。 呉祥瑞。 〔銘は「呉」「祥瑞」ともに地名とする説, 「五良大甫」「呉祥瑞」は人名とする説などがある〕

祥気

めでたいことが起こりそうな気配。

嘉祥

年号(848.6.13-851.4.28)。 承和の後, 仁寿の前。 仁明(ニンミヨウ)・文徳(モントク)天皇の代。

嘉祥

陰暦六月一六日の行事。 室町後期に始まったというが, 起源・由来などは未詳。 江戸時代には大名・旗本が総登城して, 将軍から菓子を賜る儀式が行われた。 嘉祥食い。

祥雲

めでたいきざしの雲。 瑞雲(ズイウン)。

祥忌

人の死亡した月日と同じ月日。 祥月(シヨウツキ)命日。

多祥

幸いの多いこと。 多幸。 「御~をお祈りします」

不祥

(1)めでたくないこと。 縁起が悪いこと。 また, そのさま。 不吉。 「~な出来事」 (2)運の悪いこと。 不運。 不幸。 「兼好が~, 公義が高運/太平記 21」

祥瑞

めでたいことのあるしるし。 吉兆。 瑞祥。 → しょんずい

祥興

3年を「5年」としているが、この場合1279年改元が符合する。 『元史』巻12 本紀第12 世祖9 (至元二十年冬十月庚子)建寧路管軍総管黄華叛,衆幾十万,号頭陀軍,偽称宋祥興五年,犯崇安、浦城等県,圍建寧府。 李崇智 『中国歴代年号考 修訂本』(北京:中華書局,2001年1月) ISBN 7101025129 168

孫祥

孫 祥(そん しょう、Sun Xiang, 1982年1月15日 - )は中華人民共和国・上海市出身の元サッカー選手。元中国代表。現役時代のポジションはディフェンダー。 2004年から中国代表に定着し、同年のAFCアジアカップやFIFAワールドカップ・アジア1次予選、翌2005年の東アジア選手権に

祺祥

sabingga)は、清の同治帝の代に公布されながら、施行されなかった元号。1861年。 1861年8月22日(咸豊11年7月17日)に、咸豊帝が熱河(現在の承徳)で崩御すると、粛順らが顧命大臣として朝政を補佐し、9月3日に祺祥と改元することが定められた。 しかし、11月2日に辛酉政変が発生すると、西太后一派が主導権を握り、11月7日に

薛祥

んでいたため、棄市を命じた。薛祥は洪武帝の側近にあって、「事実に即さないことで人を殺せば、不法なるを恐れます」と言って争い、腐刑を用いるよう進言した。薛祥はしばらくして「腐刑は人の尊厳を奪うものです。工匠に対しては杖罰を用いるのがよいでしょう」と上奏した。洪武帝はこれを許可した。