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Từ điển

Chi tiết từ

大中臣安則

大中臣 安則(おおなかとみ の やすのり)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・伊勢神宮祭主。参議・大中臣子老の曾孫。駿河守・大中臣道雄の六男。官位は従四位上・神祇伯。 宇多朝の寛平6年(894年)正六位上・神祇権大祐のときに伊勢神宮祭主に補せられ、翌寛平7年(895年)従五位下・神祇権大副に叙任

Từ liên quan

徐則臣

2005年4月、第4回春天文学賞。 2007年、第1回西湖中国新銳文学大賞。 2008年、『午夜之門』、第6回華語文学傳媒大賞之2007年度最具潜力新人賞。 2009年、第12回庄重文文学賞。 2014年8月6日、『耶路撒冷』、老舍文学賞長篇小説賞。 2014年8月11日、『如果大雪封門』、第6回鲁迅文学賞短篇小説賞。

中臣大島

漢詩人として『懐風藻』に漢詩作品2首が採録されている。また、草壁皇子のために粟原寺の建立を発願するなど、仏教にも理解を示した。 談山神社所蔵の「栗原寺三重塔伏鉢」(国宝)銘文からは大嶋の夫人である「比売朝臣額田」(ひめのあそみぬかだ)が80歳近くまで生きたことがわかる。「比売」という氏族は他に現われないので

大中臣氏

つかさどった貴族である。 中臣鎌足が藤原姓を賜った後、その子藤原不比等が幼かったため、鎌足の甥で婿養子とも言われる中臣意美麻呂が暫定的に藤原氏を継いだ。後に、成長した不比等に正式に文武天皇の勅が下り、改めて藤原姓は鎌足の嫡男・不比等とその子孫のみとし、他の者は中臣氏に復するよう

安田臣

安田臣(やすだ かたし、1911年9月11日 - 1977年2月9日)は日本人の建築家。建設省営繕局監督課長を経て、1963年に独立。建設省時代に手がけた大分県庁舎、島根県庁舎及びその周辺整備計画にて日本建築学会賞を受賞した。山陰地方に多く作品が見られる。 島根県邑智郡に生まれる。1937年(昭和

大臣

(1)国務大臣のこと。 「大蔵~」 (2)(律令制における)太政官の上官。 太政大臣・左右大臣・内大臣の称。 おとど。 おおいもうちぎみ。

大臣

主だった臣下。 重要な家臣。 ⇔ 小臣

大臣

「だいじん(大臣){(2)}」に同じ。 「誉田天皇, ~武内宿禰を喚して/日本書紀(仁徳訓)」

大臣

「だいじん(大臣){(2)}」に同じ。 「昔, 左の~いまそがりけり/伊勢 81」

大臣

大和朝廷における国政の最高官の一。 臣(オミ)を姓(カバネ)とする豪族の最有力者で, 大連(オオムラジ)とともに国政に参画。 葛城(カツラギ)・平群(ヘグリ)・巨勢(コセ)・蘇我(ソガ)の諸氏が任ぜられたが, 六世紀半ば以後は蘇我氏が独占した。 大化の改新後廃止され, 代わって左右大臣が置かれた。 おおみ。 おおまえつぎみ。 → 大連

大臣

〔「大前つ君」で君の御前に仕える者の意〕 天皇に仕える大官。 最高位の臣。 おおおみ。 おおまちぎみ。 「ますらをの鞆(トモ)の音すなりもののふの~楯立つらしも/万葉 76」

大臣

(1)貴人の邸宅。 御殿。 「~の造りざましつらひざま/源氏(若紫)」 (2)大臣・公家に対する敬称。 「さすがに~のおぼす心あるべしとつつみ給ひて/落窪 1」 (3)女主人に対する敬称。 「北の方の~をば目ざましと心おき給へり/源氏(玉鬘)」 (4)女房に対する敬称。 「かうぶりにて命婦の~とて/枕草子 9」

大臣

(1)財産を多く持っている者。 金持ち。 富豪。 資産家。 素封家。 (2)特に遊里などで, 金を多く使って遊ぶ客。 「まだおれを~とおもつてゐる舟宿がある/洒落本・遊子方言」 <i>~風((ダイジンカゼ))を吹か・す</i> 大金持ちのようにいばったり, 大金を使ったりする。

大中臣頼基

、今日からは君に導かれて永久に生きるだろう)」というめでたい歌を詠んだ。人々はこの歌を称賛したけれども、それを聞いた父頼基は、そばにあった枕を手に取り能宣を強く打った。そして「もし天皇の子の日に召し出されたら、いったいこれ以上のどんな祝い歌を詠むつもりなんだ。この愚か者め」と言って戒め、宮廷歌人と

大中臣能宣

大嘗祭で従四位上、寛和2年(986年)一条天皇の大嘗祭で正四位下と祭主の労により叙位を受けている。 正暦2年(991年)8月に卒去。享年71。 天暦5年(951年)梨壺の五人の一人に選ばれて和歌所寄人となり、『万葉集』の訓読と、『後撰和歌集』の撰集にあたった。冷泉天皇・円融天皇の大嘗会

大中臣豊雄

た。その後神祇少副に昇格するが、貞観3年(861年)神祇伯・中臣逸志らとともに、冒蔭の姧を絶つために大中臣・中臣両氏の絶戸・無身戸を戸籍から除くことを請い、許されて計137烟が除棄された。 貞観5年(863年)従五位下に叙爵し、貞観6年(864年)神祇大副に昇任される。貞観9年(867年)伊勢神宮

大中臣子老

すると、代わって子老が従四位上・参議に叙任され公卿に列する。桓武朝では、議政官として長く神祇伯を務める傍らで式部大輔・右京大夫・宮内卿・右大弁・兵部卿等を兼任、またこの間の延暦3年(784年)には、中納言の藤原小黒麻呂や藤原種継らと共に、遷都のため山城国長岡の地を視察している。延暦5年(786年)正

大中臣親隆

大中臣 親隆(おおなかとみ の ちかたか)は、平安時代後期の公卿・伊勢神宮祭主。神祇権大副・大中臣親仲の三男。官位は正三位・神祇大副、伊勢神宮祭主。 保延2年(1136年)神祇少祐に任ぜられる。保延5年(1139年)従五位下に叙され、永治2年(1142年)神祇権大祐に転じる。

大中臣有本

陽成朝初頭の元慶元年(877年)従五位上に昇叙され、陽成朝では以下の神事に関与している。 元慶2年(878年)大極殿の造営に当たって、大極殿の壇上で百神に対して祈請する。 元慶3年(879年)斎宮・識子内親王の装束司を務めるとともに、群行の儀における対応を行う。 元慶4年(880年)大極殿の造営竣工を諸社に告げる際、稲荷社に派遣される。

大中臣諸魚

。また、延暦11年(792年)母・多治比子姉が卒したが、これに先だって、中臣氏で神祇伯を務める者は、天照大神に仕える神主であることから、代々近親者の服喪のために解官されることがない旨、諸魚は朝廷に申請していた。しかし、諸魚が葬儀に携わらないといっても、そのまま神事に供奉してはならないとして、法令通り