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Từ điển

Chi tiết từ

後晋

[こうしん]
中国, 五代の一。 後唐(コウトウ)の重臣, 石敬瑭(セキケイトウ)が契丹(キツタン)の援助で後唐を滅ぼして建てた中原の王朝(936-946)。 二代で契丹に滅ぼされた。 ごしん。 石晋。

Từ liên quan

天福 (後晋)

天福(てんふく)は、五代の後晋の高祖石敬瑭、及び後漢の高祖劉知遠の治世で用いられた元号。936年 - 944年及び947年。 プロジェクト 紀年法 元年11月:改元。 9年6月:開運に改元。 開運4年2月:後晋滅亡、後漢の高祖劉知遠は天福12年の元号を回復。翌年正月より乾祐に改元。 『旧五代史』巻76

開運 (後晋)

開運(かいうん)は、五代の第3の王朝である後晋において、石重貴の治世で用いられた年号。944年7月 - 946年12月。 後晋滅亡後、劉知遠が後漢を建国すると、947年に天福の元号を復活させた。 『旧五代史』巻83 晋書9 少帝本紀3 改天福九年為開運元年。 他政権の開運

晋

〔「すすむ」は「晋」の訓〕 古代中国の「晋」を同音の「秦」と区別する呼び方。 → はたしん

晋

(1)中国, 周代の諸侯国の一((?-前376))。 汾水(フンスイ)流域(山西省)を中心に紀元前七世紀頃から強盛になり, 南方の楚(ソ)と対立したが, 春秋時代末期に国土は韓・魏(ギ)・趙(チヨウ)に三分され滅んだ。 (2)三国の魏の権臣司馬炎が建てた王朝(265-419)。 都は洛陽(ラクヨウ)。 280年呉を滅ぼし中国を統一したが, 八王の乱により衰え, 316年匈奴(キヨウド)の劉曜に滅ぼされた(西晋)。 翌年, 一族の司馬睿(シバエイ)は建業に拠(ヨ)り晋を再興したが, 419年将軍の劉裕に滅ぼされた(東晋)。 (3)五代の一。

晋山

〔「晋」は進む, 「山」は寺の意〕 僧侶が初めて正式に一寺の住職となること。 「~式」

晋書

中国, 二十四史の一。 晋代の歴史を記した紀伝体の書。 一三〇巻。 太宗の勅命で, 唐の房玄齢(ボウゲンレイ)らの編。 644年頃成立。 本紀一〇巻, 志二〇巻, 列伝七〇巻, 載記(五胡十六国時代史)三〇巻。

西晋

⇒ 晋(2)

東晋

⇒ 晋

原晋

大会中止の可能性も有る」と言及した事については、「今回は沿道観戦に来ないように自粛し、テレビでの応援に協力して貰いたい」「学生達を沢山預かる立場として、いつ我々も感染するか分からない。政治家の皆様は『気の緩み』と国民に責任を押し付けてる気がするので、誰もが安心出来る医療の整備体制を作って頂きたい」等と述べている。

謝晋

乳泉村の子(清涼寺的鐘声)(1991年) 犬と女と刑老人(老人和狗)(1993年) (大上海屋檐下)(1994年) (女児谷)(1996年) 阿片戦争(鴉片戦争)(1997年) 栄光のフォワードNo.9 女子サッカーに捧げる(女足九号)(2001年) [脚注の使い方] ^ “中国映画の巨匠・謝晋監督の死去受け、新宿で追悼上映”

晋語

「晋語」の「晋」は山西省の略称であるが、方言区画としての「晋語区」は行政区画としての山西省=「晋」と同一ではない。「晋語区」の中心地域が、山西省即ち「晋」にあるゆえに、「晋語区」と命名された。 晋語の起源には2つの説があります。1つの見解は、晋語の起源は秦晋

晋鄙

鄙率いる魏軍が邯鄲の援軍として進発した。 しかし、秦の強勢を恐れる安釐王は晋鄙に鄴城(現在の河北省邯鄲市臨漳県)に待機する様に命じ、晋鄙は命令通り軍の動きを止めた。少しして、信陵君が晋鄙の元を訪れ安釐王と晋鄙が持つ割符の片割れを見せ、軍の指揮権を渡す事を要求した。怪しんで指揮権の譲渡を渋った晋鄙

毛晋

同郷の銭謙益に学び、明末に何度か科挙試験を受けたが失敗したため、そのまま官職にはつかずに隠居した。毛晋は古い書物に他よりも高い値段をつけて買い求めた。汲古閣・目耕楼に書物を収蔵し、自ら校勘して出版した。 銭謙益も蔵書家として知られたが、その絳雲楼が1650年に火災で焼失したため、清初には毛晋が最大の蔵書家となった。

晋州

1116年(政和6年)、北宋により晋州は平陽府に昇格した。 ^ 『魏書』地形志二上 ^ 『隋書』巻三十 志第二十五 地理中 冀州「臨汾郡後魏置唐州,改曰晉州。後周置總管府,開皇初府廢。統縣七,戸七萬一千八百七十四。」s:zh:隋書/卷30#冀州 ^ 『旧唐書』地理志二 ^ 『宋史』地理志二

李晋

晋の死は急性消化不良と公表された。しかし、帰国中止の第一報で、すでに陰謀説が報道された。さらに、死去直後にも現地(京城)では「報道する自由を持たない」内容の流言蜚語が飛び交っていると報じられた。 方子妃が晋を産んだことにより、李王朝の純血に日本人の血が入ることを拒む毒殺なのではないかとささやかれた。我が子の死

晋 (姓)

晋(晉、しん)は、漢姓の一つ。朝鮮半島では比較的多い姓であるが、中国や台湾では希少である。 晋(しん)は、中華圏の姓。『百家姓』の458番目。 珍しい姓である。2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位100姓に入っておらず、台湾の2018年の統計では「晉

後後

将来。 のちのち。 「~困ることになる」

後後

(1)これから先。 将来。 あとあと。 副詞的にも用いる。 「~のことまで考える」「~心配のないようにしておく」 (2)それ以後。 「あひ知りて侍ける人, ~までこずなりにければ/後撰(秋下詞)」 (3)死者の法事を営む七日目ごとの日。 「~の御わざどもし給ふ/宇津保(忠こそ)」

晋康郡

郡は広州に属し、郡治は元渓県に置かれた。 南朝宋のとき、晋康郡は端渓・晋化・都城・楽城・賓江・悦城・元渓・夫阮・僑寧・安遂・永始・武定・文招・熙寧の14県を管轄した。 南朝斉のとき、晋康郡は威城・都城・夫阮・元渓・安遂・晋化・永始・端渓・賓江・熙寧・楽城・武定・悦城・文招・義立の15県を管轄した。