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Từ điển

Chi tiết từ

恣

[ほしきまま]
「ほしいまま」に同じ。
「巧みにして, ~なるは, 失のもとなり/徒然 187」

恣

[ほしいまま]
〔「ほしきまま」の転〕
やりたいままに振る舞うこと。 自分の思いどおりに事を行うこと。 また, そのさま。
「~の悪業」「一国の政治を~にする」

Từ liên quan

放恣

勝手気ままで乱れている・こと(さま)。 「~な生活」

自恣

(1)自分の思うままにすること。 きまま。 「猖狂(シヨウキヨウ)~たるの弊あらん/明六雑誌 11」 (2)〔仏〕 夏安居(ゲアンゴ)の最後の日に, 集会した僧が互いに期間中の罪過を指摘または懺悔(ザンゲ)して, 善に進む行事。

驕恣

おごりたかぶってわがままな・こと(さま)。

恣意

(1)その時々の気ままな思いつき。 自分勝手な考え。 「会長の~によって方針が左右される」 (2)物事の関係が偶然的であること。 「言語の~性」

恣意的な引用

する。 切り取りは「引用元の意図した意味を歪める目的で元の文章上の前後関係から文節を選択的に抜粋すること」であり、一般には「文脈を無視した引用」といわれているものである。ここでの問題は、(全ての引用がそうであるように)元の文からの抜粋引用それ自体にあるのではなく、「選択した引用文の意図を明確にする

香港の戦い

虜兵士がすべて殺害され、7、8名の看護婦も凌辱されたうえ虐殺された。」という。 關禮雄によれば「ランタンロード(中国語版)一帯で日本軍は殺戮と略奪を恣にした。跑馬地臨時野戦病院の看護婦はほとんどが強姦された。李樹芬(中国語版)医師が院長を務めていた隣の養和医院(中国語版)は辛くも暴行から逃れた。浅

大日本天狗党絵詞

ノ鳥島から巨大な西洋人の姿で本土へ現れる。 としのり シノブの実弟。両親を失ってから叔父の高間の世話で偽者のしのぶと二人暮らしをしている。 しのぶ・恣(しのぶ・ほしいまま) 飯綱の犬太夫が高間のためにつくった泥人形。シノブに成り代わって生活している。 黒田硫黄『大日本天狗党絵詞』 講談社〈アフタヌーンKC〉、全4巻

依法官僚制

人は国民と国家に奉仕すると定められた法律に従って働くべきだとする。近代官僚制という場合もある。役人が国家も役職も自分のものだと思いこみ、公権と公金を恣にする家産官僚制の対立概念。ヴェーバーは、官僚機構が機械のように動くことが公平さを実現する(官僚制の非人格制)と考えた。 規則による規律の原則 明確な権限の原則

エミール・バンヴェニスト

も論文で言及しており、フランスの思想界にも広く影響を与えた。 言語学者丸山圭三郎は、バンヴニストのソシュール批判(上記恣意性原理)に対して、文化的な必然性そのものもまた根本的には恣意的であるとして再批判した。『現代思想「ソシュール」特集号』(青土社)所収論文。 Essai de grammaire sogolienne

独断専行

第11代海上幕僚長の中村悌次は独断専行について、前提となる条件が満たされた上でさらに「結果については独断専行を行った指揮官が全責任を負うこと」が必要で、そうでなければ「擅恣として厳しく糾弾される定めであった」にもかかわらず、それが守られずに「満州事変以後陸軍の一部では」「私心が差挟まれ或は狭い独善的観念に基づいて」独断

丹羽氏音

家中諸事を悉く意のままに処理した。強引な改革によって山村瀬兵衛は、諸老臣から嫉視と怨嗟を持たれることになり、特に重臣の妻木郷左衛門は連署して瀬兵衛の恣横を訴えて対立し、遂に反対派30人が徒党を組んで、山村瀬兵衛の排除を画策した。氏音は瀬兵衛反対派から罪に処すべきとの詮議が求められたが容易ではなく、遅々として延遷して益々紛糾した。

无邪志国造

郡司の長官))。赤麻呂の死の翌年に黒斑の子牛が生まれたが、その背の黒斑は文章のようになっており、その斑文を読み解くと、 赤麻呂者。擅於己所造寺。而隨恣心借用寺物。未報納之死亡焉。爲償此物故受牛身者也。 (赤麻呂は自らが造った寺(多磨寺か)の物を借用し、それをまだ返さないうちに死んだ。この物を償うために牛の身を受けたものである。)

和帝 (南朝斉)

永元元年(499年)、南康王に改封され、西中郎将・荊州刺史に任じられて、江陵に駐屯した。ときに蕭宝融の同母兄の東昏侯蕭宝巻が帝位にあったが、重臣を殺害して放恣のかぎりを尽くし、人心は離反していた。永元2年(500年)11月、荊州長史の蕭穎冑は蕭宝融の同族である雍州刺史の蕭衍を盟主とする東昏侯打倒の起兵を計

ナリン

浙行省右丞、乞致仕、不允、除浙西廉訪使、力辞不赴」 ^ 『元史』巻142列伝29納麟伝,「至正二年、除行宣政院使。上天竺耆旧僧彌戒・徑山耆旧僧惠洲、恣縦犯法、納麟皆坐以重罪。請行宣政院設崇教所、儗行省理問官、秩四品、以治僧獄訟、従之。尋為江浙行省平章政事。三年、遷河南行省平章政事。明年、入為中書平章

呂産

、次いで大臣に呂台を封じるよう進言させ、呂台を呂王に封じたが、呂台は同年に逝去し、その子の呂嘉が後を継いだ。 高后6年(紀元前182年)、甥の呂嘉が驕恣のために呂后によって廃されると、呂産が呂王に立てられた。翌年、劉邦の子の梁王劉恢を趙王に遷すと、呂産を梁王とした。後に梁国は新たに呂と名付けられ、元

ルイーズ・コレ

係となり、クザンは政府に働きかけて彼女への補助金が降りるよう便宜を図った。のちに生まれた娘アンリエットは愛人クザンとの間に生まれた子供である。 その放恣な生活はパリ中に知られていたが彼女自身は世間を気にせず、1846年にはまだ無名であった25歳のギュスターヴ・フロベールとパリで知り合い、11歳年下の

周陽由

紀元前141年に武帝が即位したころには、きわめて謹直に法律を遵守することが求められた。 しかし、周陽由はもっとも放恣的且つ暴虐を極め、気に入った者は法を曲げて助命したが、気に入らない者は法を曲げて処刑にした。また、彼が赴任した郡では現地で勢いを振るう豪族の一家が皆処刑されることもあった。

中島政希

の趨勢著しい中国の間で、中規模国家化の運命が避けられない日本の政治的経済的自立のための国家構想として、かつまた、市場原理主義的なグローバリズム経済の放恣から国民国家の主権と国民経済の自立性を守るための経済構想として位置付けている。 2010年代には、多極化時代の国際環境と、低成長時代の国内環境に臨む