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Từ điển

Chi tiết từ

検校庵

得全黙乗(1973年〈昭和48年〉3月21日没、64歳)祖孝の姪の子。1965年〈昭和40年〉より住職。 全覚智道(2009年〈平成21年〉7月29日没、82歳)長野県茅野市出身、智孝の弟子。 智乗黙全(2012年〈平成24年〉4月21日没、78歳)新潟県糸魚川出身、黙乗の弟子。

Từ liên quan

検校

調べ考えること。 調査し考え合わせること。 「両軍の勢力をば比較~する/此一戦(広徳)」 → けんぎょう(検校)

検校

(1)寺社の事務を監督する職。 東大寺・高野山・石清水(イワシミズ)・春日など重要な寺社に置かれた。 (2)盲官の一。 当道所属の盲人の最高の位階。 紫衣を着し, 両撞木(モロシユモク)の杖をもつことが許された。 建業。 (3)1871年(明治4)の当道廃止以後, 一部の地歌・箏曲演奏者団体が発行した職格免許。 {(2)}の制度を模倣継承したもの。 (4)平安・鎌倉時代に置かれた, 荘園の役人の一。 → けんこう(検校)

庵

(1)草木や竹で作った仮の小屋。 いおり。 「春霞たなびく田居に~つきて/万葉2250」 (2)仮の住まい。 いおり。 「我が~は宮このたつみしかぞ住む/古今(雑下)」

庵

(1)草葺(ブ)きの小家。 僧侶・世捨て人・風流人などの住む, 質素な小屋。 いおり。 草庵。 「~を結ぶ」 (2)雅号や住まい・料亭の名などに添えて接尾語的に用いる語。 「芭蕉~」

庵

(1)僧侶や世捨て人などが住む粗末な小屋。 庵室(アンシツ)。 いお。 「~を結ぶ」 (2)小さな家。 粗末な家。 また, 自分の家を謙遜していう語。 (3)農作業などのための仮小屋。 「秋田刈る旅の~にしぐれ降り/万葉2235」 (4)軍隊の宿営地。 軍営。 [和名抄] (5)家紋の一。 {(1)}を図案化したもの。 (6)「庵看板」の略。

庵。

庵。(いおり)はかつて慈プロダクション(2009年4月頃に ライトハウス に吸収合併)に所属していたお笑いコンビ。 2008年1月よりコンビ名に「。」(句点)が付くのが正式とされている。2009年6月頃に解散。 ボギー吉村(ボギーよしむら、1977年5月15日 - ) 本名は吉村友志。福岡県福岡市出身。

八橋検校

りんぜつ])、『八段の調』も八橋の作と伝えられている。寛永13年(1636年)に上洛し、母親が俳人・藤本箕山(ふじもと きざん、畠山箕山)配下の山住(やまずみ)某(なにがし)に扶持されていたことにちなんで山住勾当(やまずみ こうとう)を名乗った。1639年〈寛永16年)にも再び上洛して上永検校と称し、さらにのち、八橋検校と改めた。

藪原検校

松田洋治 - 佐久間検校の結解、魚市場の仲買人、若い座頭、江戸座頭・甲斐の市、定廻同心・浅野某、将軍補佐役・松平定信 ほか 神保共子 - 相対死の片われ女、強請られる寡婦 ほか 景山仁美 - 魚河岸の売り子、強請られる寡婦の娘 ほか 赤崎郁洋 - ギター奏者 初演:2012年6月12日 - 7月1日

吉沢検校

箏の手付けも全ての自作曲において自分で行っている。幼少の頃から箏にも長けていたらしく、既に11歳で地歌「屋島」に箏の手を付けているのをはじめ、既存の地歌曲にもいくつか箏の手付けをしているが、これらもやはり八重崎検校など京都の手付

菊岡検校

このほか、八雲琴(やぐもごと=二弦琴のひとつ)曲の作品もある。 菊岡の開拓した芸術は後輩にあたる光崎検校らに更に受け継がれ発展することとなる。 1847年(弘化4年)没。 『茶音頭』 『楫枕』 『磯千鳥』 『長等の春』 『笹の露』 『梅の宿』 『御山獅子』 『園の秋』 『今小町』 『夕顔』 『船の夢』 『里の春』(以上八重崎検校箏手付)

髑髏検校

み、不気味ながらも痛快な怪異談に仕上げた作者の手腕を評価している。また、梯は再読した際にアン・ライスにも通じる美少年趣味がちりばめられていたことに気づいたと振り返っている。 1982年8月20日にフジテレビ系列の「時代劇スペシャル」の中で放映された東映制作の単発時代劇。 不知火検校:田村正和 琴絵/美緒:由美かおる

佐山検校

江戸の生まれ。山本検校に師事し、1666年(寛文6年)検校となる。後に柳川検校の門人となる。 柳川と同じ門人であった浅利検校と共に三味線に新しい弾き方を取り入れた撥である「片撥」を使った組歌を創始した。同時期に三味線奏者の杵屋勘五郎の門人ともなるが、不明である。これが長歌の始まりである。この技法を用いた組歌を多く作曲し、一躍名を馳せた。

政島検校

『寿』‐ 菊永検校と共に作曲。端歌。 『ささやき竹』 『我が身』‐ 長歌。 『八千代獅子』‐ 胡弓を広めたきっかけとなった箏曲。 『泊り舟』 『そらいびき』 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『政島検校』- コトバンク 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『政島検校』- コトバンク ブリタニカ国際大百科事典

葦原検校

天保10年(1839年)9月18日徳川家斉の類中風に罹ったため、16日間詰切で治療して効果を挙げ。12月18日法眼に叙せられた。天保11年(1840年)8月21日にも腫気のため、再び泊まり番で治療に当たり、9月16日200俵。しかし、自身も病気となって療養中、天保12年(1841年)閏1月7日に家斉は容態が急変し死去した。

松浦検校

の美しさで知られ、『若菜』『玉の台』では歌の節が追求され、また『四季の眺』『宇治巡り』『四つの民』などでは通常の転調だけでなくさまざまな転調が試みられているのも特徴である。これらの作品には、浦崎検校やその弟子の八重崎検校が箏の手付をしており、現代でも演奏されることが多い。

光崎検校

彼の芸術性を高く評価した越前国の代官、蒔田雁門がパトロンとなり、作曲や譜本の出版も後押しした。楽譜の出版には熱心で、精密な三味線楽譜集である「絃曲大榛抄」や、自作曲『秋風の曲』の楽譜である「箏曲秘譜」を発刊した。 また、戦前までは光崎本人が校閲した『五段砧』の譜本が現存していたが、これは戦災で焼失した。

山田検校

『小督曲』 『熊野』 『長恨歌曲』 『葵上』 以上の作品は「四つもの」と呼ばれている。 『紀の路の奥四季の段』 『八重垣』 『那須野』 『桜狩』 『住吉』 『江ノ島曲』 等36曲もの作品を作曲したといわれている。 初代山登検校 - 山登派の祖。 初代山木検校(木村検校) - 山木派の祖。 山勢検校

柳川検校

曲は「柳川流」と呼ばれ、後の検校に大きく影響を与えた。 浅利検校 佐山検校 市川検校 早崎検校 『葛の葉』 『待(つ)にござれ』 『下総ほそり』 『賤』 『錦木』 『早舟』 『七つ子』 『堺』 以上の作品は死後の1703年(元禄16年)刊行した『松の葉』に収録されている。 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『柳川検校』-

米山検校

第26巻、上越教育大学、2007年、399-420頁、ISSN 0915-8162、NAID 110006177053。  ^ a b 飯田鼎「『痩我慢の説』と『氷川清話』 : 勝海舟と福澤諭吉の間 : (その一)」『三田学会雑誌』第90巻第1号、慶應義塾経済学会、1997年、1-17頁、doi:10