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Từ điển

Chi tiết từ

沮俊

承・楊奉らの軍との戦いが起こり、董承らが敗北した。 董承側に加わっていた沮俊は、戦闘中に負傷・落馬した。瀕死の沮俊の姿を見た李傕に「その傷でもまだ生きておったのか」と、嘲笑されたため「おまえほどの乱臣賊子は、過去に1人もおらぬ

Từ liên quan

沮止

邪魔をして, 相手のしたいようにさせないこと。 妨げること。 「侵入を~する」

沮喪

気力がくじけて, 勢いがなくなること。 「意気~する」「元気を~する」

沃沮

されました。しかし、話しかけても言葉が通じず、食物をとらぬまま死にました」などとも答えた。 中国の史書によると、夫余の言語は高句麗と同じとされ、沃沮とワイ人もほぼ同じとされる。一方、東の挹婁は独特の言語を使っていたとされ、夫余の言語と異なると記される。 ^ a b

沮授

沮 授(そ じゅ、? - 200年)は、中国後漢時代末期の政治家・武将。冀州鉅鹿郡広平県の人。弟は沮宗。子は沮鵠。 若くして大志を有し、権謀術策に優れていたという。当初は州の別駕となり、茂才に推挙され、県令となった。また、冀州牧の韓馥に別駕・騎都尉として仕え、韓馥が袁紹に冀州を譲ろうとすると、他の

沮鵠

沮 鵠(そ こく、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。冀州鉅鹿郡広平県の人。父は沮授。叔父は沮宗。 袁尚の配下。建安9年(204年)春、袁尚は兄の袁譚を攻撃しようと図り、幕僚の審配に鄴を守備させ、沮鵠には邯鄲を預けて審配と連動させた。まもなく曹操が鄴を攻撃してきたが、容易に陥落させることができな

沮渠牧犍

沮渠 牧犍(そきょ ぼくけん)は、五胡十六国時代の北涼の第3代王。沮渠茂虔とも書かれる。武宣王沮渠蒙遜の三男。 義和3年(433年)、武宣王が病に倒れた際に世子であった弟の沮渠菩提が幼弱の為、世子として擁立された。父王の死後即位し、承和と改元した。また国師には劉昞を配した。南朝宋から都督涼沙河三州

沮渠無諱

を攻撃されると哀王は北魏に降伏したが、無諱は酒泉を拠点に勢力を確保した。太平真君2年(441年)にはいったん北魏に降伏して酒泉王に封じられたが、西域での後患を絶つために進軍した北魏の攻撃を退け、弟の沮渠安周を派遣して鄯善を攻撃している。 太平真君3年(442年)、無諱と沮渠安周が会師して鄯善を

沮渠蒙遜

れた。 義和3年(433年)に病死、享年66。北魏はその葬儀に使節を派遣し、武宣王と追諡した。 沮渠暉仲帰 沮渠遮 沮渠祁復延 沮渠法弘 沮渠羅仇 沮渠麹粥 沮渠拏 沮渠漢平 沮渠男成 孟王后 沮渠政徳 沮渠興国 沮渠牧犍 沮渠菩提 沮渠無諱 沮渠安周 沮渠宜得 沮渠秉 沮渠董来 沮渠奚念 興平公主

俊寛

をよせて女児を生ませた。すっかり鶴の前に心を奪われた俊寛は、謀反に加担する事を同意したのだ、という。 『平家物語』によると、鬼界ヶ島に流された後の俊寛ら三人は望郷の日々を過ごし、成経と康頼は千本の卒塔婆を作り海に流すことを発心するが、俊寛はこれに加わらなかった。やがて、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ

俊士

(1)才知のすぐれた者。 (2)嵯峨天皇の代, 文章生のうち秀才についで優秀な者の称。

俊才

人並みすぐれた才能。 また, その持ち主。

俊童

すぐれてかしこい子供。

俊彦

すぐれた男子。 俊傑。

俊秀

能力・才知がすぐれていること。 また, その人。 俊英。 「門下に~を集める」

俊逸

才能などがすぐれていること。 また, その人。

俊足

(1)すぐれた才能をもった人。 俊才。 (2)足の速いこと。 また, その人。 駿足。 ⇔ 鈍足

雄俊

才知が優れていること。 また, その人。

賢俊

賢からすらも「栄耀至極、公家武家権勢無比肩之人」(「栄華を極め、公家・武家ですら彼に匹敵する権勢を持つ者がいないほどの人物である」)とまで評された(『園太暦』)。醍醐寺に残る「理趣経」(重要文化財)は賢俊の四十九日供養の際、尊氏自らが書写したものである。他の賢俊にまつわる品として、『三宝院賢俊

俊堯

しかし強引な就任をした俊尭は比叡山の衆徒からは信望を得ることはできず、元暦元年(1184年)1月、義仲が敗死するとすぐさま比叡山を追われた。治山一ヶ月の天台座主だった。文治2年(1186年)京都の勘解由小路京極房において入寂した。享年69。 ^ 『顕広王記』8月23日条 ^ 「与二義仲一為二親眤一」「木曽之定使」(『玉葉』)