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Từ điển

Chi tiết từ

矢田部黒麻呂

斎食(さいじき、服喪の間の食事は午後は抜く)を16年続け、終始かかさなかった。そこで宝亀3年(772年)11月、天皇はその雑徭を免じて孝行を顕彰した、とある。。これは賦役令17の「孝子順孫条」によるものである。 礼記の定める斎食

Từ liên quan

矢集虫麻呂

矢集 虫麻呂(やつめ/やずめ の むしまろ、生没年不詳)は、奈良時代の官人・明法家。姓は宿禰。氏は箭集、名は虫万呂とも記される。官位は外従五位下・大学頭。 矢集氏(矢集連、箭集連)は、神饒速日命の六世孫にあたる伊香我色雄命(伊香我色乎命)の後裔で物部氏の一族とされる天孫系氏族。氏の名称は美濃国可児

藤原黒麻呂

藤原 黒麻呂(ふじわら の くろまろ)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。藤原南家、参議・藤原巨勢麻呂の次男。官位は従四位下・因幡守。 近江国に生まれる。宝亀5年(774年)正月に正六位下から二階昇叙され従五位下に叙爵し、上総介に任ぜられ現地に赴任。近辺の原野を開墾して牧野とし藻

麻呂

〔「まろ(麻呂)」の転。 中世後期以降の語〕 ※一※ (接尾) (1)人名, 特に稚児に用いる。 「牛若~」「蝉~」 (2)刀, 楽器, その他の器物の名に用いる。 「膝切~」「抜~」 (3)船の名に用いる。 「咸臨~」 (4)種々の物や人名などに付けて, 親愛の意を表す。 「翁~」「もず~」 ※二※ (代) 一人称。 中世後期, 天皇またはこれに準ずる人が用いた。 「~が千人の后のましませども/御伽草子・熊野」

麻呂

※一※ (代) 一人称。 わたし。 身分の上下や男女を問わず使用した。 「~が父(チ)/古事記(中)」 ※二※ (接尾) (1)人名に付いて, 主として男子の名をつくる。 「柿本人~」「和気清~」 (2)人の呼称や動物の名などに付いて, 親愛の意を表す。 「うま~」「さる~」

和邇部大田麻呂

貞観7年(865年)10月26日卒去。享年68。最終官位は雅楽権大允外従五位下。 『日本三代実録』による。 天長年間初頭:雅楽百済笛師 天長年間:唐笛師 時期不詳:雅楽少属。雅楽大属 斉衡3年(856年) 日付不詳:雅楽権少允 時期不詳:正六位上。雅楽少允 貞観3年(861年) 正月21日:外従五位下

丈部真麻呂

入集。なお、『万葉集』巻20には遠江国の丈部氏の氏人として、ほかに真麻呂と同じ山名郡の丈部川相、佐野郡の丈部黒当の記載がある。 時々の花は咲けども何すれぞ母とふ花の咲き出来ずけむ(万葉集20-4323) ^ 筑紫に赴く途中に詠んだ歌。袋井中学校(静岡県袋井市川井)に歌碑がある。 中西進訳『万葉集 全訳注原文付』講談社、1978年。

阿部仲麻呂

日本宣教学会常任理事。上智大学大学院神学研究科(神学)、日本カトリック神学院(哲学・神学)、桜美林大学などの兼任講師を務める。 国際日本文化研究センター客員研究員(仏教学)。公共哲学京都フォーラム・コメンテーター(公共哲学)。サレジオ会士である。 1968年、東京都出身。1982年、カトリックの洗礼

川部酒麻呂

さかまろ、生没年不詳)は、奈良時代の人物。姓はなし。官位は外従五位下・松浦郡員外主帳。 肥前国松浦郡の人。天平勝宝4年(752年)遣唐使第4船の舵取として唐に渡る。天平勝宝6年(754年)帰国の途中、海上で強い順風が吹いていた所、突如船尾から出火して艫に燃え広がる火災が発生。この際、酒麻呂は舵を回して船首を風上に向け、すぐ傍に火が燃え広

卜部平麻呂

臣氏族とし、卜部嶋足あるいは卜部宮守の子とする系図もある。 幼い頃から亀卜(亀甲を焼くことで現れる亀裂の形(卜兆)により吉凶を占うこと)を習得した。神祇官の卜部となり、亀卜により義疑を決するにあたって能力を発揮したという。卜術に優れていたことから、承和5年(838年)の遣唐使に加わり入唐する。翌年

丈部稲麻呂

丈部 稲麻呂(はせつかべ の いなまろ、生没年不詳)は、奈良時代の防人。 駿河国の人物。天平勝宝7年(755年)2月、防人として筑紫に派遣された際、筑紫に向かう道中で父母を思い詠んだ歌が『万葉集』に1首入集。 父母が 頭かき撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる [脚注の使い方] ^ デジタル版

丈部竜麻呂

の 命(みこと)恐(かしこ)み おしてる 難波(なには)の国に あらたまの 年経(ふ)るまでに 白たへの 衣(ころも)も干さず 朝夕(あさよひ)に ありつる君は いかさまに 思ひいませか うつせみの 惜(を)しきこの世を 露霜の 置きて去(い)にけむ 時にあらずして 訳:「天雲の

藤原小黒麻呂

藤原 小黒麻呂(ふじわら の おぐろまろ)は、奈良時代の公卿。藤原北家、従五位下・藤原鳥養の次男。官位は正三位・大納言、贈従二位。勲等は勲二等。 天平5年(733年)藤原鳥養の次男として誕生。天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱の論功によって従五位下・伊勢守に叙任される。称徳朝では式部少輔・安芸守・中衛少将を歴任する。

黒田崇矢

黒田 崇矢(くろだ たかや、1965年4月17日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。アクセルワン所属。本名・旧芸名は黒田 隆哉(読み同じ)。 1984年、文学座養成所入所(23期)。玉川大学卒業。2000年公開の『どら平太』までは旧芸名「黒田隆哉」として、俳優として主にテレビドラマ・映画・舞

黒田将矢

黒田 将矢(くろだ まさや、2004年1月24日 - )は、青森県むつ市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 むつ市立大平小学校4年時に大平マリナーズで野球を始め、むつ市立大平中学校では軟式野球部に所属。 八戸工業大学第一高等学校では2年秋からエースとなり、秋の青森県大会は

田辺福麻呂

天平20年(748年)、造酒司の令史のとき、橘諸兄の使者として越中守・大伴家持のもとを訪れ、ここに新しき歌を作り、幷せて便ち古詠を誦(よ)み、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を延ぶ」とある。また、越中掾の久米広縄の館でも饗宴を受け、歌を詠んだともある。福麻呂の和歌作品は『万葉集』に44首が収められている。巻18

粟田道麻呂

を受けた。 同年8月に和気王の謀反に与したことが発覚して詔によって譴責を受ける。道麻呂は以前より和気王と親しく、和気王邸で飲食を共にしていた。ある時道麻呂と和気王が密かに語り合った帰路に、道麻呂が帯びていた刀が門の塀に触れて折れてしまったために、和気王はすぐに立派な飾太刀を

高田根麻呂

とあり、この高田丘を拠点としていたとされている。この墓は享保10年(1725年)の『大和志』によると、大和国葛下郡岡崎村とあり、現在の奈良県大和高田市岡崎だろうとされている。 白雉4年(653年)、遣唐第2船の大使として、計120名を率いて、唐に派遣された。このときの位は大山下であった。

藤原田麻呂

天応元年(781年)には、右大臣・大中臣清麻呂、大納言・石上宅嗣の死去に伴い、大納言兼近衛大将へと、順調に昇進する。光仁朝末から桓武朝にかけての急速な昇進については、両天皇からの信頼の厚さもさることながら、太政官の勢力を抑制して天皇権力の確立を企図していた両天

田口広麻呂

田口広麻呂(たぐちのひろまろ)の死ぬる時に、刑部垂麻呂(おさかべのたりまろ)の作る歌一首 百足(ももた)らず 八十隅坂(やそくまさか)に 手向(たむけ)せば 過ぎにし人に けだし逢はむかも ((百足らず)曲がり角の多い坂で、神にお供え物をしたら 死んでいった人に ひょっとして逢えるだろうか)