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Từ điển

Chi tiết từ

蕭緬

べん、孝建2年(455年) - 永明9年5月30日(491年6月22日))は、南朝斉の皇族。安陸昭王。字は景業。 蕭道生の子として生まれた。容姿や挙措にすぐれた。宋の秘書郎を初任とした。邵陵王文学や中書郎をつとめた。建元元年(479年)、斉が建国されると、安陸侯に封じられた。太子中庶子に転じ、侍中

Từ liên quan

蕭蕭

(1)風雨・落葉などの音のものさびしいさま。 「一陣の清籟~として起り/自然と人生(蘆花)」 (2)ものさびしいさま。 「孤影~たるを想像し来れば/欺かざるの記(独歩)」

緬羊

羊(ヒツジ)の別名。

緬甸

明代以後, 中国でビルマをいった語。

張緬

国の使節と争った罪に連座して、黄門郎に左遷され、御史中丞を兼ねさせた。まもなく再び御史中丞となった。張緬は司直にあって、権門に遠慮しなかったため、「勁直」と号された。武帝は御史の官に当たる者を励ますため、台省で張緬の肖像を画工に描かせた。 中大通3年(531年)、侍中に転じたが、拝受しないうちに死去

蕭

「蕭」は中華人民共和国の第二次漢字簡化方案で「肖」と書き換えられたため、その時代やその以前に生まれた人の身分証明書では姓が「肖」と記されることが多い。改姓の手続きが困難であるため、「肖」のままで定着したことも多い。2020年の中華人民共和国の第7回全国人口調査(中国語版)(国勢調査)に基づく姓氏統計によると「肖」は中国で33番目に多い姓(758

羅紗緬

羅紗緬(らしゃめん、羅紗綿)は、綿羊のことで、日本においてもっぱら外国人を相手に取っていた遊女、あるいは外国人の妾となった女性のことを指す蔑称。洋妾(ようしょう)、外妾(がいしょう)とも言われる。 幕末開国後の1860年頃から使われだした言葉で、西洋の船乗りが食用と性欲の解消の為に船にヒツジを載せて

滇緬線

- 清華洞間410km、西部:清華洞 - 蘇達間460km)。鉄道規格は滇越線に準じることとし、ゲージ幅もビルマ側の鉄道とあわせて1,000mmのメーターゲージとなった。 1940年、日本の仏印進駐に伴う滇越線の遮断などにより工事は一時遅滞したが、1941年にはビルマ・ロード経由で資材が

蕭銑

阻ませたが、清江口に敗れ、多数の戦艦を鹵獲された。宜昌・当陽・枝江・松滋を奪われ、江州で蓋彦挙が唐に降った。李孝恭と李靖が江陵を囲み、蕭銑は各地に救援を求めたが、鹵獲した無人の梁の軍船を浮かべて江陵が既に陥落したように見せる李靖の献策で梁の援軍の行軍が遅れたこともあって援軍は到着せず

蕭白

⇒ 曾我蕭白

蕭寥

ひっそりとしてものさびしいさま。 「室外の天下は~たる秋である/野分(漱石)」

蕭殺

(秋の末の)ものさびしいさま。 「~たる枯れ野」

蕭颯

ものさびしいさま。 特に, 秋風が吹いて心細いさま。 「宸襟(シンキン)を~たる寂寞の中に悩さる/太平記 18」

蕭条

ひっそりとしてもの寂しいさま。 「十一月の近(チカヅ)いたことを思はせるやうな~とした日で/破戒(藤村)」

蕭瑟

秋風がものさびしく吹くこと。 また, そのようなものさびしい音がすること。 さびしいさま。 「候虫(コウチユウ)の声~たり/緑簑談(南翠)」

蕭索

ものさびしいさま。 蕭条。 「実(ゲ)に~たる土地(トコロ)なるが/鬼啾々(夢柳)」

蕭鏘

蕭 鏘(しょう しょう、469年 - 494年)は、南朝斉の皇族。鄱陽王。字は宣韶。高帝蕭道成の七男。 蕭道成と陸修儀のあいだの子として生まれた。昇明3年(479年)、蕭道成が斉王となると、蕭鏘は開国県公に封じられた。同年(建元元年)、蕭道成が皇帝に即位すると、蕭鏘

蕭紀

で皇帝即位を宣言した。 即位後、蕭紀は侯景を討つため天正元年(552年)8月に東征を開始した。4月の段階で侯景は蕭繹によって滅ぼされていたものの、蕭紀の長男の蕭円照(中国語版)は策を巡らせて侯景が滅んだことを蕭紀には知らせない

蕭綸

蕭 綸(しょう りん、生年不詳 - 551年)は、南朝梁の武帝蕭衍の六男。邵陵携王。字は世調。 蕭衍と丁充華のあいだの子として生まれた。若くして聡明で、博学で文章をよくし、尺牘を最も得意とした。天監13年(514年)、邵陵郡王に封じられた。寧遠将軍・琅邪彭城二郡太守として出向し、軽車将軍・会稽郡太

蕭統

側室)丁令光。廃帝豫章王蕭棟の祖父で、後梁の宣帝蕭詧の父である。 頭脳明晰であり、3歳で『論語』『孝経』を読み、5歳で五経を全て読破したと言われる聡明な人物で、武帝の皇太子として、成人してからは国政に携わり、民衆に仁政を行った。また、文章家としても後世に知られている。