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扶余

[ふよ]
古代のツングース系民族の一。 また, 夫余族が紀元前一~後五世紀に中国東北部に建てた国。 一~三世紀中頃に全盛, のち鮮卑と高句麗に挟まれて衰え, 494年勿吉(モツキツ)に滅ぼされた。

相关单词

扶余隆

をよそに、翌年(655年)2月、この太子のために宮殿を奢侈・壮麗をきわめる姿に改築している。 同20年(660年)7月、新羅が唐と連合して百済を攻めた際に、降服した。その際、新羅の文武王は、隆を馬の前にひざまずかせて「お前の父はかつて私の妹を殺し、その屍を獄中に埋めた。私の心を20年間傷つけた。今日

扶余市

扶余市(ふよ-し)は中華人民共和国吉林省松原市に位置する県級市。 扶余県は古代存在した扶余の故地である。扶余県は松花江の東岸に位置し古くから松花江水系の要衝であった。金代および元代には肇州に属した。明代には三岔河衛に属したが後にモンゴル人に占領された。 清初にベドゥネ・ギャムン(bedune

扶余駅

扶余駅(ふよえき)とは、中華人民共和国吉林省松原市扶余市三岔河鎮にある京哈線と哈大線の駅。瀋陽鉄路局の管理下にあり、三等駅。 1904年 開業。当時の名称は石頭城子駅。 時期不明 三岔河駅に改称。 時期不明 扶余駅に改称。 中華人民共和国鉄道部 京哈線、哈大線 団山駅 - 扶余駅 - 邱家駅 表示 編集

扶余太后

岐嶷。以年七歳,太后垂簾聽政。 大祖大王【或いは國祖王と云う】 。諱は宮。小名は於漱。琉璃王の子古鄒加再思の子なり。母大后、扶餘人なり。慕本王薨じ、太子不肖にして以て社稷を主るに足らず。國人、宮を迎えて繼立せしむ。王、生まれながらにして目を開き能く視ゆ。幼くして岐嶷なるも、年七歳なるを以て、大后垂簾して政を聽く。

扶余豊璋

るものの、倭国側は太安万侶の一族多蒋敷の妹を豊璋に娶わせるなど、待遇は決して悪くはなかった。 660年、唐・新羅の連合軍(唐・新羅の同盟)が急に百済を滅ぼしたという知らせが届いた。百済を征服した唐軍は大部分が引き上げ、1万の駐留軍が残るだけだったので、百済の佐平・鬼室福信らが百済を復興すべく反乱を

扶余神宮

扶余神宮(ふよじんぐう)は、日本統治下の朝鮮・忠清南道扶余郡に創建予定だった神社である。造営の途中で日本の敗戦をむかえ、鎮座されることはなかった。 扶余(古名は泗沘)は、日本と関係の深かった百済の最後の都があった地である。朝鮮総督府はこの地に扶余神宮を創建し、扶余

扶余語族

余系言語には更に百済の支配層の言語が含まれることになる。 ただし、これらの想定の前提となる夫余・高句麗・濊・東沃沮の言語は、高句麗語の極僅かな単語の朧げな形以外の情報が残されておらず、またこれをツングース語と異なる独自の語族とする根拠の一つである挹婁・靺鞨の言語に至っては漢字表記された人名以外の情報

扶養

たすけ養うこと。 生活の面倒をみること。 「幼い妹たちを~する」

扶桑

愛知県北西部, 丹羽郡の町。 木曾川下流に位置する近郊農業地域。

扶持

そばにいてたすけささえること。 ふち。 「官府これを~すること能はず/西国立志編(正直)」

扶助

(経済的に)たすけること。 援助すること。 「~を受ける」「困窮者を~する」「~料」

家扶

もと皇族・華族の家で, 家令を補佐した者。

相扶

互いに助け合うこと。 相互扶助。

扶桑

(1)昔, 中国で, 東方の海中にあるという神木。 日の昇る所という。 また, その木のある地。 扶木。 (2)日本の異名。 扶桑国。 「松島は~第一の好風にして/奥の細道」 (3)太陽。 「全く~の光なし/中右記」

扶持

(1)たすけること。 面倒をみること。 「渠等(カレラ)を~すべき責任/義血侠血(鏡花)」 (2)武家の主君が家臣に与えた給与の一種。 江戸時代には一日玄米五合を一日扶持とし, これを標準に何人扶持と称して一年間分の米や金が下級武士に与えられた。 (3)俸禄を与えて家臣として抱えること。 「この信濃入道を~し給けり/徒然226」 (4)扶持米。 転じて, 食糧, 食い扶持などの意。

扶育

育てること。 たすけ育てること。

扶植

(勢力などを)うえつけること。 「自己の勢力を~するに汲々(キユウキユウ)たるを/思出の記(蘆花)」

源扶

源 扶(みなもと の たすく)は、平安時代中期の武士。『将門記』に前常陸大掾・源護の長男として登場する。 『将門記』によれば、承平5年(935年)の2月のある日、扶は弟の隆・繁と共に、野本で平将門を待ち伏せた。退くに退けず進むに進めなくなってしまった将門は、それでも憤然とし刃を交えての合戦におよんだ

句扶

句 扶(こう ふ、生没年不詳)は、中国三国時代の蜀漢の武将。字は孝興。益州巴西郡漢昌県の出身。 『三国志』蜀書王平伝には「忠誠にして武勇があり、寛大な人柄」として記述されている。また、何度か戦功をたて、王平に次ぐ功名・爵位を得たとされる。最終的な軍位は左将軍、爵位は宕渠侯にまで昇った。『華陽国志』