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單字詳情

三条公房

以後昇進して、建保3年(1215年)12月に内大臣となる。建保6年(1218年)順徳天皇のもとで従一位・太政大臣に叙任される。承久3年(1221年)承久の乱後の12月に上表して致仕。嘉禎元年(1235年)9月に出家し法名を空寂とした。建長元年(1249年)8月16日薨去。享年71。

相關單字

三条実房

90番 花留客といへる心をよみ侍りける 散りかかる花のにしきは着たれども帰らんことぞ忘られにける 140番 暮見卯花といへる心をよみ侍りける 夕月夜ほのめく影も卯の花の咲けるわたりはさやけかりけり 362番 清見潟関にとまらで行く船はあらしのさそふ木の葉なりけり 458番 跡もたえしをりも雪にうづもれて帰る山路にまどひぬるかな

三条西公条

『百人一首抄』、紀行文に『高野山参詣記』『吉野詣記』『三塔巡礼記』など、他撰の家集としては『称名院』がある。 稲葉良通に専門的な薬方の相伝を行なっている(『稲葉一鉄良通薬処方口伝書』)。 父:三条西実隆(1455-1537) 母:勧修寺教秀三女 妻:甘露寺元長の娘(?-1552) 男子:三条西実枝(1511-1579)

三条公忠

後押小路内大臣と号す。父は内大臣三条実忠、母は左中将藤原公直の娘。 子には太政大臣に至った実冬、藤原(三条)厳子(通陽門院)、実円、実禅がいる。 清華家である三条家の嫡流に生まれた。嘉暦3年 (1328年)に元服。元弘3年 (1333年)には左近衛中将に任じられ、建武4年 (1337年)には従三位に叙された。康永2年

三条公美

治33年)4月26日、満25歳に達し貴族院公爵議員に就任し、死去するまで在任した。 父の遺産は多くはなく、襲爵した時点で馬車を維持できなくなるほど家計が傾いていた。この状況を見て三条家に恩義がある尾崎三良が山縣有朋に掛け合い、宮内省から思召しとして5万円の公債を引き出すことに成功。公債の利子で馬車

三条公定

建仁2年(1202年)7月23日、参議に任ぜられ、翌年には従三位に昇る。建永元年(1206年)、備前権守・左大弁・勘解由次官を兼ね、位階は正三位に昇るも子の実基が妖言に関係したとして佐渡国に配流となった。 建暦元年(1211年)に帰京し、民部卿を務める。翌年参議に復する。建保4年(1216年)従二位・権中納言に至る。建保6年(1218年)出家。

三条公教

長承2年(1133年) 正月29日:参議、中将如元 父:三条実行 母:藤原顕季の娘 妻:藤原憲方の娘 妻:藤原国隆の娘 - 皇后宮御匣 妻:昭月 - または照月。僧林覚の娘、花園左大臣家家女房 長男:三条実綱(1128年?-1180年) 妻:家女房半物阿古 次男:滋野井実国(1140年-1183年) - 滋野井家祖

三条公輝

思召しとして1万円の公債を得ている。 1924年(大正13年)、甥・三条実憲(1902-1924)の急逝を受けて三条家の家督を相続し、公爵となる。貞明皇后と香淳皇后に仕え、宮内省皇后宮主事、皇太后宮事務官を歴任し、1933年(昭和8年)に掌典長に就任し

三条公行

三条 公行(さんじょう きんゆき)は、平安時代後期の公卿。太政大臣・三条実行の次男。官位は従三位・参議。三条と号す。内大臣・三条公教の同母弟。 保安3年(1122年) 右兵衛佐 保安5年(1124年) 従五位上 大治元年(1126年) 正五位下、左少将 天承元年(1131年) 周防介、左少弁 長承元年(1132年)

三条公冬

応永20年正月(1413年2月) 従二位 応永23年正月6日(1416年2月4日) 正二位 応永29年正月5日(1422年1月27日) 従一位 父:三条実冬(1354-1411) 母:水無瀬具景の娘 妻:水無瀬具景の娘 生母不明の子女 男子:三条実量(1415-1484) 男子:水無瀬季兼 男子:実助 『公卿補任』 表示 編集

三条公敦

三条 公敦(さんじょう きんあつ)は、室町時代後期の公卿。左大臣・三条実量の子。官位は従一位・右大臣。 左近衛中将・尾張権守・権中納言・権大納言などを経て、文正元年(1466年)に右近衛大将、文明7年(1475年)には左近衛大将、内大臣となった。さらに文明8年(1476年)には従一位、文明11年(1

三条公頼

帰洛。 1533年(天文2年)12月9日、方仁親王(のちの正親町天皇)別当となる。 1534年(天文3年)10月、守護大内義隆を頼って周防国に下向。 1536年(天文5年)3月、守護武田信虎を頼って甲斐国に下向。5月29日、帰洛。 1538年(天文7年)1月8日、右近衛大将を兼ねる。

三条公茂

^ 『花園天皇宸記』同日の条によると、才能に溢れていたとは言えないが公事に良く通じていた、という評がある。公茂の薨去を上皇が哀惜している様子が記されている。 『公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 永仁4年(1296年)に公茂が非参議従三位となった時以降の記事。

三条公兼

三位となり公卿に列しているが、元禄13年(1700年)になって突然官位を停止させられた。理由は不詳だが、朝廷内で大きな出来事のあった年でもないので彼個人の問題であると考えられる。弟・公充が三条家を相続し、公兼の子・実顕は公充の後を受けて三条家を相続した。 父:三条実治 母:家女房 妻:広幡豊忠女 男子:三条実顕

三条公睦

なお、三条家を相続した実美は当初、兄・公睦の子の公恭を継嗣としていたが、公恭の素行が悪かったため、これを廃嫡して実子の公美に三条家を相続させることにした。 父:三条実万 母:紀子 - 眉寿姫、山内豊策の娘 妻:恒姫 - 友姫、山内豊資の養女、山内豊著の娘、山内容堂の妹 生母不明の子女 次男:東三条公恭 ^ 中嶋 (1981) 109頁

三条

平安京の条坊の一。 また, 東西に通ずる大路の名。 三条大路。

三条

新潟県中部, 信濃川(シナノガワ)に臨む市。 江戸時代の金物鍛冶(カジ)に始まる金物工業が発達。 法華宗総本山本成(ホンジヨウ)寺がある。

一条房冬

中脇 2017. ^ 『お湯殿の上の日記』 ^ 『二水記』 中脇聖「土佐一条房冬と禁裏・古岳(嶽)宗亘の関係をめぐって」(日本史史料研究会編『日本史のまめまめしい知識』第2巻、岩田書院、2017年) 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年 近藤敏喬『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年

九条道房

学問の関わりは寛永11年3月に後水尾上皇からの命令で書き写した源氏物語の野分を高倉永慶を通じて進上したこと、寛永12年に源氏物語伝授である源氏三ヶ秘決を父から伝授されたことが挙げられる。一方、寛永14年(1637年)に母方の従妹に当たる明正天皇の摂政である兄を関白に改めて任命しようとした後水尾上皇

北条時房

男子:北条時村…相模次郎。承久2年(1220年)出家(法名・行念)。嘉禄元年(1225年)12月没 男子:北条時定…相模六郎 男子:忠源…延暦寺の僧。僧正 女子:一条頼氏妻 女子:北条朝時妻 女子:安達義景妻 女子︰千葉時胤妻 女子:長井時広妻 養子 北条時広…相模七郎。次男時村の子 北条時隆…相模八郎。次男時村の子