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單字詳情

六歌仙

…近代、古風を存する者、纔かに二、三人なり。然れども、長短同じからず。論じて以ちて弁ふべし。 華山の僧正(遍照)は最も歌の体を得たり。然れども、其の詞華にして、実少なし。図画の好女の徒らに人の情を動かすが如し。 在原の中将の歌は、其の情余りありて、其の詞足らず。萎める花の彩色少なしといへども薫香あるがごとし。

相關單字

六歌仙容彩

を拵えればいいのに、そうではないから文句と合わなくなっている」(『歌舞伎をつくる』)と述べており、これは親である七代目三津五郎も同じ意見だったという。 舞台中央の御殿の御簾が上がり、そこに桜の枝を持った十二単姿の小町、老懸けの付いた冠の装束で矢を負い弓を

三十六歌仙

三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)は、藤原公任の『三十六人撰』(さんじゅうろくにんせん)に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称である。36人の家集を集大成した現存する最古の写本は、西本願寺本三十六人家集である。 これに影響されて、中古三十六歌仙や女房三十六歌仙などが後世にできた。

浪速六歌仙

第1回浪速六歌仙ワンコインライブをStudio246にて敢行 8月21日 - 新曲となる「死ぬな!」を披露。 8月28日 - 1st Single「死ぬな!/僻み根性」のリリースを発表 8月30日 - 1stワンマンライブを心斎橋サンホールにて開催することを発表 9月11日 - 浪速六歌仙オリジナルタオルの予約開始

歌仙

(1)和歌に優れた人。 「三十六~」 (2)連歌・俳諧で, 長句と短句を交互に三六句連ねたもの。 懐紙二枚を折って用い, 一折目(初折)の表に六句, 裏に一二句, 二折目(名残の折)の表に一二句, 裏に六句書く。 芭蕉以降盛んに行われた。 → 百韻

歌仙歌合

を番えた秀歌集で、時代不同歌合の形式を取る。計130首。 巻子本、1巻。外題内題共になし。料紙は紫と藍の飛び雲を漉き込んだ鳥の子で、縦26.2cm、横44.6cmの紙を9枚継ぐ。上下二段書きで和歌を番えるという特異な形式をもつ。1首3行書きで、判や判詞はない。冒頭「一番」とあるが、二番以後の番数を欠く。

中古三十六歌仙

中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん)は、日本の平安時代末期に藤原範兼が『後六々撰(のちのろくろくせん)』に選び載せた和歌の名人36人の総称。三十六歌仙が選ばれた後に称されたもので、三十六歌仙に属されなかったが秀でた歌人とそれ以後の時代の歌人が選ばれている。 ポータル 文学 六歌仙 三十六歌仙

QED 六歌仙の暗号

ホワイト薬局勤務の薬剤師。GWに行われる製薬会社主催の薬草園研修旅行で京都を訪れる。 小松崎 良平(こまつざき りょうへい) 熊に似た佇まいから通称は、熊つ崎。この当時は、下っぱジャーナリスト。佐木教授の事件を追って、京都にやってくる。 斎藤 貴子(さいとう たかこ) 明邦大学文学部4年。亡兄の遺志を継ぎ、卒業論文に大学で

女房三十六歌仙

中古歌人のうち、小野小町・伊勢・中務・斎宮女御・小大君(三条院女蔵人左近)は「三十六人撰」、右大将道綱母・馬内侍・赤染衛門・和泉式部・紫式部・伊勢大輔・清少納言・相模は中古三十六歌仙と重複し、鎌倉期の歌人のうち八条院高倉・俊成卿女・宮内卿・藻璧門院少将は、「新三十六歌仙」に撰ばれている。「三十六

沖縄三十六歌仙

池城親方安憲 石嶺親雲上真忍 伊舎堂親方盛元 糸洲親雲上賀郁 内間親方良恭 浦添王子朝熹 奥間親方朝建 小禄按司朝恒 宜野湾王子朝祥 具志親雲上幸博 国頭親方朝斉 東風平親方朝衛 識名親方盛命 惣慶親雲上忠義 大工廻親雲上安詳 渡久山親雲上政規 豊見城親雲上盛昌 豊見城親雲上盛政 野村親方朝英 栢堂和尚 玻名城親方政順

歌仙兼定

全体の長さは88センチメートル。17世紀の作品とされる。腰刻黒漆研出鮫打刀拵(こしきざみくろうるしとぎだしさめのうちがたな)であり、細川忠興が自ら考案し「歌仙拵」とも呼ばれている。鞘は鮫皮(ほとんどはエイの皮が用いられる)を黒漆塗して研ぎだすと、鮫皮

都家歌六

三代目桂三木助に入門し、二つ目に昇進するも四代目三遊亭圓遊の門に移る。1969年に真打昇進し、八代目都家歌六を襲名。噺家や俳優としてドラマに出演するなどしていたが、真打昇進前後より「のこぎり(ミュージックソー)演奏」を余興として始め、1982年より本業とする。2011

中村歌六

かろく)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は播磨屋、五代目のときに一時萬屋としている( → 詳細は「萬屋」の項を参照)。定紋は播磨屋のときが揚羽蝶、萬屋のときが桐蝶、替紋は蔓片喰(つるかたばみ)。 初 代 中村歌六 大坂三井の番頭・丹波甚助の子、播磨屋作兵衛の養子、1779–1859。三代目中村歌右衛門の門人から上方歌舞伎の名女形に。

佐竹本三十六歌仙絵巻

の構内に移築されて現存している。同年12月22日付『中外商業新報』(後の『日本経済新聞』)が「画運-順次に打ち振る青竹の籤筒 遂に分かたれし三十六歌仙」と題して報じたように、くじは竹筒に入れた棒を引く方式だった。抽選会には益田自身も参加し、また、旧所蔵者の山本唯三郎にも源宗于を描いた1枚が譲渡されることになっていた。

仙台市民歌

三、 三百(さんびゃく)の 春秋(はるあき)去(さ)りて 山河(やまかわ)の 色(いろ)は移(うつ)らず 伝統(でんとう)の 血(ち)潮高(しおたか)くも 脈(みゃく) 打(う)つよ 我(わ)が胸(むね)に 四、 光明(こうみょう)の 時代(じだい)ぞ今(いま)は 空青(そらあお)く 望遥(のぞみはる)けし

六百番歌合

建久3年(1192年)に企画・出題される。翌4年秋に披講・評定され、同年に加判が終了した。歌題は春15・夏10・秋15・冬10・恋50の百題。恋部は前半25題が恋の進行状態による設題、後半25題が「寄物恋」型の組題となっているなど、題詠の細分化と体系づけが考慮された画期的な試みとなっている。

仙

(1)仙人。 (2)仙人になる法。 「我, 昔, 生たりし時, ~の法を習ひ行き/今昔 10」

三十六貝歌合

讀人不知 かたつ貝 鴨長明 24 磯貝 柿本人丸 片貝 藤原康光 25 紫貝 讀人不知 芦貝 津守國冬 26 都貝 讀人不知 法螺 寂蓮法師 27 烏貝 西行法師 雀貝 西行法師 28 裏打貝 敦隆 さたへ 西行法師 29 錦貝 讀人不知 色貝 菩提院關白 30 貼貝 西行法師 鮑 俊成卿 31 身無貝

古今和歌六帖

古今和歌六帖』の板本が刊行されこれが「流布本」と呼ばれる。天保11年(1840年)には、この流布本を底本とし諸本を以って本文を校合した『古今和歌六帖標注』(山本明清校注)が刊行されている。 第一帖 - 歳時 春 夏 秋 冬 天 第二帖 - 山 田 野 都 田舎 家 人 仏事 第三帖 - 水 第四帖 -

中村歌六 (初代)

で活躍する。文化元年3月(1804年4月)、初代中村歌六を名のって中芝居に、翌年には大芝居に出る。人気・実力とも年々あがり、数え49歳のとき若女形上上吉の評価を得て、三都で人気を誇る。安政6年(1859年)死去、享年81(満79-80歳)。 大柄だが美声で、器量が良く衣裳が映えた。傾城を数多くつと