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單字詳情

寇掠

[こうりゃく]
他国に攻め入って略奪すること。
「~をほしいままにする」

相關單字

奪掠

無理やり奪い取ること。 掠奪。 「領内の民財を~し/日本開化小史(卯吉)」

劫掠

⇒ ごうりゃく(劫掠)

掠る

※一※ (動ラ五[四]) (1)す早く通り過ぎる時に軽くこするように触れる。 「車が電柱を~・った」「弾丸は頬を~・っただけで命びろいした」 (2)上前をはねる。 「そば切(=蕎麦屋)のあかりを~・る夜はまぐり(=夜鷹)/柳多留2」 (3)容器の底にわずかに残った内容物を, 底をこするようにして取り出す。 「壺底ヲ~・ル/日葡」 ※二※ (動ラ下二) ⇒ かすれる

劫掠

〔「こうりゃく」とも〕 おびやかして奪いとること。 きょうりゃく。 「暫く関東を~して天下の大軍を起こし/太平記 10」

掠り

(1)かすること。 表面をさっとなでて過ぎること。 (2)上前をはねること。 口銭を取ること。 また, そのもうけ。 「~をとる」 (3)わずかな金もうけ。 「川ごしの賃銭ばかりで, 台の賃が~になりやす/滑稽本・膝栗毛 7」 (4)かすり傷。 「少しの~で水に浸つた故か気を失うた/歌舞伎・助六」 (5)ことば遊びの技法の一。 同音異義または類似の音をもつ語によって, 本来の意味とは別の意味を掛けもたせるもの。

掠む

※一※ (動マ四) (1)人の物をさっと奪い取る。 「しばしば人民を~・む/日本書紀(景行訓)」 (2)人目をごまかす。 あざむく。 「主の身代空になし天道を~・めをる/浄瑠璃・長町女腹切(上)」 ※二※ (動マ下二) ⇒ かすめる

掠れ

(1)かすれること。 「文字の~」「声の~」 (2)商品が不足してくること。 「品~」

倭寇

一三世紀から一六世紀, 朝鮮半島・中国大陸の沿海地域を侵犯・略奪した日本人に対する朝鮮・中国側の呼称。 その中心勢力は, 北九州・瀬戸内の土豪や沿岸漁民であり, 元来私貿易を目的としていたが, 一四世紀半ばから海賊化し, 米穀・人民を奪取・殺害するなど, 相手国に深刻な脅威を与えた。 勘合貿易などの進展により, 一五世紀中頃にはいったん鎮静。 一六世紀, 中国大陸南岸・南洋方面に再び発生したが, その集団に日本人は少なく, 多くは中国人の密貿易者・海賊であったと考えられている。 豊臣秀吉の禁圧で消滅。 ばはん。 → 北虜南倭

元寇

1274年(文永11)と81年(弘安4)の二度にわたる元軍の来襲。 高麗を支配下におさめたフビライは日本に入貢を求めて拒否され, 遠征軍を送って壱岐・対馬を侵略し博多に迫ったが, 二度とも西国御家人の奮戦と, 折しも襲った暴風雨によって艦船の大半を失い敗退した。 文永弘安の役。 蒙古来。

寇す

⇒ こうする(寇)

来寇

外敵が攻めて来ること。 「敵国~するに方り…我銃を発して/三酔人経綸問答(兆民)」

土寇

土民の一揆。 土匪(ドヒ)。

入寇

攻め入ること。 また, 外国から敵が攻め入ること。 来寇。 「元が~する」

寇準

れる。華州下邽県(現在の陝西省渭南市臨渭区)の人。 性格は剛直で知られ、『宋名臣言行録』には「寇準上殿、百僚股栗」(寇準が御殿に登ると部下たちはふるえあがる)という話が出ているほどである。 太平興国5年(980年)、進士に及第。同年の進士に王旦・向敏中・蘇易簡・張詠・晁迥・謝泌・馬亮など北宋初期の名臣と称される者が多い。

寇讃

寇 讃(こう さん、363年 - 448年)は、前秦から北魏にかけての官僚。字は奉国。本貫は上谷郡昌平県。後漢の雲台二十八将の一人である雍奴威侯寇恂の曾孫の寇栄(中国語版)の末裔という。寇謙之の兄にあたる。 前秦の東萊郡太守の寇脩之の子として生まれた。前秦の僕射の韋華に見出されて交友し、韋華が馮翊太

寇恂

寇 恂(こう じゅん、? - 建武12年(36年))は、後漢初期の武将、政治家である。字は子翼。上谷郡昌平県(現在の北京市昌平区)の人。爵位は雍奴侯。諡号は威侯。光武帝の功臣であり、河内太守、潁川太守、汝南太守、執金吾などを歴任した。「雲台二十八将」の第5位に序せられる(『後漢書』列伝12)。

寇遐

寇 遐(こう か)は、清末、中華民国の政治家。北京政府で農商総長をつとめた。字は勝孚。号は玄疵。 1906年(光緒32年)、西安師範学堂選科に入学する。在学中に中国同盟会に加入した。1909年(宣統元年)に卒業後、同州中学堂監学となる。その傍らで、陝西省内の革命派の蜂起を支援する秘密活動に従事している。

寇洛

寇 洛(こう らく、487年 - 539年)は、中国の西魏の軍人。本貫は上谷郡昌平県。 寇延寿と宋氏のあいだの子として武川鎮に生まれた。北魏の末年に六鎮の乱が起こると、郷里の人々を率いて并州・肆州に避難した。爾朱栄の下で乱の討伐にあたった。賀抜岳に従って関中に入り、赤水蜀を撃破し、功績により中堅将

寇儁

529年(永安2年)、寇儁は左将軍・梁州刺史として出向した。梁州は民心が荒れており、反乱が多発していた。寇儁は郡県に庠序を立てさせ、農耕や養蚕を奨励して、数年のうちに風俗を改めさせた。南朝梁が将軍の曹琰之を派遣して魏興に駐屯させ、城壁を工事させた。曹琰之はたびたび国境