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單字詳情

瀉下

[しゃか]
(1)水などを激しくそそぎくだすこと。
「五六丈の懸崖を~す/十和田湖(桂月)」
(2)下痢(ゲリ)。

相關單字

瀉下薬

上皮機能変容薬 クロライドチャネルアクチベーター ルビプロストン グアシル酸シクラーゼC受容体アゴニスト リナクロチド 胆汁酸トランスポータ阻害薬 エロビキシバット 漢方薬 乙字湯、加味逍遙散、麻子仁丸、防風通聖散、桂枝加芍薬湯、センナダイオウ錠などが虚証・実証によって選択される。

油脂瀉下

new entity linked to dietary changes].”. Gastroenterologia y hepatologia 35 (2): 74–7. doi:10.1016/j.gastrohep.2011.11.009. PMID 22266298.  脂肪便 直腸分泌物

傾瀉

(1)傾けて注ぐこと。 傾注。 (2)化学で, 沈殿物を容器の底の方に沈ませたあと, 容器を静かに傾けて上澄み液だけを流し出す操作。 デカンテーション。

瀉剤

くだしぐすり。 下剤。 瀉薬(シヤヤク)。

暴瀉

はげしい下痢。 水瀉。

瀉出

流れ出ること。 注ぎ出すこと。 「流水突爾と石灰岩壁の中途より外に~すること/日本風景論(重昂)」

瀉痢

腹をくだすこと。 下痢。 「一口のむときは忽(タチマチ)~す/伊沢蘭軒(鴎外)」

瀉す

⇒ しゃする(瀉)

沢瀉

姓氏の一。

沢瀉

(1)〔面高の意。 葉面の脈が高く隆起しているのでいう〕 オモダカ科の多年草。 水田・沼畔などに自生する。 葉は鏃(ヤジリ)形で, 長い柄がつく。 六, 七月に高さ約60センチメートルの花茎を立てて, 円錐状または総状に白色三弁の単性花をつける。 塊茎は食用。 野茨菰。 ハナグワイ。 ﹝季﹞夏。 → 慈姑 (2)家紋の一。 オモダカの葉・花の形を図案化したもの。 水沢瀉・抱沢瀉など。 (3)模様の名。 オモダカの葉を図案化したもの。 花を添えたものを花沢瀉という。

沢瀉

サジオモダカの漢名。 また, その塊茎から作る漢方薬。 利尿・止渇薬として用いられる。

瀉血

ヘモグロビンの形で鉄を体外に排出して、体内の鉄の総量を減少させる。これは、あくまで肝炎の進行を抑え肝硬変および肝がん(肝細胞癌)への移行を防ぐための対症療法であり、肝炎自体の治癒を目的とするものではない。 ヘモクロマトーシス 体内に鉄が沈着するヘモクロマトーシス

瀉する

下痢をする。 吐く。 「腹冷へ~・すること/新聞雑誌 37」

止瀉薬

腸粘膜蛋白に結合し、粘膜の分泌と刺激を抑制することで炎症や腸蠕動を抑制する。 タンニン酸アルブミンなど。 吸着剤 毒素や腸管ガスを吸着する。 ガスコンやアドソルビン(天然ケイ酸アルミニウム) 乳酸菌製剤 ラックビー、ビオスリー、ビオフェルミンなど 胃腸薬(胃薬) 制吐薬(吐き気止め) 瀉下薬(下剤) 表示 編集

吐瀉物

場合はそれぞれ黄色、黄緑色や白濁色などである。胆汁が混じった場合には茶色味を帯び、血液が混じった場合には褐色や黒色になる。日本では俗に、ゲロ、ゲー、ゲボなどと呼ぶ。多くは悪臭を伴って醜いことから他者の嘔吐を誘発することがあり、貰いゲロなどと呼ばれる。 なお、吐き出された内容物が胃やそれに近い消化器の

澤瀉屋

沢瀉屋(新・正・正、誤用) 澤瀉屋(おもだかや)は、歌舞伎役者の屋号。 名称は初代市川猿之助(二代目市川段四郎)の生家が副業として薬草の匙澤瀉を商う薬舗をやっていたことに由来する。 なお「瀉」のつくりの部分の上は、正しくは「わかんむり」の「㵼」である。 澤瀉屋の宗家の名跡は「市川猿之助」と「市川段四郎」の二枚看板

東沢瀉

東 沢瀉(ひがし たくしゃ、天保3年10月9日〈1832年11月1日〉 - 明治24年〈1891年〉3月28日)は、幕末の岩国藩士・儒学者(陽明学者)。諱は正純、通称は崇一郎、号は白沙、沢瀉。沢瀉の号は、明治になってから用いている。 天保3年(1832年)10月9日、周防国岩国錦見に生まれる。藩校養

沢瀉紋

沢瀉」と呼んでいる。葉だけのものを「葉沢瀉」と呼んだり、こちらを沢瀉と呼び、花のあるものを「花沢瀉」とよんで区別する場合もある。「沢瀉に水」のように流水や波紋を描いたものを「水沢瀉」ともいう。 立ち沢瀉、沢瀉 丸に沢瀉 沢瀉に水(水に沢瀉) 抱き沢瀉 福島沢瀉。福島氏 水野沢瀉、波沢瀉。水野氏

一瀉千里

〔川の水が一度勢いよく流れ出すと千里も流れる意〕 (1)物事が一気に進むこと。 「~にことを運ぶ」 (2)文章や弁舌が明快でよどみのないこと。 「~にまくし立てる」