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單字詳情

瑕瑾

[かきん]
〔「瑕」は玉のきず, 「瑾」は立派な玉の意。 正しくは「瑕釁(「釁」はきずの意)」〕
(1)物についた, きず。
(2)欠点。 短所。 ほかは申し分ないのに, ほんのわずかな欠点のあることにいう。
(3)恥辱。 名折れ。
「武略~の謗(ソシ)りを遺さん/平家 7」

相關單字

瑕

(1)打ったり切ったりしてできた, 体の表面の損傷。 創傷。 「~がうずく」「切り~」 (2)物の表面にできた割れ目や欠け目。 「柱の~」「~がつく」 (3)欠点。 不完全な部分。 「玉に~」「早とちりするのが~だ」 (4)不名誉なこと。 また, 好ましくない評判。 「経歴に~がつく」 (5)心などに受けた痛手。 「心の~」 <i>~無き玉</i> 完全で, 欠点のないもののたとえ。 また, きわめて大事なもの。 「~とおもほしかしづくに/源氏(紅葉賀)」 <i>~に玉</i> 欠点が多い中に, よい点が少しばかりあること。 「玉にきず」を反対にいったもの。 「『おまへは飲みさうな支体(カツボク)で下戸だの』『~だらうよ』/滑稽本・浮世床2」 <i>~持つ=足(=脛(スネ))</i> 犯した罪を隠しているなど, 後ろ暗いことがあることをたとえていう語。 脛に傷持つ。 <i>~を求む</i> 〔韓非子(大体)〕 無理に人の欠点や過失を探し求める。 毛を吹いて疵(キズ)を求む。

劉瑾

劉 瑾(りゅう きん、景泰2年(1451年) - 正徳5年(1510年)旧暦8月)は、明代の宦官。正徳帝に取り入り、同僚の宦官たちと結託して朝政を専断した。後に皇位簒奪を画策したとして捕縛され、凌遅刑に処された。 西安府興平県出身。無頼の出自で、旧姓は「談」であったと伝えられる。自宮して宮中に入り

竇瑾

竇持(中書学生、父とともに処刑された) 竇依(中書学生、父とともに処刑された) 竇遵(末子、父や兄たちが難に遭うと逃亡して免れた。楷書や篆書を得意として、平城の諸碑や台殿楼観宮門の題署の多くは竇遵の書いたものであった。尚書郎・濮陽郡太守をつとめて、受託収賄のことが多かった) 女(司馬弥陀の妻) 『魏書』巻46 列伝第34

秋瑾

- レファレンス協同データベース 夏衍 (1936), 秋瑾伝  武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す 秋瑾女士伝』筑摩書房〈筑摩叢書〉、1976年。全国書誌番号:73015452。  武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す 秋瑾女士伝』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2014年9月。ISBN 978-4-480-09638-8。 

唐瑾

たが、唐瑾はひとつとして取ることなく、ただ南方で得た書物を2台の車に載せて帰ってきた。ある人が「唐瑾は大きな輜重を持ち帰っており、ことごとく南朝梁の珍玩であります」と宇文泰に言った。宇文泰はその報告を信じなかったが、その虚実を明らかにしようと、人を派遣して調べさせたところ、ただ古典書籍があるばかりで

瑕疵

(1)きず。 欠点。 (2)法的に何らかの欠陥・欠点のあること。

疵瑕

〔「しが」とも〕 欠点。 あやまち。 瑕疵。 「遂に~たることを免るべからず/即興詩人(鴎外)」

無瑕

傷がないこと。 むきず。 「わがまことに愛づるは~の美玉にこそ/即興詩人(鴎外)」

屈瑕

したため屈瑕はこれを憂いた。鬬廉(若敖の子で、鬬伯比の弟)が屈瑕に「鄖は自国の郊外に軍を出しているため、警戒していないだろう。貴方が四国を防げば私が鄖を急襲しましょう。鄖が蒲騒城に恃めば闘志満ちみちて良くありません。鄖の軍を破れば四国は必ず離れるでしょう」こう進言したが、屈瑕はこれを否定し蒲騒で鄖を破り、貳・軫と盟を結んで帰還した。

文盛瑾

あの島へ行きたい 非常口がない 101回目のプロポーズ 1994年 セサン・パクロ 外の世界へ 私からあなたへ 1995年  ネオンの中へ陽が沈む 美しい青年、全泰壱 男はつらい マン? 1996年 つぼみ  1997年 グリーン・フィッシュ 殺す話 1998年 生寡婦慰謝料請求訴訟 2000年 秘花 ~スジョンの愛~

諸葛瑾

諸葛 瑾(しょかつ きん)は、中国後漢末期から三国時代の呉の武将・政治家。字は子瑜。徐州琅邪郡陽都県(現在の山東省臨沂市沂南県)の出身。諸葛亮の兄に当たる。子は諸葛恪・諸葛喬・諸葛融・張承妻。 後漢名門の琅邪郡諸葛氏の生まれであり、若い頃に首都に出て、『毛詩』・『尚書』・『左氏春秋』などを読み学問

杜奕瑾

2018-04-11,自由時報 ^ (繁体字中国語)Taiwan AI Labs創辦人杜奕瑾:當巨獸吃下世界,我們啟動《 ptt.ai 》落實資料正義的區塊鏈 2018-04-10,換日線(天下雑誌(中国語版)) ^ 米FCC、ネット中立性の原則撤廃を決定 2017-12-15,BBC ^ (繁体字中国語)五月天19年前

河瑾燦

1957年、韓国日報の新春文芸 1970年、第7回韓国文学賞 1983年、第2回趙演鉉文学賞 1984年、第1回楽山文学賞 1988年、柳周鉉文学賞 1998年、寶冠文化勳章 1972年、『수난이대』(受難時代) 1972年、『야호』(ヤッホー) 1973~1975年、『월례소전』(月禮小傳) 1977年、『흰 종이

弥子瑕

しの桃を食わせたとして弥子瑕は刑を受けた。 韓非はこの故事(「余桃の罪」)を以って、君主から愛されているか憎まれているかを察した上で自分の考えを説く必要があると説いている。 『春秋左氏伝』によると、衛の大夫の史魚が弥子瑕を辞めさせ、賢臣の蘧伯玉を用いるよう進言し、史魚の死後にそのことがかなえられたという。

中谷瑾子

『21世紀につなぐ生命と法と倫理-生命の始期をめぐる諸問題-』(有斐閣、1999年) 『21世紀につなぐ生命と法と倫理 続』(有斐閣、2001年) 『児童虐待を考える』(信山社出版、2003年) 『刑事法随想・わが心の軌跡-曲肱の楽しみ-』(信山社出版、2004年) 『子殺し・親殺しの背景-《親知らず・子知らずの

瑩山紹瑾

1311年 大乗寺を明峰素哲に譲り、加賀常住寺を開山する 1313年 能登(現在の石川県羽咋市)永光寺を開山する 1320年 後醍醐天皇より「十種の勅問」が下され、奉答したとされる 1321年 藤原行房の書による「總持寺」の勅額と紫衣(しえ)を天皇から賜り、能登總持寺を開山する。 1322年

楽園の瑕

を営む欧陽鋒(レスリー・チャン)の元に、毎春決まって、旧友の黄薬師(レオン・カーフェイ)が尋ねて来る。その春は、彼はある女にもらったのだと言って「酔生夢死(辛い過去と浮世の苦しみを忘れる酒)」を持参した。欧陽鋒はその酒を飲もうとはしなかった。彼には忘れたくない過去があったのだ。黄薬師は独りでその酒を

都氏文集

なお、この第五巻には菅原道真が方略試を受験したときの問題と、その答案の評価文が収められている。それによると*「文章全体をみると瑕瑾があり、作文上守るべき規則に外れているが、文章は彩を成し、文体にはみるべき点があり、評価できなくはない。筋道はほぼ整っており、よってこの答案を中の上(合格最低ライン)とする」とある。

陰摩羅鬼の瑕

3度、伯爵家の事件を担当した。出征を望んで12年前に一度退官するも高齢で叶わず、危険を承知で上京して工廠で働き、銃後を民間人として無事に生き抜いて、燻っているところを拾われて東京警視庁に奉職。5年間職務を熟して2年前に退官し、昭和28年時点では民間人。迷信も信仰も嫌っていて、墓参りにも行ったことがない。