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單字詳情

驢

[うさぎうま]
ロバの異名。 [色葉字類抄]

驢

[ろ]
ろば。

相關單字

海驢

(1)食肉目アシカ科の海獣の総称。 アシカ・トド・オットセイ・オタリアなどを含む。 (2){(1)}の一種。 体長は雄が約2メートル, 雌は約1.5メートル。 毛は暗褐色。 四肢は遊泳に適するよう, 魚のひれ状に変化している。 一夫多妻で, 群れをなして生活し, 警戒心が強い。 太平洋に広く分布。 うみうそ。 (3)〔アシカは眠りを好むと信じられたことから〕 眠たがる人。 特に, よく眠る若い遊女。 「~の名代席料を三分捨/柳多留 102」

海驢

アシカの古名。 「~の皮の畳八重を/古事記(上)」

驢馬

ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。 驢馬 驢馬(ろば) ロバ - ウマ科の動物 驢馬 (将棋) - 摩訶大大将棋・泰将棋・大局将棋で使われる駒の一つ。 驢馬 (雑誌) - 堀辰雄、中野重治、窪川鶴次郎らが大学在学中の1926年に創刊した小説同人誌。 このページは曖昧さ回避のためのページです

海驢島

しかし漢字表記としては「海馬島」の方が一般的であった。古くは安政4年(1857年)に仙台藩によって作成された『礼憤志理島之図』(仙台市立博物館所蔵)において「海馬島」と表記されている。1875年の書写とされる『北見国礼文郡全図』(北海道立図書館所蔵)においては「海

驢馬 (将棋)

驢馬(ろば)は、将棋の駒の種類の一つ。本将棋にはなく、摩訶大大将棋・泰将棋・大局将棋に存在する。 成ると金将。 成ると鳩盤。 [脚注の使い方] ^ 『象戯図式』『諸象戯図式』では縦に他の駒を越えて動けるとなっている。『象棋六種之図式』では「上下踊り二目、踊らざれば一目、猛牛のごとし」と注記がなされて

驢馬 (雑誌)

ポータル 文学 驢馬(ろば)は、1920年代の日本の同人雑誌。1926年(大正15年)4月から1928年(昭和3年)5月まで刊行され、全12冊で終刊した。 中野重治、窪川鶴次郎、堀辰雄、西沢隆二、宮木喜久雄、平木二六が中心となり刊行された。「驢馬」という名前は堀辰雄の提案で決まった。彼ら同人が創刊

半井驢庵

1586年)より『医心方』30巻と通仙院の院号を与えられた。正親町天皇の時代には法印に叙すことが検討されたが、先任の法印がいる場合にはその上席に就けることができないため、深黒の素絹を着用することを許し、僧綱によらずに法印の上席とした。これは他の医官と異なる半井家の特例となった。文禄5年/慶長元年(1596年)死去。

吉士磐金

子を産んだという。これと関係があるのかどうかは不明だが、同年8月に新羅は孔雀1羽を貢上した。さらに、その次の年の9月には、百済は駱駝(らくだ)1匹、驢(うさぎうま=ロバ)を1頭、羊2頭、白い雉(きぎす=キジ)を1羽貢上した。これらの動物は、589年に中国を統一した隋によってもたらされたものであろう

張楷

張覇の中子として生まれた。父の学問を受けて、厳氏(厳彭祖)『春秋公羊伝』や『古文尚書』に通じ、門徒はつねに100人に達した。家は貧しく、驢車に乗って県まで薬を売りに行くのを生業とした。司隷に茂才に挙げられ、長陵県令に任じられたが、赴任しなかった。弘農の山中に隠居したが、門徒の学者たちがか

セスジキノボリカンガルー

セスジキノボリカンガルー(背筋木登長尾驢、Dendrolagus goodfellowi)は、哺乳綱二門歯目カンガルー科キノボリカンガルー属に分類される有袋類。 インドネシア、パプアニューギニア(ニューギニア島東部) 体長57.4-62.5センチメートル。尾長64.5-76センチメートル。体重6.7-9.1キログラム。背

ろばを売りに行く親子

の心の定まらぬ事」として載せているが、結末部分では「皮を剥いで軽くして持って行けばいい」という意見に従うが、ハエがたかって困り果て、結局捨てて帰っている。明治時代の渡部温訳『通俗伊蘇普物語』では133話に「老爺と息子と驢馬の話」として載せる。第一期国定教科書の高等小学読本に「老人と驢馬との話」の題で載せられている。

韓陵の戦い

驢馬をつないで帰路をふさぎ、将士らと決死を誓いあった。高歓が中軍を率い、高昂が左軍を率い、高岳が右軍を率いて爾朱氏の軍と決戦した。 高歓が緒戦で不利となり敗走すると、爾朱兆らはこれに乗じて追撃した。高岳が500騎で爾朱氏の軍の