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單字詳情

黎錦熙

位(主語の位置)・賓位・補位・領位・副位・同位・呼位の7つの位置に置くことができるとした。 『新著国語文法』は中華民国の中学校の文法教科書として使用された。日本でも戦時中に重用され、邦訳もされている。 黎錦熙 著、大阪外国語学校 大陸語学研究所 訳『黎氏支那語文法』甲文堂書店、1943年。 

相關單字

黎

黎(れい) 中国史の国名。 黎 (殷) - 殷代に山東省にあった国。 黎 (春秋) - 春秋時代に山西省にあった国。 前黎朝 - ベトナムの王朝。 後黎朝 - ベトナムの王朝。 黎 (姓) - 中国人、ベトナム人、マレー人の姓。 黎族 ‐ 中国の少数民族 黎語 - 黎族が話す言語。 矢花黎 - 7

黎明

(1)夜が明けて朝になろうとする頃。 明け方。 よあけ。 (2)物事が盛んに始まろうとする時。 新しい文化などが起ころうとする時。 「近代日本の~を告げる」

黎首

「黎元(レイゲン)」に同じ。

黎朝

ベトナムの王朝。 黎利が中国の明の支配を撃退し, 1428年ハノイに独立, 大越を国号とした。 1527年莫登庸(バクトウヨウ)に王位を奪われ王朝が断絶したが, 32年に復興。 のち鄭氏と阮氏が権力を争い, 西山党の阮氏により1789年滅亡。

黎元

〔「黎」は黒, 「元」は首の意で, 無冠の人をさす〕 人民。 庶民。 黎民。 黎首。 黎庶。

黎庶

「黎元(レイゲン)」に同じ。

黎淳

『明史』憲宗紀一 ^ 談遷『国榷』巻37 ^ 『国榷』巻41 ^ 『明史』芸文志四 『明史』巻164 列伝第52 黎文僖公伝(倪岳『青渓漫稿』巻24所収) 明故資善大夫南京礼部尚書致仕進階栄禄大夫諡文僖黎公先生行状(李東陽『懐麓堂集』巻43所収) 故南京礼部尚書諡文僖黎公神道碑銘(徐溥『謙斎文録』巻4所収)

黎 (姓)

声優。 黎(レ)はベトナムで3番目に多い姓で、人口の約9.5%を占める。10世紀に前黎朝、15世紀に後黎朝と2つの王朝があった。 黎桓(レ・ホアン) - 前黎朝の初代皇帝。後世には黎大行(レ・ダイ・ハイン)とも称される。 黎利(レ・ロイ) - 後黎朝の初代皇帝。 黎聖宗(レ・タイントン) - 後黎

黎桓

(第3代皇帝) 御北王 黎龍釿(ベトナム語版) 定藩王 黎龍鏦(ベトナム語版) 副王 黎龍鏘(ベトナム語版) 中国王 黎龍鏡(ベトナム語版) 南国王 黎龍鋩(ベトナム語版) 行軍王 黎龍鍉(ベトナム語版) 貞明皇后 黎氏仏銀(ベトナム語版) - 李公蘊(李朝初代皇帝李太祖)に嫁した。 扶帯王 楊熙璉 -

九黎

起こした時代より後にあたる)に世を乱したのはその余類であろうと示している。 [脚注の使い方] ^ 『国語』楚語 下 「及少皞之衰也、九黎亂徳、民神雜糅、不可方物。」 ^ 早稲田大学編集部 『漢籍国字解全書 先哲遺著追補 第42巻』(『国語』楚語 下) 早稲田大学出版部 1917年 404-405頁

黎利

『大越史記全書』 10巻。"二十二日,帝與明總兵官太子太保成山侯王通,(中略)僉事郭端會盟于城之南。期以十二月十二日班師,仍差人賫本,請還我土守。時通等在城困迫,所恃者援兵,又爲我所敗,故講和乞㱕。"。  ^ 『大越史記全書』 10巻。"於是明以山壽、馬騏出菩提營爲質於帝。帝亦令司徒思齊及黎仁澍入東關城爲質

錦

(1)種々の色糸を用いて華麗な模様を織り出した織物の総称。 模様を経(タテ)糸で表す経錦(タテニシキ)と, 緯(ヨコ)糸で表す緯錦(ヨコニシキ)がある。 唐織(カラオリ)・綴(ツヅレ)織・金襴など。 現在, 西陣が主産地。 「金銀珊瑚(キンギンサンゴ)綾(アヤ)~」 (2)色や模様の美しいもの。 「紅葉の~」「みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の~なりける/古今(春上)」 <i>~を飾・る</i> 功を成し遂げて故郷に帰る。 「故郷に~を飾る」 <i>~を着て夜行くが如(ゴト)し</i> 〔漢書(項羽伝)〕 立身しても故郷に帰らないのは, 錦を着ても人に姿を見てもらわないのと同じで, 甲斐がないということ。

洪熙

洪熙(こうき)は中国、明代の元号(1425年)。第4代皇帝仁宗の在世中に使われた。このため仁宗は洪熙帝と呼ばれる。洪熙元年に仁宗が亡くなったため、1年で終わった。 ^ 『明史』巻九 本紀第八 仁宗「(永楽)二十二年七月,成祖崩於楡木川。八月甲辰,遺詔至,遣皇太孫迎喪開平。丁未,出夏原吉等於獄。丁巳

淳熙

閏9月:荊湖・江西にて蠢動した茶寇が平定される。 淳熙3年 4月6日:靖州の渓峒蛮が乱を起こす。 12月:蛮寇が黎州を急襲したが、すぐに逃げる。 淳熙4年 正月26日:淳熙暦が施行される。 2月18日:荊湖・四川・二広の渓峒蛮を按撫し、辺境の撹乱を取締する詔勅が出る。 淳熙5年 正月6日:程頤・王安石の学説もって人材を選ぶことを禁ずる。

義熙

2月5日:南燕を滅ぼし、山東が東晋に版図に入る。 5月14日:盧循軍が建康の近くに逼る。 7月10日:劉裕が盧循を破って敗退させる。 8月:江陵を侵した桓謙が敗死し、桓氏の勢力はみな消滅する。 11月:譙縦が巴東を侵す。 義熙7年 3月:劉裕が太尉・中書監を兼ねる。 4月24日:交州に逃げた盧循が敗死し、これにより孫恩・盧循の乱は完全に鎮圧される。

熙平

熙平(きへい)は、南北朝時代の北魏において、孝明帝の治世に使用された元号。516年旧正月 - 518年旧2月。 プロジェクト 紀年法

奚熙

鳳凰3年(274年)、会稽郡にて、孫晧は既に亡くなっており、章安侯孫奮が天子になるであろうという妖言が流行った。臨海太守の奚熙は会稽太守の郭誕に書簡を送り、国政を非難した。郭誕は、奚熙の国政を非難する書簡のことは上言したが、妖言については上言しなかったということで逮捕され、建安に送られ、船を作る労役に従うこととなった。

嘉熙

12月:孟珙が長江中流域にわたってモンゴルの攻勢を阻止させる。 嘉熙4年 正月15日:星変により理宗の「罪己詔」が下る。 2月:モンゴル軍が四川から退却する。 7月:南宋とモンゴルの和議交渉が決裂する。 10月3日:翌年より「淳祐」へ踰年改元の詔が下る。 モンゴル帝国 - 太宗オゴデイの9年 - 12年 元号一覧 (中国)

紹熙

3月18日:宜州を侵した蛮寇が平定される。 7月14日:瀘州の軍人の張信が乱を起こしたが、鎮圧される。 紹熙4年 7月21日:叙州の蛮寇が辺境を急襲する。 紹熙5年 6月9日:孝宗が崩ずる。 6月11日:百官が光宗に服喪を請じたが、断られる。 7月5日:光宗が退位する。 7月16日:趙汝愚が右丞相となる。