娘の優希(ゆうき)ちゃんは当時4歳。体を動かすのが大好きで、妹の面倒をよく見る優しい子だったという優希ちゃんに突然、異変が起きました。
だるそうにしておう吐を繰り返し、かぜのような症状も。そして顔がむくんでいきました。
「むくみがひどくて、顔が本当にパンパンになった。ちょっとただごとじゃないなと感じました」 告げられた病名は「拡張型心筋症」。血液を送り出す心臓の力が低下する難病で、すぐに入院し、心臓の負担を減らす薬の治療を始めました。
「病名を聞いても全く知らない病気だったので、ピンとこなかった。大変な病気なんだなというくらいな感じでした」
希佳さん 「それしか生きる道はない。どうやったら助かるかを考えたときに、他人様の臓器を頂かないと命をつなげられないということになるならば、その方法しかないのかと」
「初めてのカメラ撮影。きょうはいろいろシビアで長い1日でした。だからこそ初カメラで撮りました」 大輔さん 「結構当時は、本当毎日くらい泣いてたんですけれど、自分が泣いてても娘の写真を撮るしかないなと思いました。瞬間をもう切り取っていくしかないと思いました」
「補助人工心臓の挿入部の出血を止める手術、胸を開くのはこれで3回目。自分の子ながら本当に頑張っている」。
「途中、目を覚ましてくれた。『治ったら焼き肉いくよ』と声をかけると『うん』とうなづいてくれた」 家族は懸命に生きようとしていると感じていました。 大輔さん 「暗闇の中、綱渡りで何か光りが差すかわからない状態を目指して、渡るような感じがありました。僕らは臓器が喉から手が出るぐらいにほしかったんですよね」
法律が改正され、2010年からは▽本人の意思が不明であっても家族の同意があれば脳死後の臓器提供が可能となり▽15歳未満の子どもも臓器提供ができるようになりました。 しかし、日本で子どもの心臓移植の件数は少なく、大輔さんと希佳さんは、海外で移植を受ける準備を進めることにしました。
「12月27日。(海外の)受け入れ先より正式に受け入れることが決まる。まずは一歩前進した。もう1か月も(優希ちゃんの)声を聞いてないから声が聞きたい」
医師からは、脳の機能の4分の3ほどが失われ、これ以上治療を続けられない、「脳死の状態」だと告げられました。
「先生からは脳幹の圧迫もあり脳自体はもうほとんど機能していない。ここからは良くする治療はできないというお話だった。とめどなく涙があふれた。たくさんの思い出が、楽しかった思い出が後押しするように泣いた。こんなに泣いたことはないくらい泣いた」 懸命に生きようとした娘を救いたいと願ってきた自分たちに何ができるのか。娘のことを考え続けてきた大輔さんと希佳さんは重い決断を下します。 優希ちゃんの臓器を移植を待つ人たちに提供することを決めたのです。
「少し落ち着いてから先生に優希の臓器を優希のように臓器を待っている子どもたちのために使ってもらえないかとお願いした」 希佳さん 「臓器がほしいということばかり最初は思っていたんですが、命についてしっかりと考えた時間があったから、うちの子がそうなったときにすぐに提供しないとという考えがすっと浮かびました」
治療中はだっこができませんでしたが、抱きしめました。
「家族はあたたかい。家族はこの世で一番尊いもの。人は当たり前の毎日にいつも分かったふりをして過ごしてしまう。優希は沢山のことをお父さんに教えてくれた」
白木さんの元には、臓器提供を受けた家族から元気に過ごしているという知らせが届けられています。 大輔さん 「子どもの死は悲しくて乗り越えがたいものですけど、臓器提供を選択することは、その周りの家族の方にも光を灯すことだなと気づかせてくれた」 希佳さん 「亡くなる側も(臓器を)いただく側も、もう平等というか同じ人でお互い様なんだよってことを教えてくれたのかなと。命の大切さ、相手への思いやりの心、自分も相手も同じ命の重さだという、人として一番大切なことを教えてくれたと思います」 (社会番組部・北條泰成、科学文化部・山下由起子、水野雄太)
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