地球最後の
日までの
残り
時間を
象徴的に
示す「
終末時計」の
時刻を
発表してきたアメリカの
科学雑誌は、
北朝鮮の
核・ミサイル
開発が
加速していることや、トランプ
大統領の
核政策が
予測できないことなどから、
時計の
針を
30秒進め、
冷戦期の
1953年と
並んで、
過去最短の「
残り
2分」になったとして、
強い
危機感を
示しました。アメリカの
科学雑誌、「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は、
25日、
首都ワシントンで
記者会見を
開き、
地球最後の
日までの
残り
時間を
象徴的に
示す「
終末時計」の
針を
30秒進め、「
残り
2分」になったと
発表しました。
「残り2分」は、冷戦期にアメリカと旧ソビエトが水爆実験を行った1953年と並んで、過去最短です。
理由については、北朝鮮の核・ミサイル開発が加速していることや、トランプ大統領の核政策が予測できないことなどから、核戦争の危険性が高まっているとしており、強い危機感を示しています。
また、トランプ大統領がパリ協定からの脱退を表明するなど、地球温暖化対策が停滞していることや、トランプ政権の登場でこれまでの国際秩序が崩れ、外交交渉が進まないことなども理由に挙げました。
そのうえでこの科学雑誌は、北朝鮮との間で、非核化に向けた対話を目指し、トランプ大統領が非難の応酬をやめることや、各国が地球温暖化対策を強化することなどで、危機を遠ざけることができると指摘し、迅速な行動を呼びかけています。
「終末時計」これまでの一進一退
「終末時計」は、核戦争の脅威について警告しようと、冷戦初期の1947年、科学雑誌の表紙に登場し、地球の滅亡まで「残り7分」とされました。
当時、核兵器を保有していたのはアメリカだけでしたが、1949年、旧ソビエトが核実験を行い、核兵器を保有するに至った際には「残り3分」に、1953年には、米ソが水爆実験を行ったのを受けて、これまでで最も地球の滅亡に近い「残り2分」まで進められました。
1960年代から70年代にかけては、フランスと中国が新たに核保有国となったり、ベトナム戦争など地域的な衝突が激しさを増したりした際に針が進められた一方で、部分的核実験禁止条約やNPT=核拡散防止条約が発効するなど、核軍縮や米ソの対立回避に向けた動きが見られると、針は「残り12分」に戻されました。
しかし、1980年代にかけて、針は再び進められます。世界全体の核兵器の数が6万発を超えるなど、核軍縮が進まなかったうえ、旧ソビエトがアフガニスタンに侵攻するなど米ソの対立が深まったことから、1981年には「残り4分」に、そして、1984年には「残り3分」にまで進められました。
その後、旧ソビエトのゴルバチョフ書記長の登場を経て米ソの対立が和らぎ、冷戦が終結して核軍縮の機運が高まったことを受け、1991年、時計の針は地球の滅亡から最も遠い「17分前」にまで戻されました。
ところが、1998年にインドとパキスタンが相次いで核実験を行ったことや、アメリカなど核保有国が核兵器の近代化を進めるなど、核軍縮のペースが落ちたことに加え、21世紀に入ってからは、地球温暖化対策が進まないことも考慮され、針は進められました。
さらに去年には、北朝鮮による核・ミサイル開発や、アメリカ・トランプ政権の核兵器や地球温暖化をめるぐ政策への懸念などから、針が「残り2分半」まで進められていました。
科学雑誌の中心メンバーが警告
科学雑誌の中心メンバーで、アリゾナ州立大学のローレンス・クラウス教授は、25日の記者会見で、「現在、米ソの冷戦期と同様に核戦争による破滅の危機が迫っているが、政府やメディア、それに科学や事実そのものに信頼が置かれなくなり、世界が直面する問題に対応するのが難しくなっている」と警告しました。
そのうえで、「私たちは、これまでの危機でも時計の針を戻すことができた。政府などに対し、正しい行動をとるよう促していかなければならない」と述べました。