

去年2月以降の軍事侵攻では、チョルノービリ原発も施設が一時、ロシア軍に占拠され、式典では占拠された間も現地に残り、放射性物質の飛散を防ぐシェルターなどの管理にあたっていた職員らが表彰されました。
表彰された男性は「ザポリージャ原発でもしものことがあれば、ここと同じような事態になりかねない」と話していました。
ロシア軍による占拠が続くザポリージャ原発をめぐっては砲撃によって原子炉の冷却に必要な外部からの電力供給がたびたび途絶えるなど、原子力施設で重大な事故が起きることが懸念されています。
そしてSNSでメッセージを投稿し、この中で「37年前、チョルノービリ原発の事故は世界全体に大きな傷痕を残した。いまも原発周辺の30キロ圏内は放射線量の高い危険な場所となっている」と述べ事故がもたらした影響の大きさを改めて強調しました。 その上で「去年、占領者はチョルノービリ原発を占拠しただけでなく、再び世界を危険にさらした。テロ国家が原発の施設を利用して、ウクライナと世界を脅す機会を与えないためにあらゆる手段を講じなければならない」と訴えました。 また、IAEA=国際原子力機関のグロッシ事務局長とも電話で会談したことを明らかにしゼレンスキー大統領は、ロシア軍が占拠している南部のザポリージャ原発を取り戻すことが新たな災害から世界を守ることにつながると強調したとしています。
ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」の奏者、カテリーナ・グジーさん(37)です。 カテリーナさんは、チョルノービリ原発からおよそ3キロ離れた町プリピャチで生まれましたが、生後1か月ほどで原発事故が起き、家族とともに首都キーウへの避難を余儀なくされました。 キーウで通った学校では同級生から「放射能がうつる」とか「病気を持っている」などと言われ、友達を作るのにも苦労したということです。 また、原因不明の頭痛に悩まされたり、突然鼻血が出たりすることもあり、事故の影響への不安が拭えなかったということです。 事故についてカテリーナさんは「原発事故のせいで父も友達も被ばくし、病気になって亡くなった。37年がたっても町には戻れず、子どもや次の世代に健康への影響がないかずっと心配している。思い出したくなくても残念ながら、これからもずっと私の人生にあるものだ」と話していました。
しかし、2011年、東京電力福島第一原子力発電所の事故を目の当たりにしました。 カテリーナさんは事故の影響を心配して、一時的に東京から関西に避難しました。 当時について、カテリーナさんは「日本に来て、原発事故は絶対に起きないと信じていたが、2回も起きた。自分の家族と同じ経験をしないといけないのはなぜなのかと思った」と振り返りました。 さらに去年、母国のウクライナにロシアが軍事侵攻を始めました。 カテリーナさんのめいとその家族は、ロシア軍に占拠されている南部のザポリージャ原発から数キロの場所に住んでいるということで、戦渦の中で原発事故が起こらないか懸念を強めています。
カテリーナさんは「人生で2回原発事故が起き、戦争も行われていて、普通じゃない人生だが、自分の音楽活動を通してこの経験を伝えて、平和や安全な世界になってほしいという願いを訴えていきたい」と話しています。
ゼレンスキー大統領「テロ国家が脅さぬようあらゆる手段を」
2度の原発事故を経験 平和伝え続けるウクライナ女性