明治から
昭和にかけて
日本の
文学界を
けん引した
作家、
志賀直哉が
初期の
短編小説「
網走まで」の
発表後、
結末に、
作品の
後日談を
数行書き足すことを
検討していたとみられることが
新たにわかりました。
専門家は「
志賀のより
よい表現のための
模索がうかがえる
貴重な
資料だ」と
指摘しています。
東京 目黒区にある日本近代文学館が志賀直哉の遺族から寄贈された1910年の同人雑誌「白樺」の創刊号などを調べたところ、文章の削除や句読点の訂正など、志賀の自筆で推こうした跡が多数、新たに見つかりました。
このうち「網走まで」は、宇都宮の友人を列車で訪れる主人公が、同席した北海道の網走まで向かうという幼い子連れの若い母親の境遇に、思いをはせながら終わる物語ですが、結末のあとに、3行程度の文章が書き足されていることが確認されました。
書かれていたのは「其夜自分は友達の家へ一泊した。色々な話は出たけれども遂に此事は話さなかつた。それから三日目、湯本から中禅寺へ還る途中自分は此話を友に話した」などといういわゆる後日談でした。
この文章が加わった結末は、単行本などの出版にも反映されていないということです。
文学館の中島国彦理事長は「『網走まで』の書き足しは、結局のところ日の目を見なかった数行ということになりますが、背景の説明になって余韻がかえってなくなるので最終的に採用しなかったのだと思います。志賀自身が、よりよい表現のために模索した貴重な資料として知ってほしい」と話しています。
文学館によりますと「網走まで」のほかにも「孤児」と「剃刀」「彼と六つ上の女」の作品について、100か所以上の書き込みが見つかったということです。