去年2月6日にトルコ南部で発生した大地震では
▽トルコで5万3537人
▽隣国シリアでおよそ6000人の
合わせて5万9000人以上が死亡しました。
トルコ南部の被災地では、いまだ手付かずの壊れた建物も見られるなど各地で被害の爪痕が残されたままで、トルコ政府によりますと、今も70万人近い人たちがコンテナの仮設住宅での生活を余儀なくされているということです。
エルドアン大統領は大地震からの1年間で、およそ32万世帯分の公営住宅を完成させると公言してきましたが、入居の予定はおよそ5万世帯にとどまっていて、今も各地で建設工事が続けられています。
甚大な被害が出たカフラマンマラシュ県やハタイ県では、幹線道路沿いにレストランや美容室など、仮設の店舗が設けられ、街の再建が進められていますが、人口の流出や産業の空洞化への対応も大きな課題となっています。
一方、内戦が続くシリアでは、大きな被害が出た北西部の反政府勢力の支配地域への支援が限られる中、今も多くの人がテントでの暮らしを強いられていて、復興の道のりは険しいものとなっています。
被災地からの声 先行きへの不安 復興への思い
大地震から1年になるのを前に、トルコ南部の被災地では、いまだ見通せない先行きへの不安とともに、復興にかける思いも聞かれました。
このうち、ガジアンテプ県ヌルダーにあるコンテナの仮設住宅で暮らす20歳の女性は「この1年間、地震の記憶を忘れたくても忘れられなかった。もしもの時のことを考えてしまい、家族のもとを片ときも離れられなくなった」と話していました。
また、ハタイ県の中心都市アンタキヤで自宅を失い、子ども4人と借家で暮らす43歳の警備員の男性は「地震の前後で家賃が3倍に跳ね上がり、やっとの思いで生活している。日々疲れ果て、悲嘆に暮れている」と述べ、経済的な苦境への不安を語っていました。
アンタキヤの別の40歳の男性は「取り壊しが終われば街は再建するというが、何も建設されず、見てのとおりさみしいままだ。すべてが崩壊しても、私たちは生きていかなければならない」と話していました。
一方、大地震で倒壊したケバブ店の跡地に仮設店舗を設置し、先月から営業を再開した35歳の男性は「私たちの味を待っていてくれた人のため、地元ハタイに戻ってきた。私たちが店を開ければ、お客さんだけでなく卸売業者にも恩恵がある」として、街の復興に貢献していきたいとの思いを語っていました。
また、この店に妻と長年通っているという41歳の男性は「以前は繁盛していたが、多くの人が去ったので、かつてのにぎわいはなくなった。ここでとどまっている商店を訪ねることで、復興の助けになれたらと思う」と話していました。
さらに、能登半島地震へのお見舞いの声も聞かれました。
アンタキヤのさら地になった地区で、コンテナの中に商品を並べて仮設の工具店を営む64歳の男性は「1日も早い復興を祈っている。日本の皆さんにもこのような恐ろしい災害が繰り返し起きないことを願っている」と話していました。
コンテナの仮設住宅で生活している家族は
トルコでは今も70万人近い人々がコンテナの仮設住宅で生活していて、大地震から1年となる中でも被災者の多くが厳しい環境での暮らしを余儀なくされています。
このうち、特に被害の大きかったハタイ県で900世帯余り、およそ5000人が仮設住宅に身を寄せる地区では、先月、大雨で排水溝が詰まる被害が相次ぎ、配水管を取り替える工事が行われていました。
工事を依頼したセルカン・ヤルドゥムジュさん(44)は、自宅が大きな被害を受け、テントでの避難生活をへて去年7月から妻と子ども2人の家族4人でコンテナの仮設住宅で暮らしています。
冷暖房とキッチンが備え付けられているものの停電が頻繁に起きて、使えないこともあり、強風が吹くとコンテナが揺れて、そのたびに地震を思い出して、家族で外に飛び出すこともあるということです。
ヤルドゥムジュさんは、政府が整備を進める被災者向けの公営住宅に入居したいと考えていますが、申し込みはまだしていないといいます。
ヤルドゥムジュさんは経済的な事情から、住居探しが難航しているとして「補助金や無利子のローンも用意されているが、貯金もなく、物価高が続いている中では購入は容易ではない」と話していました。
長男のユスフさん(14)は、地震で親友を亡くしたほか、多くの友人たちも街を離れたということで「ハタイが再建されてみんなが戻ってきて、また会えたらいいと思う」と話していました。
また、妻のゼイネプさん(50)は、子どもたちのストレスの緩和に役立てようと、コンテナの裏の限られたスペースに家庭菜園をつくり、野菜を育てています。
ゼイネプさんは「植物の世話をすることが癒やしにつながっています。大地震を生き延びた私たちは精いっぱい、生きなければなりません」と話していました。
専門家「精神的なサポートは時期を問わず必要」
トルコ政府が普及に取り組んでいる心理的応急処置について、現地で講習にあたったのが金沢大学融合研究域教授で、日本トラウマティックストレス学会理事の堤敦朗さんです。
堤教授はWHO=世界保健機関の技術専門官として、インド洋大津波の被災地で心のケアの対応にあたるなど、これまで世界各地の被災地で活動してきました。
能登半島地震では、被災地に入るNGOの求めに応じて専門的なアドバイスを提供したり、今後の活動に向けて、現地にいる「DPAT」=災害派遣精神医療チームなどとも、情報交換をしたりしているということです。
大地震から1年がたつトルコの被災地での心のケアの必要性について、堤教授は「必要性はむしろ高まっている。人によっては半年、1年たって落ち着いたころに、苦しみがあふれてくる人もいる」として、精神的なサポートは時期を問わず必要なものだと指摘しています。
また、能登半島地震にも共通する問題意識として、みずから被災しながらも、被災者の支援を続ける自治体職員などの心の疲労を挙げ「人材が少ない地域では、自分が頑張るしかないという責任感に駆られて必死になるが、ある時、心が折れてしまうことがある」としたうえで、周囲がねぎらいのことばをかけることや、支援をする人どうしで、心情を吐露したり、相談したりできる環境が大切だと訴えました。
堤教授は能登半島地震の2日後にトルコで指導した、心理士からメッセージをもらったことを明らかにし「自分たちもすごく大変な状況の中で、われわれにも思いをはせてくれたことに感激した。災害の当日の連絡は極力控えるという話をトルコでもしていたので、気を遣ってくれたのだと思う」と振り返っていました。