「プレーヤー表彰」で谷繁元信氏と黒田博樹氏
新たに野球殿堂入りしたのは「競技者表彰」と「特別表彰」のあわせて3人で、18日、東京 文京区の野球殿堂博物館で行われた式典で発表されました。
「競技者表彰」のうち、引退から5年以上が経過し、現役時代の功績が大きかった選手が対象となる「プレーヤー表彰」では
▽現在のDeNAの前身の横浜や中日でキャッチャーとして活躍した谷繁元信氏と
▽広島と、大リーグのドジャースとヤンキースで活躍した黒田博樹氏が選ばれました。
谷繁氏は強肩強打と巧みなリードを武器に1998年に横浜の38年ぶりの日本一に大きく貢献したほか、中日に移籍後もリーグ優勝と日本一に貢献し、2000本安打やプロ野球記録を更新する3021試合出場の記録を打ちたてました。
谷繁氏は式典でスピーチし「プレーヤー表彰に選ばれ、光栄に思うところと『まさか自分が』という思いが駆け巡っている。いままでの人生に携わっていただいた方や、プロに入って27年間、耐え抜いた体に感謝をしたい。微力だが、これからも野球界に貢献できるよう頑張っていきたい」と話しました。
権藤博 氏「まさしく頼りになるプレーを見せてくれた」
谷繁元信氏が当時の横浜で38年ぶりの日本一に貢献したときに監督を務めた権藤博氏は式典にゲストとして出席し「なんとしてもレギュラーをつかみ取るという執念が彼を支えてきた。ハンドリングやスローイングもよく、私はキャッチャーは試合が始まったら『フィールド内の監督だ』と言ってきたが、まさしく頼りになるプレーを見せてくれた。まだまだプレーができそうな感じだが、これからは野球界のために谷繁らしく貢献してもらいたい」と祝福のスピーチをしました。
黒田氏は広島のエースとして11年間で103勝をマークし、その後、大リーグのドジャースとヤンキースでプレーして79勝を挙げ、2015年に広島に復帰すると、翌年には史上2人目となる日米通算200勝を達成してチームの25年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
黒田氏は広島時代の監督だった山本浩二さんもゲストとして出席する中「広島に入団しての数年間は結果を残すことが出来なかったが、山本浩二さんに先発投手として、エースとしての心構えをマウンドで学ばせてもらい、現役生活の原動力となっていた。日米含めて20年間の現役生活で1万回以上も打者と対戦し敵・味方含めてたくさんのすばらしいプレーヤーと切磋琢磨してきた。関わってくれたすべての方々にお礼を申し上げたい」と話しました。
山本浩二 氏「先発すると完投のことばしかなかった」
黒田博樹氏が広島に在籍していたときに監督を務めた山本浩二氏は式典にゲストとして出席し「5年間、選手と監督としてやってきて、ちょうど脂ののりきってきたころだった。当時から『分業制』がある中で先発すると完投のことばしかなかった。かたくなに1人で投げて、投げ抜いて勝ちを取るという寡黙だが性格的にもガッツ、根性がある選手だった」と振り返りました。
また、2005年に最多勝のタイトルを獲得したときのことについて「あと1勝で最多勝という中でリリーフで登板させて勝ちを取った。本人は悔しかったかもしれないが、タイトルを取るのは大変なことでのちのちプラスになると考えて強行したのを覚えている」とエピソードを披露していました。
さらに、大リーグでの活躍から広島に復帰してリーグ優勝に導くまでにも触れて「大リーグの選手たちの体格がすごい中で努力して結果を残してきたことは並大抵のことではない。そして“男気”を見せて優勝するために広島に帰ってきたことで感激を味わえたことが人生のプラスになってくる。これからも野球界のためにがんばってほしい」と祝福していました。
「エキスパート表彰」は該当者なし
また、プロ野球の監督やコーチを務めた人が対象の「エキスパート表彰」は該当者はなく、最も多く得票した掛布雅之氏は147票中109票を獲得しましたが必要な得票数に2票届かず今回、選出を逃しました。
「特別表彰」に審判 谷村友一氏
一方、幅広く野球の発展に貢献した人をたたえる「特別表彰」には、審判としてプロ野球の公式戦3026試合を担当し、日本シリーズ11回、オールスターゲームも6回担当しおととし、94歳で亡くなった谷村友一氏が選ばれました。
◆谷繁元信 氏とは
谷繁氏は広島出身の53歳。1989年に当時の大洋にドラフト1位で入団し、強肩強打と巧みなリードで頭角を現し、1998年には当時の横浜の38年ぶりの日本一に貢献しました。
そして、2002年にFA=フリーエージェントの権利を使って中日に移籍しました。
中日でも強肩と抜群のインサイドワークに加えパンチ力のあるバッティングでチームを支え、落合博満監督の下「扇の要」として守り勝つ野球を体現して4回のリーグ優勝や2007年の日本一に大きく貢献しました。
2013年には42歳4か月で通算2000本安打を達成しましたが、これは当時のプロ野球最年長記録で、2803試合での達成はもっとも遅いペースとなっています。
2014年からは監督を兼任して通算出場試合を3018試合に伸ばし、野村克也さんの持つプロ野球記録を更新しました。
その翌年に現役を引退し、2016年には監督に専念しました。
▽出場:3021試合(現在もプロ野球記録)
▽打率:2割4分
▽ホームラン:229本
▽打点:1040
▽安打:2108本
▽ベストナイン:1回
▽ゴールデン・グラブ賞:6回
球史に残るキャッチャーの1人です。
◆黒田博樹 氏とは
黒田氏は大阪出身の48歳。1997年にドラフト2位で専修大から広島に入団し、150キロを超える速球を持ち味に最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得するなどエースとしてチームを引っ張り、11年間で103勝を挙げました。
FA=フリーエージェントの権利を行使して2008年に大リーグ、ドジャースに移籍すると投球スタイルをバッターの手元で小さく変化するボールを軸とした打たせて取るピッチングに変え、大リーグ5年目からはヤンキースでプレーしました。
黒田投手は常に先発ローテーションの一角として活躍し、大リーグでは5年連続で2桁勝利を達成するなど通算79勝をマークしました。
そして、大リーグの主力として活躍していたにもかかわらず2014年のシーズンオフに年俸が大幅に減るのもいとわず「最後はカープのユニフォームが着たい」と古巣の広島に復帰しました。
復帰1年目の2015年には11勝を挙げ、翌年・2016年には野茂英雄さん以来、史上2人目となる日米通算200勝を達成しました。
また、快挙を成し遂げたそのシーズンには25年ぶりのリーグ優勝をかけた試合で勝ち投手になるなど、大リーグ時代から7年連続となる2桁勝利もマークし、惜しまれながら引退しました。
日米通算20年の現役生活で533試合に登板し、203勝184敗1セーブの成績を残し広島での現役時代の背番号「15」は永久欠番に、また、ドジャースで背負った「18」は、このオフに移籍した山本由伸投手がつけます。
現在は、ともに優勝に大きく貢献した新井貴浩監督から直接要請を受け、広島の球団アドバイザーに就いています。
【日米通算成績】203勝184敗1セーブ
▽出場:321試合(日本)/212試合(大リーグ)
▽勝利:124勝(日本)/79勝(大リーグ)
▽敗戦:105敗(日本)/79敗(大リーグ)
▽セーブ:1S(日本)/0S(大リーグ)
▽防御率:3.55(日本)/3.45(大リーグ)