造幣局を志望したのは、巧みな技術が必要な国の勲章を作りたかったからだ。
しかし、1か月の新人研修を終え配属が決まったある日、上司についてこいと言われた。
桜の木にびっしりと列をなしているのは毛虫。1匹や2匹ではない。
「落として捕まえんねん」
毛虫を触るのは、子供の頃以来だった。
それから30年。
渡邊さんは“桜守”と呼ばれている。
敷地内には140品種339本の桜が立ち並び、桜の名所として知られる。
「局員だけの花見ではもったいない」と明治16年に当時の局長の発案で始まり、ことし140周年を迎えた。 いつしか「桜の通り抜け」と呼ばれるようになり、昭和、平成と時を超えて、大阪の人に愛され続けてきた。
「やっぱし大阪人はな、昔からここで桜を見んことには、ことし桜を見た感じしませんわな」 令和の今は、桜はさまざまなSNSへと投稿されている。 しかし、その美しさはただ自然に任せているわけではないことを、多くの人は知らない。
桜にとって本当は手をかけないのが一番だ。 ただ、桜の通り抜けで訪れる人のためにはせんていが欠かせないという。 低い枝は通行の妨げにならないように、切り落とす。 しかしあまり切りすぎると、見上げないと桜が見えなくなってしまう。 その見極めは難しい。 しかも、低い枝をすべて切るわけではない。
どこまでも見物客の目線で考える。 足元にも気をつかう。 桜の根が押し上げてできた段差で、つまづく人が出ないように地面のタイルの張り替え作業まで行っている。
コロナ禍だ。 2020年、桜の通り抜けは中止になった。 第2次世界大戦以来のことで、戦後では初めてだった。 それでも、桜の手入れは欠かさなかった。 2020年の当時のインタビューではこう答えていた。
その翌年、2021年も、桜の通り抜けは中止になった。 ただ桜を見に来る人のことを思いながら、桜の手入れを続けてきた。
事前予約制で人数は限られているが、桜の下に笑顔が戻ってきた。 ことしの一般開放は4月7日から1週間。 多くの人が桜の下を通り抜けている。
「きれいに見られてよかったです。初めてやもんな」
「子供の頃は親に連れてきてもらってたから。お花が好きですもん、もう何もかも忘れますもん。動けるかぎりは絶対、来たいです」
50歳になった今、渡邊さんは、後進に技術をつないでいくことに、力を入れている。 多様な桜の品種を絶やさないためには「接ぎ木」が欠かせない。 枝へのカッターナイフの歯の入れ方など、細かい技術を伝授していく。
技術を習う若手職員からの信頼も厚い。
「厳しくはないですね。いつも優しく、細かく教えてくれるんで。ただ、台風の後とかすぐに朝一で桜を見に行ったりしているんで。すごいなって。あそこまで桜のこと考えてやってはるの」 大阪の春の風物詩、桜の通り抜け。 それは、30年前のあの日、勲章を作りたくて入局した1人の桜守が、私たちに贈るギフトなのかもしれない。
「毎年同じことを繰り返しやってるようで、桜も生きているので、毎年進化しているというか。もっと通りやすくきれいな花がたくさんある桜の通り抜けにできたらと思っています」
大阪の春の風物詩・桜の通り抜け
桜を見る人の目線で
誰も見る人がいなくても…
戻ってきた笑顔
10年先も桜を
しあわせニュース