日本は前回 東京大会の金メダルに続き2大会連続のメダルです。
フェンシングの団体は1チーム3人ずつが総当たりで戦い、9回の対戦で合計のポイントが多かったチームか、先に45ポイントを取ったチームが勝ちとなります。
世界ランキング3位でオリンピック連覇を目指す男子エペ団体の日本は、今大会、エペ個人で金メダルを獲得した加納虹輝選手のほか、見延和靖選手、山田優選手、それに古俣聖選手で勝ち上がりました。
世界5位のハンガリーとの決勝には、見延選手を除く3人が臨みました。
日本は3ポイント差で迎えた第7試合で、古俣選手が相手の背中を突いて、一時、同点に追いつきました。
2ポイント差で迎えた第9試合は、個人世界ランキング1位の加納選手と世界2位のゲルゲイ・シクローシ選手の頂上対決となり、加納選手が残り7秒を切った場面で同点に追いつき、試合は1ポイント先取の1分間の延長戦に入りました。
しかし最後は、加納選手がシクローシ選手にポイントを許し、日本は25対26で敗れて銀メダルを獲得しました。
日本は前回 東京大会の金メダルに続き2大会連続のメダルです。
金メダルはハンガリー、銅メダルはチェコでした。
山田「自分たちでつかみとった価値のあるメダル」
山田優選手は「悔しさもあるが、終わってみたら楽しかった。東京大会は開催国枠での出場だったが、今回は自力で出場枠を取っての挑戦だった。僕らもチャレンジャー精神で挑んだし、そういった意味では自分たちでつかみとった価値のあるメダルだと思う」とほっとした表情で話していました。
古俣「金を取れなかった悔しさも」
団体のリザーブメンバーとして初戦の途中から出場し、決勝戦では追い上げの流れを作った古俣聖選手は「ワクワクしながら決勝戦のピストに立った。銀メダルを取ることができてとてもうれしいが、最後ぎりぎりの勝負だったので金を取れなかった悔しさもある」と率直な思いを話しました。
見延「最後まで勝ちを信じていた」
見延和靖選手は「最後まで勝ちを信じていたが、天が味方してくれなくて2位だった。僕の応援が足りなかった。ただみんなが最後まで諦めずにこれだけの試合ができて日本の実力を示せた」と仲間とともに戦った充実感を示しました。
加納「悔しさ半分 うれしさ半分」
加納虹輝選手は「悔しさ半分、うれしさ半分。個人戦に続いてグランパレの決勝の舞台で試合ができて楽しかった」と笑顔で話しました。
2ポイント差を追いつきながらも延長戦で惜しくも敗れた9試合目については、「オリンピックということは少し忘れてやっていていつも通りできた。もうちょっとプレッシャーをかけて最後は自分が飛び込むつもりだったがその前に相手が剣を出してきたので、フェイントに反応してしまった」と振り返りました。
個人で金メダル、団体で銀メダルを獲得した今大会を振り返り、「間違いなく手応えがあり自信がある。次のロサンゼルス大会では個人と団体の金を目指してまた4年間、やっていきたい」と早くも先を見据えていました。
「エペジーーン」パリでも響く
そして、加納選手を含めた4人は前回 東京大会の団体で金メダルを獲得した当時、見延選手がチームに名付けた愛称である「エペ陣」と「ジーンと感動させる」をかけたということばをこのパリでも響かせて喜びを表現していました。
日本 “勝って当然” 取るべくして取ったメダル
惜しくも銀メダルだったものの、フェンシングの男子エペ団体で2大会連続のメダルを獲得した日本。
これで今大会、この競技でのメダルは3つ目となり、競技の本場フランスで行われている大会で、日本は大きな存在感を見せています。
しかし、この躍進は決して驚きではありません。
前回の東京オリンピックで、男子エペ団体が日本史上初の金メダルを獲得してからは、その活躍に触発される形で、フルーレやサーブルも国際大会で表彰台に上がる回数が一気に増えていきました。
元日本代表で解説者を務める山口徹さんは「」と分析しています。
【質の高い体制構築】実を結んだパリ五輪
日本フェンシング協会は近年、本場 フランス出身の指導者をリクルートするなど質の高い指導体制を構築してきました。
東京北区のナショナルトレーニングセンターには、3種目が一度に練習できる専用施設が整備されているほか、静岡県沼津市と協定を結び、地方にも集中して合宿が行える環境を整えるなど、ソフト面とハード面の両方で選手強化や普及の環境を整えてきました。
これらの取り組みが実を結び、過去のオリンピックで獲得した合計のメダル数3つに1大会で並ぶ、めざましい躍進を見せています。
会場のグランパレは連日、地元フランスの人たちを中心に超満員で、日本の活躍は驚きを持って受け止められています。
パリ大会は日本がフェンシングの強豪国と呼ばれる転機となりそうです。