ひと自然しぜん一緒いっしょきる:森林しんりんまもかんがかた変化へんか

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N3 Oct 8, 2025 07:10 2094
Furigana 翻譯
日本報紙
世界せかいでは、森林しんりん自然しぜんまもることへの関心かんしんたかまっている。最初さいしょかんがかたは「人間にんげんのために自然しぜんまもる」というものであった。つまり、人間にんげん生活せいかつ未来みらいのために森林しんりん維持いじすることが大切たいせつだというかんがえである。しかし、このかんがかたにはおおくの問題もんだいがあった。ず、「人間にんげんのための森林保護しんりんほご」というかんがかたでは、「人間にんげんのための開発かいはつ」もただしいとかんがえられてしまう。同じ「人間にんげんのため」という理由りゆうで、自然しぜんまもひと開発かいはつすすめるひと意見いけんがぶつかり、どちらがただしいとはえなくなるからである。つぎに、「人間にんげんのため」といっても、なに人間にんげんのためになるかはひとによってちがう。たとえば、農村のうそんらすひと都市としらすひとでは、自然しぜんたいするかんがかたことなる。同じ山村さんそんでも、林業りんぎょうをしているひととそうでないひととでは意見いけんちがう。ひともり関係かんけい様々さまざまであり、「どんな保護ほご人間にんげんのためになるのか」という問いといひとつのこたえはない。さらに、「人間にんげんのため」というかんがえをもつと、「人間にんげんやくたない自然しぜんまもらなくてもいい」とかんがえるひとてくる可能性かのうせいがある。このような問題もんだいのため、「人間中心にんげんちゅうしん自然保護しぜんほご」はおおくの批判ひはんけ、次第しだいちからうしなっていった。その後そのご、「自然中心しぜんちゅうしんかんがかた」がまれた。このかんがえでは、自然しぜん人間にんげんのためになるかどうかに関係かんけいなく、自然しぜんそのものにきる権利けんりがあるとする。しかし、この理論りろんにも限界げんかいがある。原生林げんせいりんのようにひとがほとんどはいっていない自然しぜんにはうが、ひと自然しぜんなが時間じかんをかけてともきてきた日本にほんのようなくにでは、説明せつめい十分じゅうぶんではない。たとえばむかし農村のうそんでは、人々ひとびと生活せいかつまもるために「里山さとやま」とばれるもりつくった。それはひとくわえられた自然しぜんであり、ひと自然しぜんともきるかたちであった。このように、自然しぜん人間にんげん関係かんけい一方的いっぽうてきではなく、たがいにささってっているのである。
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