世界では、
森林や
自然を
守ることへの
関心が
高まっている。
最初の
考え
方は「
人間のために
自然を
守る」というものであった。
つまり、
人間の
生活や
未来のために
森林を
維持することが
大切だという
考えである。
換句話說,這是一種認為為了人類的生活與未來,維護森林是很重要的想法。
しかし、この
考え
方には
多くの
問題があった。
先ず、「
人間のための
森林保護」という
考え
方では、「
人間のための
開発」も
正しいと
考えられてしまう。
首先,從「為了人類而保護森林」這個觀點來看,「為了人類而發展」這件事也是正確的。
同じ「
人間のため」という
理由で、
自然を
守る
人と
開発を
進める
人の
意見がぶつかり、どちらが
正しいとは
言えなくなるからである。
基於同樣「為了人類」的理由,主張自然保護的人們與推動開發的人們之間的意見產生對立,無法斷言哪一方是正確的。
次に、「
人間のため」といっても、
何が
人間のためになるかは
人によって
違う。
接下來,即使說是「為了人類」,對人類來說什麼是有益的,每個人也都不一樣。
たとえば、
農村で
暮らす
人と
都市で
暮らす
人では、
自然に
対する
考え
方が
異なる。
例如,住在鄉下的人和住在城市的人,對於自然的看法是不同的。
同じ
山村でも、
林業をしている
人とそうでない
人とでは
意見が
違う。
即使是在同一個山村,從事林業的人和沒有從事林業的人,意見也會有所不同。
人と
森の
関係は
様々であり、「どんな
保護が
人間のためになるのか」という
問いに
一つの
答えはない。
由於人類與森林之間的關係極為多樣,因此對於「如何保護森林才對人類有益」這個問題,並不存在唯一的答案。
更に、「
人間のため」という
考えをもつと、「
人間の
役に
立たない
自然は
守らなくてもいい」と
考える
人も
出てくる
可能性がある。
此外,如果一直保持「為了人類」這個觀點,可能會出現認為「對人類沒有用的自然就不需要被保護」的人。
このような
問題のため、「
人間中心の
自然保護」は
多くの
批判を
受け、
次第に
力を
失っていった。
由於這樣的問題,「以人為本的自然保護」受到了許多批評,並逐漸失去了其影響力。
その後、「
自然中心の
考え
方」が
生まれた。
この
考えでは、
自然は
人間のためになるかどうかに
関係なく、
自然そのものに
生きる
権利があるとする。
根據這個觀點,不論自然是否對人類有益,自然本身也擁有其存在的權利。
しかし、この
理論にも
限界がある。
原生林のように
人の
手がほとんど
入っていない
自然には
合うが、
人と
自然が
長い
時間をかけて
共に
生きてきた
日本のような
国では、
説明が
十分ではない。
這個理論適用於幾乎未經人類干預、如原始森林般保持自然狀態的地方,但像日本這樣人類與自然長期共存的國家,僅靠這個理論是不足以解釋的。
たとえば
昔の
農村では、
人々は
生活を
守るために「
里山」と
呼ばれる
森を
作った。
例如,在過去的鄉村村落中,人們為了守護自己的生活,創造了被稱為「里山」的森林。
それは
人の
手が
加えられた
自然であり、
人と
自然が
共に
生きる
形であった。
那是受到人類影響的自然,是人類與自然共同共存的形態。
このように、
自然と
人間の
関係は
一方的ではなく、
互いに
支え
合って
成り
立っているのである。
如此一來,自然與人類的關係並非單方面的,而是透過彼此互相扶持而建立起來的。