警察庁元長官の國松孝次(85)は、インタビューの中で、阪神・淡路大震災が起きた1995年(平成7年)をこう振り返った。
1997年3月までのおよそ2年8か月にわたり 警察庁長官を務め、阪神・淡路大震災や、オウム真理教の一連の事件の対応などにあたった。 その年の3月には自らが狙撃される事件が発生し、一時意識不明の重体となり、國松にとっては決して忘れることのできない1年だ。 阪神・淡路大震災が発生したのは、長官に就任してからおよそ半年となる頃。 「兵庫県では県警本部長など過去に3度の勤務経験があり、慣れ親しんだ場所だった」 こう言って、震災当時の資料をめくりながら語り始めた。
國松が震災の発生を知ったのは、出張で大阪に向かうため、ふだんより早く待機していた秘書からの一報だった。 「午前6時ごろでしたか。秘書から『どうも関西で大変大きな地震があったようです。どういたしましょうか』と。慌ててテレビをつけたんですね。たしか最初に見た映像は大阪の高速道路を映したカメラでしたが、車は普通に流れているんですよ。いったい何が起きているのだろうと」
一方、約500キロ離れた東京の警察庁では当直員らが現地の警察と連絡をとり情報収集にとりかかっていた。 國松が警察庁に登庁したのは午前7時半ごろ。しかし、兵庫県警と警察庁を結ぶ通信網はほとんど機能しなかったという。 「当初、東京には情報が入ってこず、何がなんだか分からなかった。兵庫県警の本部長とも連絡が付かないと言うので、これは尋常ではないと…」 発生からおよそ3時間後の午前9時前。 県警本部に近い生田警察署で指揮を執っていた県警本部長とようやく連絡が取れる。 「震度7、とにかく大変な災害です。自分の公舎も倒壊しました。ただ、どの程度の被害規模になるか。いま詳しい情報の収集を進めています」 本部長とのやりとりは短い時間だった。
上空からの神戸の街の映像に、國松は言葉を失った。
戦後の日本が初めて経験した都市型の大災害だった。死者6434人、負傷者は4万3000人余りにのぼった。あまりの被害の大きさに実態把握には時間がかかり、発生後6時間たった17日正午に兵庫県警が発表した死者数は200人だった。 「阪神・淡路大震災では、当日に5000人ほどが亡くなったとされている。午前中だけでも、相当の数の人がお亡くなりになっていた。被害結果から考えると、当時のわれわれの想像をはるかに超える事態だったということなんです」
『最大の後悔』と語ったのが、あまりの被害規模により遅れた情報の収集と総理大臣官邸への共有だった。
阪神・淡路大震災では、総理大臣官邸に災害対策本部が設置されたのは発生から4時間後。 当時、政府の危機管理に問題があったと批判の声があがった。消防庁や警察庁にある程度の情報が集積されながら、国土庁(当時)や官邸には届けられていなかったという、制度上の問題も指摘された。
そして、1998年には、大規模災害やテロなどの際、省庁間の総合調整を担う強力な権限を付与される「内閣危機管理監」が設置され、歴代警察庁OBが務めている。
みずからの判断が違えば、政府の初動対応も違っていたのではないか。 震災から28年がたった今も、悔やむ気持ちを抱え続けている。
みずからの反省と教訓を次世代に伝えるため、ある決断をした。 災害の研究などを行う兵庫県のシンクタンク「ひょうご震災記念21世紀研究機構」。 阪神・淡路大震災の対応を検証するため、本音を語ってもらおうと30年間非公開を条件に、当時の政財官のトップらから聞き取った証言記録が残されている。
しかし、NHKは、本人への了承を得た上で、研究機構に記録の開示を求めたところ、先月、映像が開示された。 映像が収録されたのは2004年。 やりとりの記録は文書にして27ページ、およそ2時間のインタビュー映像だ。
28年がたち、記録の開示に応じた理由は何か。 「震災から長い時間がたった。最近では、新型コロナウイルスの感染拡大などをめぐっても、国の危機管理体制についてさまざまな問題が指摘されている。過去のみずからの反省や教訓をいま伝えるのもよいのではないかなと思って」
全国の自治体では、災害時などにSNSを通じて救助要請や被害状況などの情報を収集する取り組みも進んでいる。 被災地の神戸市でも、災害時にSNSにあふれる情報をAI=人工知能を使って収集し、地図に表示する新しいシステムを導入するなど、災害対策へのSNSの活用が広がっている。 國松は、情報の真偽を見極め、救助活動などに役立てていくことが今後さらに重要になるという。 「私なんかもう古い人間だからSNSはよく分かりません。ただ災害時には、現場の映像や写真、それに位置情報などがリアルタイムに収集できる。マスメディアと呼ばれるあなたたちのようなメディアでは予測しないような力を発揮することもあるんですな。ただ、時には誤った情報が、あたかも真実であるかのように拡散してとんでもない影響を及ぼすこともある。人命救助は一刻を争うだけに、関係機関と連携し、情報の確からしさを瞬時に判断できる仕組みが重要だと思います。災害対応は情報が命ですよ」
「災害対応に万全というのはないと思っている。だからこそ、過去の反省を教訓に、危機管理を見直す作業を繰り返していく必要があると思います。やはり人は過去の災害を忘れてしまうものです。当事者でもないと――」 阪神・淡路大震災のあと、東日本大震災も経験。原子力災害という“想定外”への対応も迫られた。 今後、私たちは経験したことのない事態にどう備えるか。 世代を超えて教訓を伝えていくため、これからも取材を続けていきたい。
その時、警察庁長官は
“高速道路が横倒し”想像超える事態
語った“最大の後悔”
初動対応違っていたら…
反省と教訓 社会に共有
“情報は命” SNSの可能性
過去の教訓 次世代へ
その多くの人が地震当日に亡くなっていたとされている。
しかし、発生当日の正午に兵庫県警が発表した死者数は200人だった。
「東京に情報が入らず、何がなんだか分からなかった。これは尋常ではない…」
あの日、何が起きていたのか。当時の警察庁長官が初動対応の裏側を明かした。
(神戸放送局 記者 井出瑞葉)
1995年 地下鉄サリン事件も銃撃事件も…