大学進学後は北島康介さんなどを育てた平井伯昌コーチに師事し、日本のエースとして臨んだ2016年のリオデジャネイロ大会は400メートル個人メドレーで金メダルを獲得するなど、リレー種目とあわせ金・銀・銅3つのメダルを獲得しました。
その後は、古傷の右ひじの手術をきっかけに不振が続き、おととし(2019年)3月からおよそ3か月にわたって休養するなど苦しい競技生活を送りました。
1年の延期を経て開催されたことしの東京大会には種目を200メートル個人メドレーに絞るなどして、3大会連続出場を果たしました。
大会では表彰台に上がることはできませんでしたが、6位に入った200メートル個人メドレーのレース後には「自分のやりたい泳ぎができたので悔いはない」と充実感をにじませていました。
この際、今後については「いまはやりきった気持ちでいるので、どうなるかわからない」と明言を避けていましたが、関係者によりますと萩野選手は24日までに所属先などに対して現役を引退する意向を伝えたということです。
おととしの休養から復帰後、萩野選手は「水泳を続けることと同じくらいの意味を持つ」と強いこだわりを持っていた400メートル個人メドレーへの挑戦を続けてきましたが、体力面などで最も過酷とされる種目で安定した成績を残すことはできませんでした。 悩んだ末に代表選考会となったことし4月の日本選手権では「東京オリンピックに出たい」という思いを優先して、400メートル個人メドレーを欠場しました。 種目を絞って出場した200メートル個人メドレーは自身の持つ日本記録よりも2秒以上遅いタイムで2位だったものの代表の座をつかみました。 迎えた東京大会では唯一の個人種目のレースとなった200メートル個人メドレーの準決勝で決勝進出を決めたあとにプールサイドで感極まり、「もう1本、泳げるというこんなすごい贈り物を神様がくれて、本当に幸せです」と涙を流して喜びました。 翌日の決勝のレースは、序盤から攻めの泳ぎを見せて最後まで力を振り絞って泳ぎ切り6位入賞という結果を手にしました。 レース直後、プールの中で満足そうな表情を浮かべた萩野選手が、同い年のライバルとして長年、しのぎを削ってきた瀬戸大也選手と笑顔で抱き合い、健闘をたたえ合う姿は印象的なシーンでした。
ラストレースまでの道のり険しく
瀬戸「偉大な存在だった」