決勝では、スタートから先頭に立つと、その後もなめらかな動きで先頭争いをしながら、2位で折り返しました。
コーチから「ゆっくりと大きなストロークを心がけるように」というアドバイスにしたがったという後半も粘りの泳ぎを見せ、そのまま2位でフィニッシュし、今大会で日本選手にとって初めてとなる銀メダルを獲得しました。
タイムは予選より8秒以上早い2分26秒18で、14歳でのメダル獲得はパラリンピックの日本選手団で最年少の記録となりました。
山田選手は「予選の結果が全体で3位で銀メダルを取れると思っていなかったのでうれしいです。決勝では予選以上に緊張すると思ったので、開き直って笑顔で楽しんでいこうとレースに臨みました」と笑顔で話しました。
そして決勝のレースについては「“ストロークをゆっくり”というコーチのアドバイスを受けて、今までいちばん頭を使ったレースだったと思います」と振り返っていました。
金メダルはシンガポールのピン シュー・イップ選手で、銅メダルはメキシコのファビオラ・ラミレス選手でした。
リオデジャネイロパラリンピックをテレビで見たことをきっかけにパラリンピックを目指すようになりました。 去年、クラス分けで運動機能障害の10クラスのうち2番目に障害が重いクラスに変わり、そのクラスで唯一のパラリンピック種目となる背泳ぎに本格的に取り組み始めました。 その泳ぎ方はまさに山田選手独自のもので、山田選手はみずからの泳ぎを「はねて、できるだけ速く進むイメージ」と表現します。 左足を横に、右足は縦に動かして水を蹴り肩を回して推進力を生み出しています。
このときのタイムは2019年の世界選手権の銀メダルに相当し、一躍、東京パラリンピックのメダル候補と期待されていました。 日本パラリンピック委員会によりますと、14歳でのメダル獲得は1984年のニューヨーク大会で陸上100メートル視覚障害のクラスに出場し、16歳で銅メダルを獲得した嶋津良範さんの記録を37年ぶりに塗り替える快挙です。
新潟 阿賀野市出身の中学3年生