街の復興を見つめてきたイタリア人の職人は「多くの人が人生のすべてや愛する人を失ったことに思いをはせてほしい」と思いを語りました。
30年前に発生した阪神・淡路大震災からの復興のシンボルで、犠牲者の鎮魂を願う「神戸ルミナリエ」が24日から始まりました。
24日午後6時に41万個の電球にあかりが一斉にともされると、会場全体がやわらかな光に包まれました。
ことしは東遊園地と旧外国人居留地、メリケンパークの3つの会場のほか、異人館がある北野地区などでも連携したライトアップが行われています。
会場ごとに高さ20メートル余りのイルミネーションや長さおよそ80メートルの光の回廊などさまざまな作品が展示されています。
24日は多くの市民などが訪れ、震災から30年にあわせて規模を拡大した作品を楽しんでいました。
当時、神戸市の自宅で被災したという女性
「1回目から毎回来ています。ルミナリエは希望であり、いろいろな人の悲しみを背負って生きていかなければと思う場所です。ルミナリエで少しでも明るい未来を描けたらいいなと思います」
主にイタリア人の職人たちが手作業で設計や設置
「神戸ルミナリエ」の設計や設置作業は、主にイタリア人の職人たちが担い、地元企業の支援も受けながら手作業で行います。
デザインを担当したのは、東京在住のイタリア人、ダニエル・モンテベルデさん(73)で2011年から毎年異なるデザインを考案しています。
ことしのテーマは「30年の光、永遠に輝く希望」で、阪神・淡路大震災から30年にあわせて、例年より設置する作品の幅を大きくしました。
3つの会場のうち、海沿いのメリケンパークに設置する作品の玄関部分にあたる「フロントーネ」は、去年よりも幅がおよそ10メートル長い、51メートルにしました。
さらに、港町・神戸をイメージした波や、イタリア語で巨大な円形のステンドグラスを意味する「ロソーネ」と呼ばれる左右対称の円形の装飾を30個配置して、震災から30年を表現しました。
ダニエル・モンテベルデさん
「日本人には復興に向けて希望を持って努力し、立て直す力があると思うのでそれを誇りに思ってほしい。なぜルミナリエが神戸にあるのか調べた上で楽しんでもらいたい」
パーツはすべてイタリアから 設置作業にも職人技
このデザインを設計図に落とし込むのが、エンリコ・デカーニャさん(50)です。
デカーニャさんは祖父の代から工房を引き継いだ3代目で、30年前の第1回には父親とともに参加し、その後も作業のために来日して街の復興を見つめてきました。
「ルミナリエ」は、電飾がついた木製のパーツをパズルのように組み合わせて独特のデザインを生み出していて、組み合わせるパーツは種類や方向を変えて繰り返し利用します。
このため、イタリアの工房にあるすべてのパーツを把握し、どう組み合わせて設計図に落とし込むか、高度な技術が求められます。
デカーニャさんによりますと、工房には長年受け継いできたおよそ220種類、1万2000個のパーツがあるということですが、このうち今回は19種類、495個のパーツを「フロントーネ」に使用したということです。
「神戸ルミナリエ」で使用されるパーツは、すべてイタリアから2回にわけて船で運ばれ、その後、職人もイタリアから来日して設置作業を行います。
設置にあたっては、はじめにパーツを取り付けるための木製の棒を地面と垂直に立てる必要がありますが、デカーニャさんによりますと、設置場所が1センチでもずれてしまうと、パーツが図面どおり入らなくなってしまうということで、慎重な作業が求められます。
また、棒の転倒を防ぐため、会場に張り巡らせたワイヤーでさまざまな角度から引っ張って固定していて、固定の方法にも長年の経験と技術が必要だということです。
その後、電飾のついた木製のパーツを図面どおりにワイヤーで固定していきますが、場所によっては地上からの高さが20メートルを超える場所もあります。
高い場所での作業では、1995年の第1回から一貫して神戸市内の港湾運送会社が高所作業車を操縦して職人たちを支援しています。
会社の担当者によりますと、震災から30年となった今では、簡単なイタリア語や身ぶり手ぶりでコミュニケーションを取れるようになり、作業もスムーズに行えるということです。
エンリコ・デカーニャさん
「この光の向こう側には、職人たちの手作業やすべてのパーツをイタリアから運びこんだ苦労があります。全体を見るだけでなく、じっくりと観察してそうした背景もみてほしい」と話していました。
「多くの人が人生のすべてや愛する人を失ったことに思いはせて」
エンリコ・デカーニャさん
「たとえ地震の10年後、30年後に生まれたとしても、ルミナリエを訪れ、多くの人が人生のすべてや愛する人を失ったことに思いをはせてほしい。ルミナリエはとても複雑で芸術的な仕事なので、写真を撮るだけでなく、実際に目で見てじっくりと観察してもらいたいです」
「ルミナリエ」とは
「ルミナリエ」は、イタリア語で「イルミネーション」を意味し、イタリア南部の6つの州に伝わる伝統行事です。
もともとは村の守護聖人をまつる行事などにあわせて、夜の街を照らそうと、色紙でオイルランプやろうそくを包み、それをロープでつるすものが飾られていました。
17世紀ごろからは、地元の職人たちが木造の柱やアーチを作り始めてより華やかな装飾になり、「空中に浮かぶ光」を意味するラテン語の「lumen in aria」(ルーメン・イン・アリア)が「luminarie」(ルミナリエ)の語源になったとされています。
照明には、長年、石油ランプが使われていましたが、20世紀ごろには白熱電球となり、今では主にLEDライトに代わっていて、音楽にあわせて光や色を変える現代的な「ルミナリエ」も登場しています。
「神戸ルミナリエ」は、兵庫県や神戸市などが復興を目指す街に光をともすイベントの開催を検討した際、町を明るく照らすイタリアの「ルミナリエ」に注目したのがきっかけで、1995年12月に初めて行われました。
それ以来、毎回、イタリア人のデザイナーが独自のデザインを考案し、イタリアからパーツを船で運び入れたうえで、職人が来日して設置を行っています。
新型コロナの感染拡大でイタリア人の来日が難しくなり「神戸ルミナリエ」が中止になった2020年から2022年の期間は、一部の部品を運んで小規模な装飾を展示するなどの代替イベントが行われました。