会社によりますと、夜勤は会社内で「遅番」と呼ばれ、午後9時20分から翌朝の5時半まで勤務することになっています。
火事が起きた棟では、午後11時半ごろまで生産したあと、そこから50分間、生産工程の担当者が休憩に入る計画でした。
ふだんは、この休憩の時間帯に6人から7人ほどの清掃担当者が、生産工程の清掃を行っているということです。
今回、火事が起きたのも、この休憩と清掃の時間帯だったということです。
三幸製菓によりますと、火事が起きた棟では、せんべいやあられを作っていました。
具体的には、せんべいの生産が終わったあと、ラインに残った砂糖やしょうゆの残りかすをクリーニングする仕事で、火事が起きた日は午後9時ごろからの勤務だったということです。 また親族は当時、工場で働いていた知人を通じて火事が起きた時、現場は電気が消えて真っ暗になり、方角が全く分からない状態になったという話を聞いたということです。 美代子さんは長年、仲間と工場で働いてきて、火災で亡くなった近ハチヱさんとも仲がよく、近さんは職場のリーダー的な存在だったということです。
火事があった当日も、午後8時半ごろに「行ってきます」と言い残し、家を出たということです。 夫の忠一さんは火事について、「あってはならないことが起きてしまった。安全に働ける場所であるべき工場で命を落としてしまった」と話していました。 また慶子さんの親戚の女性によりますと、慶子さんは工場について、「またボヤがあった」とか、「工場内の壊れている場所や危ないところがそのままになっている」などと話すこともあったということです。
出火時 工場内電気消え 方向分からない状態か
亡くなった女性の夫「安全に働けるべき工場で命を落とした」