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一向一揆

治、一揆のことである。本願寺派に属する寺院、道場を中心に、蓮如が言う「当流の安心は弥陀如来の本願にすがり一心に極楽往生を信ずることにある」という教義に従う土豪的武士や、自治的な惣村に集結する農民が地域的に強固な信仰組織を形成していた。 1488年(長享2年)、加賀守護富樫政親を滅ぼしたことでその勢

Related Words

三河一向一揆

現在の安城市野寺の本證寺第十代・空誓(蓮如の曾孫)が中心となって浄土真宗の本願寺門徒に檄を飛ばし、領主の松平(のちの徳川)家康と戦った。『三州一向宗乱記』に「当国碧海郡野寺村の本證寺と申すは、一向宗の小本寺にて、守護不入の道場、当国三箇寺の其の一箇寺なり」と記載されている。 中心勢力は、三河三ヶ寺と本宗寺

長島一向一揆

には伊賀・甲賀の兵もいたという。信長は林通政を殿軍としたが、折悪く雨が降り出して火縄銃が使用不可となってしまい、白兵戦となった。林通政が討ち取られ、また正午過ぎからの風雨で人足がいくらか凍え死にするなどの損害を出したが、通政や毛屋猪介らの部隊の奮戦によって夜に

加賀一向一揆

て文明7年に門徒の弾圧を開始、蓮如は吉崎御坊を退去し、加賀の門徒は政親に追われて越中に逃れた。 ところが、今度は越中砺波郡の石黒光義が政親と結んで門徒弾圧に出たところ、文明13年(1481年)に越中で一揆が発生し、光義が討ち取られる(越中一向一揆、田屋川原の戦い)。

越中一向一揆

越中一向一揆(えっちゅういっこういっき)は、文明11年(1479年)頃から天正4年(1576年)にかけて、越中の瑞泉寺と土山御坊門徒らが中心となった一向一揆。地方豪族化し、上杉謙信に制圧された。本拠は御峰城(土山御坊)・瑞泉寺・勝興寺。 明徳元年(1390年)、本願寺第5世法主・綽如が瑞泉寺を創建、

越前一向一揆

『北陸七国志』では、次のように記している。「諸坊主土一揆共は加賀国へ落ちていく。其外の諸坊主土一揆共は、或は山林、或は渓谷、又は藪蔭、岩の間などに逃匿れ居る処を、十万余の軍勢(織田軍)共、此処に追詰め、彼処に馳廻って捜し出し、切り殺し、刺し殺し、叩き殺し、踏み殺す」 ^ 『越州軍記』も同様の表現を行なっている。「元来無体の兵ども

一揆

(1)室町中期以降, 支配者の圧政に反抗した農民や一向宗信徒などが徒党を組んで起こした武装蜂起(ホウキ)。 「土一揆」「一向一揆」「百姓一揆」など。 (2)鎌倉・室町時代, 同族の武士などが共通の利害関係に基づいて政治的・軍事的に団結して進退をともにすること。 また, その組織。 「白旗一揆」など。 (3)心を同じにすること。 一致団結。 「坂東・坂西・藤・橘・伴の者共五百騎づつ~を結んで/太平記 25」

土一揆

室町時代, 畿内およびその周辺を中心に頻発した農民の一揆。 惣を基盤とし, 諸郷村間の広範な連合によって武力蜂起し, 幕府・守護・荘園領主に対して徳政や年貢・夫役の減免などを要求した。 1428年(正長1)の正長の土一揆が有名。 どいっき。

土一揆

⇒ つちいっき(土一揆)

国一揆

国一揆(くにいっき)は、南北朝時代、室町時代の領主層による領主権の確保を目的とした連合形態(一揆)を言う。国一揆が形成される要因のひとつとして外部からの政治的圧力の介入などが挙げられ、それらに対抗する為の軍事的共同形態的な結び付きが強く、目的が達成される、あるいは脅威が去った際には国一揆

カップ一揆

批准後の軍縮と義勇軍(フライコーア)の解散に反対した政治家ヴォルフガング・カップとベルリン防衛司令官ヴァルター・フォン・リュトヴィッツを中心として企てられ、実行された。リュトウィッツ=カップ一揆またカップ・リュトヴィッツ一揆ともいう。義勇軍の一部隊であるエアハルト海兵旅団によってベルリンを占領、新

ミュンヘン一揆

ミュンヘン一揆(ミュンヘンいっき、ドイツ語: München Putsch)は、1923年11月8日から9日に、ドイツ国のミュンヘンでエーリヒ・ルーデンドルフ、アドルフ・ヒトラーら国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を始めとする州右派勢力によって結成されたドイツ闘争連盟(英語版)が起こしたクーデター

風一揆

)が発売された。初回限定盤にはDVDが付属している。 『一揆』とは心を一つにして物事をやり遂げると言う意味。 昨今「日本を元気に!」とよく言われているが、どこか他人任せな所があるので、この曲で改めて『日本と人間を元気にする』という風男塾の主張が込められている。 全作詞:はなわ 風一揆 作曲:Stephan Elfgren&David

絹一揆

の8月18日には高崎城を包囲した一揆軍と高崎藩兵が衝突した。だが、直後に双方に改所中止が伝わったために一揆は解散したのである。 小説 高橋直樹『絹の筵旗 爆裂・正義なき上州一揆』(祥伝社、1999年) 中島明「絹運上騒動」(『群馬県百科事典』(上毛新聞社、1979年)) 林玲子「絹一揆」(『日本史大事典

一向

※一※ (副) (1)ただその事だけに心が向かうさま。 いちず。 ひたぶる。 「~平和に尽くす」「~謝る」「~隠し通す」 (2)すっかり。 全く。 「かの維時がなごりは~民となりて/増鏡(新島守)」 ※二※ (形動) {※一※(1)}に同じ。 「~な思い」「~に励む」「~に祈りをささげる」

一向

(1)もっぱらそのことに集中するさま。 いちず。 ひたすら。 「~に追い求める」「~な努力」 (2)すっかりその状態であるさま。 全く。 「よそ目には~狂人と人や見るらん/謡曲・清経」 (3)向こう見ずなさま。 粗暴なさま。 「海賊の~ならむよりもかの鬼しき人の/源氏(玉鬘)」

一向

※一※ (名) 「一向宗」の略。 ※二※ (副) (「いっこうに」の形も用いる) (1)(下に打ち消しの語を伴って)まるきり。 少しも。 「しかっても~こたえない」「~に驚かない」 (2)全く。 「~平気だ」「口が~に無調法な女であった/新世帯(秋声)」 (3)ひたすらに。 ひたむきに。 「唯本願をたのみて~に称名すれば/一遍上人語録」 (4)いっそのこと。 むしろ。 「~に重忠と刺し違へて死なんとは思ひしが/浄瑠璃・出世景清」 (5)すべて。 全部。 「大小事~なんぢにこそ言ひ合はせしか/平家 10」 ※三※ (形動) 全くひどいさま。 「こつちらは~なものだ, とんだねき物(=売レ残リ)だ/洒落本・通言総籬」

梅北一揆

機となった。また事件後の処罰が苛烈だったことから、この後の豊後大友氏の改易事件などとともに、豊臣政権になじまなかった九州の諸勢力を政権体制下に組みふせる効果があったとされる。 一方、国兼は旧領において神となり、現在も鹿児島県姶良市北山に国兼を祀る梅北神社が残っている。 [脚注の使い方] ^

仙北一揆

る4か条の朱印状を発給しており、それによれば「一人も残し置かず、なでぎりに申し付くべく候」「一郷も二郷も、悉くなでぎり仕るべく候」など検地に対する反対には苛烈な処分を認める強硬な姿勢を示した。ただ実際には、それに先だつ7月11日の時点で、越後国の大名上杉景勝に対しては、秀吉家臣大谷吉継を軍監として庄

郡上一揆

訴人と30名の村方三役の吟味後、宝暦6年(1756年)12月、駕籠訴人と村方三役代表双方に帰国が言い渡された。村方三役代表は自由に郡上へ向かうよう言い渡されたが、駕籠訴人5名は郡上藩の江戸藩邸から25名の足軽が付き添い、郡上へと向かった。 5名の駕籠訴人